SUGIZO激白「苦しんでいる人たちに手を差し伸べるべき」今年も難民キャンプ訪問
難民に興味を持ったきっかけは娘の誕生
――そもそも難民キャンプに興味を持たれたきっかけは何でしょうか?
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「僕の娘が小さな頃・・・娘が生まれたことで大きく自分の心がシフトしていきました。自分の娘世代、子供達がすごく愛おしくなっていった。親になったらみんな当然だと思うんですけど、自分の娘に対する大きな愛情がそのまま周りの子供達に飛び火していき、気が付いたら世界中の子供たちの将来を考えるようになっていた。それが1998年ですね、自分が大きく変わったのが。その時、ちょうど日本で北朝鮮の社会の実情が知られるようになってきて、極貧で苦しんでいる子供たちをニュースで知り、またその年、コソボとセルビアが民族紛争していて、当時アメリカのクリントン政権が紛争を鎮圧するために空爆をするわけです。それで弱者達、子供達がどんどん犠牲になっていく。その状況を見ていられなくなった。紛争地帯の子供達、貧困で飢餓に苦しんでいる子供達に意識が強くフォーカスしてしまった。最初、支援をしたいと思ったのはアフリカでした。アフリカの難民の人たち。そして当時僕が実行したことは、当時貧国の子供達やそのコミュニティを支援するあるプロジェクト。そこに毎月寄付をするようになった。なので最初は中東ではなかったのです。中東に意識が強く向いたのは意外と遅くて、シリアの内乱が始まってからです。2011年以降からですね」
――なかなか思っていても、行動することは難しいです。
「ラッキーだったのが、2010年ごろからUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の方々と交流が始まって、特に僕の親しい方がそこの広報を担当している経緯があり、実際中東の難民キャンプに出向く前にも、UNHCRのイベントに足を運んだり、シンポジウムに行ったり、登壇することがあったり、そういう関係は続いていたんですね。そして最初にUNHCR側の手配で、『ヨルダンのザータリ難民キャンプとアズラック難民キャンプに行ってみませんか?』という話をいただいて『ぜひぜひ行きます』という流れだったんです」
――それが2016年3月でした。
「そうですね。当時は演奏するつもりはなくて、ただ一個人として、難民支援をしている一人として、難民キャンプの視察をしたかった、状況を知りたかった、難民の方々に会いたかった、ただそれだけだったんです。話が進んでいくうちに『せっかく行くなら演奏してもらえませんか?』と言われ、最初は『いやいや滅相もないです』って感じだったんですけど、結局あんまり無下に断るのもよくないなと思って、演奏することになった。無理矢理そうなった感じです。もちろん、それを仕事にするつもりもなかったり、今でも仕事にしているつもりないんですけど、たまたま一緒に同行していたのがフォトジャーナリストの佐藤慧さん。彼はギタリストでもあったので、『僕がヴァイオリン弾く時にギター手伝ってくれませんか?』って話になって。さらに当時ザータリ難民キャンプで働いていた斉藤亮平さんがピアニストだったので、一緒にやりましょうという話になり、僕は現地でヴァイオリンを調達して演奏することになりました」
敬虔なムスリムの女性達のエネルギーが爆発
――実際に演奏して見て難民の方々の反応はどうでしたか?
「やってみたら想像以上にものすごく喜ばれてしまったんです。驚くほど反響がよくて、子供達は大勢集まって無邪気に踊ったり、大人たちも基本的には感情の表現や自由を押さえつけられているので、それを解放する時間がそこで生まれたと感じました。特にザータリで本当にびっくりしたのが、女性達の反応でした。敬虔なムスリムの女性達は基本的に感情を露わにすることがあまり良しとされていないので、一般的にはおとなしくしているんですよね、特に異性の前では。ところがコンサートの時にはその溜め込んでいたエネルギーが一気に爆発したのか、最後は大盛り上がりで声を上げ手拍子や踊りを楽しんでくれて、そのお母さん達、女性達の幸福な感覚がすごく響いてきた。『これは難民キャンプでレイヴやりたい!』と思ったんです。おこがましいですがこの人達の踊る場、感情表現の場を作ってあげたいと思った。その前回のザータリでは、ババガヌージュとしての演奏しかしてないので、完全にアコースティック。そんなセットの中でもリズミックな曲を演った時にみんなガンガン踊ってくれたので、もしダンスミュージックを演ることができたらすごいことなるぞ、と直感したんです。みんなの心を開放してあげられるかもしれない、と。なので次は自分のソロプロジェクトの音楽を持ってきたいと思ったんです」
――ザータリ難民キャンプは今回で2回目の訪問になります。新たな期待はありますか?
「ザータリはむしろ前回よりも小さくしかできないんです。(規制が)すごく厳しくて、人数が入らない。なので前回とギリギリ同じように、アコースティックでやるしかない。その分、イラクのほうではもう爆音でやってきます(笑)。同じことを前回パレスチナでやってきたんですね。パレスチナの難民キャンプでもかなり爆音のSUGIZO MUSICでダンスパーティーを開催して大盛況でしたので。本当はザータリ難民キャンプでもそれをやりたいんですけど、なかなか厳しいです」