歌手生活50年の吉幾三、「歌は飽きちゃった」「歌詞は覚えていない」と語るワケ

今年3月で丸50周年を迎えたシンガー・ソングライターの吉幾三。10月29日午後7時からBS松竹東急で『吉幾三45年間、ありがとう~ファイナルコンサート~』が放送されるのを前に、自身の歌手活動を振り返り、今後の夢を語った。

歌手活動を振り返った吉幾三【写真:ENCOUNT編集部】
歌手活動を振り返った吉幾三【写真:ENCOUNT編集部】

29日放送、BS東急松竹『吉幾三45年間、ありがとう~ファイナルコンサート~』

 今年3月で丸50周年を迎えたシンガー・ソングライターの吉幾三。10月29日午後7時からBS松竹東急で『吉幾三45年間、ありがとう~ファイナルコンサート~』が放送されるのを前に、自身の歌手活動を振り返り、今後の夢を語った。(取材・文=平辻哲也)

 45周年コンサート(2018年3月17日、ティアラこうとう)について聞くと、いきなり、「僕は歌が好きじゃないんです。もう5年前でしょ。覚えていないんだよね。『雪國』なんか何万回も歌っているでしょ。だから飽きちゃっているんだよね。5年前と言えば、嫁が少しきれいだったことかな」と笑って答えるから面白い。

「お芝居のステージはまだわかるけど、歌のステージは皆さんが好きな曲ばかりだから、あまり変化がないんですよね」

 ちなみに、セットリストは『雪國』『津軽平野』『酒よ』など代表曲や提供曲『我愛弥』など24曲。多彩な歌唱ゲストを迎え、尺八と津軽三味線の競演もあった。

 吉は中学校卒業後から作曲家の米山正夫氏に師事し、1973年に「山岡英二」の芸名でデビュー。77年に吉幾三に改名し、自身の作詞・作曲による『俺はぜったい!プレスリー』が大ヒット。以降、シンガーソングライターとして活躍してきた。息の長い活動の秘訣(ひけつ)は何か。

「人には恵まれてきたかな。最初は自分なりに一生懸命だった。『俺はぜったい!プレスリー』は八方破れですよ。要はまともにやっても売れないから、やったわけ。それが、千昌夫さんに出会えたことが大きな転機でした。千さんはお金の面を始め、いろんなアドバイスをしてくれた。家族、ファンの皆さんにも感謝しています」

 84年には千への提供曲『津軽平野』がヒット。さらに千プロデュースによる『俺ら東京さ行ぐだ』も大ヒット。続く『雪國』は千から「お前が正統派演歌を歌っても売れない」と言われながらも、オリコン1位、100万枚以上のセールスを記録し、NHK紅白歌合戦への初出場も果たした。

 コミックソングから演歌歌手へ。今はシンガー・ソングライターとして楽曲提供するなど多彩な面を見せ、従来の演歌ファンだけではなく、若い層からの支持を集める。

「今度はエレキギターを弾きながら歌います。ソロを弾きながら、歌う歌があるので。来年あたりから、ちょっと歌謡曲から外れたところでやっていこうかなと思っています。できるだけ日本語で歌謡曲や演歌を作っていますが、いろいろなスタイルを楽しんでいます」

 自分が作詞・作曲した曲も、歌詞を完璧に覚えていないというのも吉がユニークなところ。

「それはテレビがいけないんですよ(笑)。大体1コーラスか2コーラスしか歌えないでしょ。だから最後まで覚えていない。歌う時に歌詞は載せてほしくないんだよね。でも、何万回も歌ってきていますから。それで、うまいでしょ。そこだけ分かってもらえれば。まあ歌詞は適当でいいんじゃないかな(笑)」

 2016、17年には台湾公演を行い、現地でも愛されている『酒よ』の台湾語バージョンの歌詞を覚えたこともある。

「ジュディ・オングさんに教わって、カタカナで発音も書いて、一生懸命覚えたんです。俺が歌いだしたら、会場の5000人近くが歌い出すんだよね。せっかく覚えてきたので、『俺の歌を聞いてくれよ』と思ったけど、最後は感動しちゃって、歌えなくなってしまった。その経験はとても印象的でした」と振り返る。

 11月22日に50周年のコンサートDVD「吉幾三50周年ファイナルコンサート」(2023年2月18日、ティアラこうとう)もリリースされる。

「ウクライナで戦争もあったので、最後は平和を願う『天空へ届け』を歌いました。拉致被害者のために作った『羽根をください』という曲もあるんです。私は常に平和を願う曲を歌いたいと思っています。日本でも『ウィ・アー・ザ・ワールド』のようなこともできるはずなんです。権利関係問題を乗り越えて、みんなで歌える曲も作りたい。それが日本の歌謡界の夢だと思っているんですよ」。51年目を迎えて、吉は走り続ける。

□吉幾三(よし・いくぞう)本名:鎌田善人(かまた・よしひと)。青森県北津軽郡金木町大字嘉瀬字畑中(現・青森県五所川原市)生まれ。金木町立金木南中学校を卒業後、作曲家・米山正夫氏に師事。1973年、芸名・山岡英二で『恋人は君ひとり』でデビュー。77年に吉幾三に改名し、自身の作詞・作曲による『俺はぜったい!プレスリー/青春荘』をリリース。以後、シンガー・ソング・ライターとして活躍。84年に作詞・作曲家として、千昌夫氏に『津軽平野』を提供。同年4月、吉プロモーション設立。同11月、『俺ら東京さ行ぐだ/故郷(ふるさと)』を発表。作詞・作曲家としては、千昌夫氏を筆頭に多数作品を提供。また、CMソング、TVドラマのテーマソングも多く手掛け、俳優としても活躍。

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