【週末は女子プロレス♯124】アクトレス出身・本間多恵、2度の欠場を乗り越え海外でチャンス拡大

歌手にあこがれ愛知県から上京、美容専門学校卒業後に就職し、一度はあきらめかけた夢を追いミュージカル女優になった。公演で2年ほど全国をまわった後、「プロレスをやってみないか?」と誘われアクトレスガールズ旗揚げ戦でデビュー。アクトレス初期メンバーの本間多恵は、ニックネームの通り団体の“特攻隊長”的存在となった。未知の世界に飛び込んだ仲間たちの精神的支柱となり、試合をするたびに、プロレスの魅力にどっぷりハマっていったのである。

フリーで活躍する本間多恵【写真:新井宏】
フリーで活躍する本間多恵【写真:新井宏】

アクトレス初期メンバーで仲間たちの精神的支柱

 歌手にあこがれ愛知県から上京、美容専門学校卒業後に就職し、一度はあきらめかけた夢を追いミュージカル女優になった。公演で2年ほど全国をまわった後、「プロレスをやってみないか?」と誘われアクトレスガールズ旗揚げ戦でデビュー。アクトレス初期メンバーの本間多恵は、ニックネームの通り団体の“特攻隊長”的存在となった。未知の世界に飛び込んだ仲間たちの精神的支柱となり、試合をするたびに、プロレスの魅力にどっぷりハマっていったのである。

 しかしながら、デビューから約10か月後に左ヒザを負傷、1年間の欠場を強いられた。あらためてプロレスとは危険なスポーツだと思い知らされると同時に、「女優のプロレス」という色眼鏡で見られるからこそしっかりした身体づくりが必要と理解できた。復帰後には活動の幅を広げ、メキシコで試合をし、アイスリボンで3WAYマッチのトライアングルリボン王座を初戴冠。これが初めてのベルト獲得となったのである。

 ところが、2021年6月に今度は右ヒザを負傷。井上京子&高瀬みゆき組VS梅咲遥&本間多恵組のタッグマッチで、序盤に本間がヒザを痛め動けなくなったのだ。ディアナの最高峰タイトル、WWWD世界シングル王座挑戦が決まっていただけに、痛恨の負傷だった。

「(井上)京子さんに挑戦を表明して認められ、タイトルマッチに向けての前哨戦だったんです。スタートから梅咲とのタッグで勢いよく京子さんに向かっていったんですけど…。いま思えば、冷静ではなかったと思います」

 はやる気持ちが空回りしたのだろう。試合は本間をかばい孤軍奮闘の梅咲を京子がフォールして決着をみた。京子と本間のタイトル戦は消滅し、以後も組まれることはなかったのである。

「またやっちまったという思いで絶望が大きかったです。同時に、当時はもうひとつ不安なことがあって…」

 それは、アクトレスガールズのプロレス撤退だった。ケガをする前から団体がプロレス活動を休止するとの話を何気に聞いていた。が、当時はまだ最終決定事項ではなかった。そこに彼女は望みをつないでいたのだ。

「最初に聞かされたときは全然信じてなかったです。そのうち立ち消えになって来年も変わらずにやってるだろうくらいの気持ちでいましたね」
 
しかし、ケガをしたことで不安が大きくなった。もしも欠場の状態で団体が解散してしまったら…。それでも、アクトレスガールズのタッグ王者でもあった彼女は8・13後楽園に強行出場。大会が成功すれば、団体の方針が変わるかもしれない――。

「実際、大会はすごく盛り上がりました。もうちょっと頑張ってみようという考えになる可能性もあるし、所属選手も希望を持って闘っていたと思うんですよ」

アクトレス出身の本間多恵【写真:(C)ワールド女子プロレス・ディアナ】
アクトレス出身の本間多恵【写真:(C)ワールド女子プロレス・ディアナ】

「私はプロレスラーと試合がしたかったし、海外でもプロレスがしたいと思いました」

 本間は、この大会でタッグベルトを失った。出場したはいいものの、やはりケガの影響で身体が思うように動かない。「こんな状態でリングに立っちゃいけない」と痛感。試合前までは手術をしないつもりでいたのだが、負けた直後に手術をすると決心、長期欠場を覚悟した。一方で、ほかの選手たちの奮起により団体の解散も見直されるのではないかとの希望は持ち続けていた。

 が、団体の方針は変わることなく、プロレス団体としての活動を年内で終了すると正式に発表された。同時に、欠場中の本間がアクトレスガールズに参戦することは不可能となってしまったのである。翌年からアクトレスガールズはアクトレスガールズとして独自の活動を継続。プロレスを希望する選手は退団するしかない。実際、プロレスに魅せられた多くの選手がプロレス界に残る選択をした。他団体の所属になるか、フリーになるか。本間の決断はフリーとしてのプロレス活動継続だった。

「私はプロレスラーと試合がしたかったし、海外でもプロレスがしたいと思いました。同期でいったら尾﨑妹加や安納サオリがフリーで活躍していたのに感化された部分がありますね。あと、団体所属だと団体のスケジュールで動かないといけない。もし海外で試合をするとなったときにフリーの方が動きやすいと思ったんです。なので、フリーを選びました」

 とはいえ、いつ復帰できるかわからない。焦りもあるなかで、プロレス団体としてのアクトレスガールズはファイナルを迎えた。2021年12月の最終興行、本間はリングサイドで仲間たちのラストファイトを見守っていた。

「旗揚げメンバーとしてここまで頑張ってきたのに、一番最後の瞬間に選手としてリングに立てないことがホントにイヤでした。もちろん団体にも、所属メンバーにも、そしてお客さんにも申し訳ない気持ちがいっぱいで。もしもアクトレスガールズがプロレスを続けるのであれば、自分は残っていたと思います。でも、最終興行のときにはフリーでやっていくとすでに決めていたので、まずはケガをしっかり治してプロレスを続けていく、選手とはどこかのリングで会えたらいいなと思っていましたね」

 エンディングでは、選手たちが本間をリングに上げて胴上げ。団体の功労者であることを全員が認知していたのである。

「胴上げ、メチャメチャ怖かったです(笑)。怖かったけど、そのとき全員がケガしてる私をしっかり支えてくれてたんですよ。みんなの力強さが背中から伝わってきて、いままで私はこうやって支えられてたんだなって実感しましたね」

 個人としてのけじめはつけた。そんななか、選手たちの所属先や主戦場がどんどん決まっていく。焦りがなかったわけではない。が、焦っていても始まらない。そして2022年5月4日、横浜武道館大会で待望の復帰。アイスリボンが本間のために復活の舞台を用意してくれたのだ。安納&尾﨑と組んでの試合は、彼女に安心感も与えてくれた。

「アクトレス所属のときからお世話になっていたアイスリボンがフリーでもぜひ上がってくださいと言っていただけたのがうれしかったし、ファンの方からお帰りと声をかけられたのもすごくうれしかったです。アクトレスでの活動がしっかりつながってこのリングに上がれたんだなと実感したし、私はやっぱりプロレスが好きなんだなと思いましたね」

海外進出の野望を語った本間多恵【写真:(C)CMLL】
海外進出の野望を語った本間多恵【写真:(C)CMLL】

2度目のメキシコ遠征でフリーとして海外で闘う意味を体感

 2022年10月には3年半ぶり2度目のメキシコ遠征。前回は3大会の参戦だったが、今回は老舗団体CMLLを中心に9大会でリングに上がった。また、「グランプリ」というインターナショナルな対抗戦にもエントリーされた。メキシコVS多国籍軍という図式で、本間は日本代表として闘ったのである。

「清水ひかり、駿河メイちゃんと私の3人が日本代表でした。自分たち多国籍軍にはアメリカやチリなどいろんな国から選手が来ていてオリンピックみたいな感じでしたね。ホントにいろんな人から刺激を受けました」

 メキシコシティーを飛び出し、ローカルの大会も体感した。フリーとして海外で闘うことの意味をかみしめた遠征だったと言えるだろう。

 そしていま、本間は次のチャンスをつかんだ。アメリカで日本の女子プロレスをモチーフにした「キツネ」というプロモーションがスタート。その旗揚げ戦「キツネ・ゴング!」が10月22日にロサンゼルスで開催される。ここには本間を含む日本人選手が大挙参戦。しかも本間はメインに登場し、ウナギ・サヤカ、ダーク・シークとの3WAYマッチで、「キツネ世界王座」の初代王者を決めるタイトルマッチに挑むことになったのである。

「一番行きたかったのがアメリカなので、願いがかなった感覚ですね。いきなりメインで、しかもタイトル戦。ビックリなんですけど、これを機に海外で試合をたくさんできるようになりたいです」

 海外での試合を増やすことがフリーを選択した理由のひとつでもある。また、日本でもまだ到達していないシングル王座奪取という目標もある。とくにタイトル戦を前に中止になったディアナのWWWD世界シングル王座はなんとしても取りたいベルトだ。

「もちろん狙ってますね。いま、チャンピオンが梅咲なんですよ。所属の選手が巻いているというのは一番いい形だとは思うんです。彼女は新人のときから知ってますけど、くすぶってた時期を乗り越えて団体の顔になった。責任もしっかり背負ってますよね。しかも最近、見た目もどんどん大人っぽくなって自信満々。そんな梅咲から取りたいと思います。あの自信をケチョンケチョンにしてやりたい(笑)」

 梅咲は、本間がケガをしたときのタッグパートナーでもある。それだけに、実現すればドラマチックな闘いが期待できそうだ。

「フリーとして活動させてもらってるいま、感謝の気持ちが大きいです。アクトレスガールズも、坂口代表が見せたい世界観で盛り上がってるので、それはいい決断だったんだと思います」

 残った者、出ていった者。出ていった者もさまざまな道に分かれ、それが交錯するケースもある。何人もの選手がプロレスに魅せられたからプロレスを選び、その道で輝いている。

「プロレスほど素晴らしいジャンルはない」という本間多恵も、そのひとり。プロレスで世界が広がり、それをいま、さらに広げようとしているのだ。

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