ハチャメチャだった全日本女子プロレス、Sareeeの師匠が懐かしむ衝撃の下積み時代「ケンカばっかりですよ」

猛暑の夏、“冷酷の悪魔”中島安里紗を下し、SEAdLINNNG(シードリング)シングル新王者に輝いた“太陽神”Sareee。その師匠として、さらには女子プロレス界随一の人気者ウナギ・サヤカに「オカン」と慕われるのが伊藤薫だ。すでにキャリア30年以上を誇るLEGENDの域にある伊藤が、その目で見て体感してきた先輩たちのバトルを激白する。

全日本女子プロレス時代の伊藤薫【写真:本人提供】
全日本女子プロレス時代の伊藤薫【写真:本人提供】

山田敏代と豊田真奈美は波打ち際でもケンカ

 猛暑の夏、“冷酷の悪魔”中島安里紗を下し、SEAdLINNNG(シードリング)シングル新王者に輝いた“太陽神”Sareee。その師匠として、さらには女子プロレス界随一の人気者ウナギ・サヤカに「オカン」と慕われるのが伊藤薫だ。すでにキャリア30年以上を誇るLEGENDの域にある伊藤が、その目で見て体感してきた先輩たちのバトルを激白する。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「全女(全日本女子プロレス)の時なんてケンカばっかりですよ。ケンカしかないんですよ、ホントに」

 今や今や飛ぶ鳥を落とす勢いのSareeeの師匠として、またウナギ・サヤカから「オカン」と慕われる、伊藤道場・伊藤薫の言葉である。現在も女子プロレスラーとして独自のキャラクターをリング上で見せ続けたかと思うと、伊藤道場では自身が過去に経験した、全女で学んだ“女子プロレス”を残すべくまい進し続ける。

 そんな伊藤が全女時代の壮絶な日常を振り返った。まずは同期でライバル関係にあった、山田敏代と豊田真奈美について。

「たとえば山田さんと豊田さんの話でいうと、合宿に行った時に、砂浜や波打ち際でスパーリングとかやるんですけど、山田さんと豊田さんがめっちゃケンカしてて。そしたら豊田さんが山田さんを倒した時に、波が来て、山田さんが波をかぶっちゃって、息ができないのに、豊田さんが押さえてた、みたいな」

 もちろんその直後には「当然、ケンカがはじまりましたね」(伊藤)と続いていく。

「山田さんが首をケガして引退ってことになったことがあったんですね。でも、ファンの方が署名をたくさん集めて会社に持ってきて、山田さんも『何があっても異議申立てをしません』みたいな一筆書いて、どうしてもリングに上がりたいって覚悟をされた時があって。会社としてはこれをやったら最後、復帰させるっていう条件を出したんです」

 その条件がフルマラソンを走り切るだった。結果、山田と豊田はバリ島で開催されるフルマラソンに出場することに……。

「2人がフルマラソンに挑戦して、それをフジテレビが追いかけることになったんですけど、その時になぜか自分が会長室に呼ばれて。『山田、豊田も行くけど、2人が走りきれなかったらマズいからお前も行ってこい』って」

愛弟子のSareee(左)と師匠・伊藤薫
愛弟子のSareee(左)と師匠・伊藤薫

試合前にフルマラソンの練習を

 しかも、伊藤はその際にさまざまな先輩から「イトちゃん、気をつけなよ」と忠告を受けることになる。

「『あの2人は海外に行ったら絶対にケンカするんだから』って言われたんですよ」

 当時の山田と豊田は「必ず海外に行ったらケンカする」というジンクスがあった。結局、山田と豊田の2人は表立ってのケンカはしなかったが、「帰ってきて放送された番組を見たら、私の走っている後ろで、あんなドラマがあったんだっていうくらいのことはあった」ことが発覚したのだ。

 いったいどんなドラマがあったのか。伊藤による詳しい説明を聞いていこう。

「最初は山田さんが豊田さんの前を走っているんですけど、山田さんも腰とかいろんなところに痛みが出て、カラダの限界が来て歩いているんです。その後ろを、走っている途中にヒザを痛めた豊田さんが片足を引きづりながら山田さんに近づいていくと、山田さんがその気配を感じて、『負けたくない』っていう顔をするんですけど、山田さんが豊田さんに抜かれた時の場面とか、もうすごかったですよ!」

 そう言って、当時の山田と豊田の形相を思い出しながら、伊藤の顔には「恐ろしいとはこのことだ」と書かれていた気がしたが、その前に、筋肉の鎧で身をまとった3人の女子プロレスラーがフルマラソン42.195キロを走ったのは、それだけで拍手を送りたい驚愕エピソードだと思う。だって使う筋肉がまるっきり違うのだから。

「それでもフルマラソン、走りましたよ。その時はライオネス飛鳥さんも走ってましたけど、自分はなんでフルマラソンなんだろうと思ってました。過酷でしたね。あの頃は巡業が多くて、月のうち20日間は連戦で出ているんですけど、会場に着いたら、ボブ矢沢っていうレフェリーが車で走ってきて、自分たちが会場に着いて着替え終わって準備運動をしたら、ボブ矢沢の車を追いかけて走るんです」

 もちろんコースなんて知らされていない。

「どこまで走っていいのかわからないまま、しばらく走っていくと、曲がり角にボブ矢沢が立っていて、『はい、これこっちに行って』って右に曲がって、またボブ矢沢が自分たちの横を車で通り過ぎて行くんです。で、しばらく走ってまた曲がり角に着くと、ボブ矢沢が『今度はこっちに行って』って。いつ会場に着くのかも分からないまま走り続けるんですよ。試合前にですよ?」

タフな女子プロレスラーたち

 たしかに、令和の時代では絶対にあり得ないだろうとは思う。プロレスラーなんてそうでなくとも連日、肉体を酷使し続けているのにフルマラソンとは、なかなか狂気の沙汰のような話である。

「ようやく会場に着いたら、縄跳びを30分飛んでとか、そういうフルマラソンに向けての練習が2か月くらい続くんです。その当時は自分が一番下っ端だから、先に走り終わってバケツに水を用意したり、先輩の飲み物を用意したりしなきゃいけない。それが終わったら、その頃はアジャ・コング様の付き人だったので、その仕事をしたり。もうフラフラでしたね。いやあ、もう鍛えられましたよ」

 伊藤はそう言いながらニコリと笑っていたが、それだけやれば、自然と心身は鍛えられるに違いない。ちなみにその後、山田の復帰は許されたのだから、無事にゴールは果たしたのだろう。

「フルマラソンを走り抜いたら山田さんの復帰を許す、みたいな話だったし、結局、みんなゴールしたから復帰は許されるんですね。自分もヘロヘロになりながら『お疲れ様でしたー』って普通にゴールしたんですけど、山田さんと豊田さんがゴールする時はドラマのようでした。山田さんはゴールした直後に倒れ込む、豊田さんはその当時のマネジャーさんが広げたバスタオルに飛び込むみたいな」

 もちろん、先にゴールを果たした伊藤は、当然のようにその後、ゴールした二人の先輩に対し、「自分は水(ミネラルウォーター)を出しに行ってましたね」と後輩の役割を果たした。

 伊藤は言う。

「すごいのは、みんな走り終わって足の皮とかズル剥けたけど、その後、休みもせずにホテルのプールとか入ってはしゃいで、マッサージを受けさせてもらったりしてましたからね。タフですよね」

 タフもタフ。この時代の女子プロレスラーには、なにより人前に立つ者のたくましさが感じられる。もちろん、今を否定するつもりは毛頭ないが、是非ともその“超人”的なたくましさは、愛弟子であるSareee、さらには最近、左肩をフェスティバル(負傷)させたウナギ・サヤカにこそしっかりと受け継いでもらいたい。

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