市川猿翁さんが83歳で死去 和解した息子の香川照之が歌舞伎入りも…晩年に弟死亡、おい猿之助が事件

歌舞伎俳優の市川猿翁(いちかわ・えんおう、本名喜熨斗政彦=きのし・まさひこ)さんが13日午前6時55分、不整脈のため亡くなったことを15日、松竹歌舞伎座が発表した。83歳だった。葬儀・告別式は親族葬で執り行う。また、猿翁さんの一人息子・俳優の香川照之も歌舞伎俳優・市川中車として追悼コメントを発表した。

市川猿翁さん【写真:(C)松竹】
市川猿翁さん【写真:(C)松竹】

香川は“市川中車”として追悼コメント「天翔ける心を持って、成し遂げた俳優」

 歌舞伎俳優の市川猿翁(いちかわ・えんおう、本名喜熨斗政彦=きのし・まさひこ)さんが13日午前6時55分、不整脈のため亡くなったことを15日、松竹歌舞伎座が発表した。83歳だった。葬儀・告別式は親族葬で執り行う。また、猿翁さんの一人息子・俳優の香川照之も歌舞伎俳優・市川中車として追悼コメントを発表した。

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 歌舞伎界の大物が旅立った。東京都生まれの猿翁さんは、慶応大卒業後の1963年に「大名跡」の3代目市川猿之助を襲名した。しかし、同年に祖父の猿翁、父の段四郎が相次いで死亡。後ろ盾を失った状態になったが、68年に「宙乗り」を演目『義経千本桜』を復活させるなどし、エンターテインメント性あふれる猿之助歌舞伎を確立した。86年にはスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』『オグリ』『新・三国志』などを次々と上演。“歌舞伎界の風雲児”として人気を博し、「宙乗り5000回超」はギネスブックにも登録されている。

 私生活では65年に俳優・浜木綿子と結婚。長男の香川が誕生したが、68年に離婚した。理由は12歳年上で、日舞の6世藤間勘十郎夫人で俳優の故藤間紫さんとのダブル不倫関係だった。85年には紫さんも離婚し、2人は2000年に結婚した。猿翁さんと香川は長く会うことはなかったが、紫さんが間に入って親子関係が45年ぶりに修復。09年に紫さんが亡くなると、葬儀には香川も親族として参列した。そして、11年9月27日には猿翁さんがおいの市川亀治郎に市川猿之助を襲名させ、自身は2代目市川猿翁を名乗った。同時に香川が市川中車として、香川の長男・政明が市川團子として歌舞伎界に入ることが発表。その際、猿翁さんは涙ながらに「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう」と、前妻の浜に感謝の言葉を述べた。

 文字通り、名門「澤瀉屋(おもだかや)」を支えた人生だったが、今年5月には弟市川段四郎さんを亡くし、おいの猿之助は両親に対する自殺ほう助の罪で起訴され、来月初公判を控えている。自身は近年、公の場に姿を見せることはなったが、悲しみを抱えての旅立ちとなった。

市川中車(香川照之)
「9月13日、父、二代目市川猿翁が天命を全う致しました。長く険しく、それでも『夢』に邁進した歌舞伎俳優人生でした。一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます」

市川團子
「私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。この先は、祖父が大切にしていた『天翔ける心』『夢見る力』を忘れずに、精進して参りたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます」

次のページへ (2/2) 【写真】『ヤマトタケル/大碓命』(1998年9月・大阪松竹座)で宙乗りする市川猿翁さん
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