韓国メディアが「国の恥」と酷評 世界スカウト大会、日本人はどう見た? 「30万円を出した価値はない」の声

夏休み、韓国で大きな物議を醸したのが、ボーイスカウト・ガールスカウトの祭典「世界スカウトジャンボリー」(以下、世界ジャンボリー)を巡る混乱だ。約150か国4万人以上の若者が参加した4年に1回のイベントは、1日の開幕後に熱中症で倒れる子どもが続出。キャンプ地の劣悪な衛生環境と猛暑を理由に、米英の隊員計6000人が早期に撤退するなど異例の展開となった。さらに台風の接近で全隊員の撤退が決まると、行き場を失った各国隊員たちは、韓国各地に派遣され、残された日程を過ごした。「ジャンボリーが失敗」「国の恥」と韓国メディアは非難ごうごうとなったが、参加した日本人はどう受け止めたのか。帰国した男性に話を聞いた。

韓国セマングムで行われた世界スカウトジャンボリー【写真:本人提供】
韓国セマングムで行われた世界スカウトジャンボリー【写真:本人提供】

韓国メディア辛辣 「ジャンボリーが失敗」「国の恥」

 夏休み、韓国で大きな物議を醸したのが、ボーイスカウト・ガールスカウトの祭典「世界スカウトジャンボリー」(以下、世界ジャンボリー)を巡る混乱だ。約150か国4万人以上の若者が参加した4年に1回のイベントは、1日の開幕後に熱中症で倒れる子どもが続出。キャンプ地の劣悪な衛生環境と猛暑を理由に、米英の隊員計6000人が早期に撤退するなど異例の展開となった。さらに台風の接近で全隊員の撤退が決まると、行き場を失った各国隊員たちは、韓国各地に派遣され、残された日程を過ごした。「ジャンボリーが失敗」「国の恥」と韓国メディアは非難ごうごうとなったが、参加した日本人はどう受け止めたのか。帰国した男性に話を聞いた。

 ずさんな運営と韓国側の準備不足が連日報道された世界ジャンボリー。11日にはソウルで「K-POP SUPER LIVE」が盛況に終わり、最後は開催国としての溜飲を下げる形となったものの、世界の評価はさんざんだった。

 日本からは約1500人の隊員が参加した。世界ジャンボリーは初めてだったというShqllow(@tamago_kun8)さんは、東京での結団式後、7月30日に韓国に向けて出発。8月1日に全羅北道セマングムのジャンボリー会場に着いた。

「特に過酷だったのは、やはり暑さです。ツイッター(X)のリプライなどで、『給水場に行けば済むのでは?』と言われましたが、私たちのキャンプから給水場までは200メートルほどあり、水のタンク2個、約10キロほどの荷物を持って400メートル往復するとなると、それだけでも大変です。持ってきた水はぬるくなりますし、いちいち水筒を持って行って給水するのも大変でした」

 隊員は14歳から17歳の子どもが大半で、テントで寝泊まりする生活だった。会場はもとは干潟の埋め立て地。暑熱対策があまりされておらず、日光を遮るものはなかった。特に初日は「飲料水の配布が1回だけでした」という悲惨な状況で、熱中症を訴える隊員が次々と病院へと運ばれた。

 ただ、男性によると、主催者サイドはすぐに対応。運営の不備は3日目には劇的に改善されたという。

「それ以降は水や氷などが大量に配給されたので、水を全員分確保できたり、クーラーボックスで水を冷やしておくこともできました。また、会場の中に日よけのための緑のトンネルができたので、あまり問題に感じませんでした。初日と2日目に発生した問題のほとんどが解決されたので、そこに関しては感謝しています」

 米英は6日目に撤退しているが、日本隊は踏みとどまった。環境が整い、世界ジャンボリーのだいご味である他国との交流も活発に行われた。

「毎日交流していました。緑のトンネルの中にみんな自分たちが持ってきたものを広げて、交換会みたいなものをやっていたり、いろんな国や隊のキャンプ地に行って直接交流や物を交換したりしました」

 時間は有意義で、「熱中症の対策がすぐに行われていたので、そこまで苦労したことはないです」と、強調した。

 その後、台風の接近により、8日目にセマングムを撤退。日本隊の受け入れ先は忠清北道丹陽の救仁寺で、閉会式までの4日間を寝泊まりすることになった。

 男性は「逆に撤退してからのほうが大変でした」と振り返る。

「寺でコロナの患者が多く発生してしまって大変な状態になってしまったのと、寝る場所が雑魚寝でみんなのパーソナルスペースがあまり確保されていませんでした」と、理由について説明した。

救仁寺での食事は精進料理で質素だった【写真:本人提供】
救仁寺での食事は精進料理で質素だった【写真:本人提供】

食事は肉のない精進料理 「30万円を出した価値はない」

 食事は寺の精進料理だった。肉類はなく、白米とスープ、そして漬物などのわずかなおかずが乗っているだけだ。数百人が大部屋に雑魚寝する中で、発熱したり感染症を患う隊員が続出。寺の住職や地域、企業が協力し、途中から果物やカップラーメン、消毒液、マスクなどが無料配布されたが、衛生面が担保された快適な生活とはほど遠い状況だった。また、同じ宿泊地に他国の隊員はおらず、世界ジャンボリーの意義は薄められた。

 日本隊は閉会式後、空港の近くの施設までバスで移動。そこで早朝まで待機し、帰国の途に着いた。

 世界ジャンボリーは1920年から開催されている歴史ある大会。とくに先進諸国の参加費は高額で、海外では長期間のアルバイトや寄付を募って“一生に一度”のイベントに参加する隊員もいた。

「国ごとによって違うみたいですが、聞いた話だと米英は60万円くらい。日本は自国から会場までの移動費込みで30万円ほどでした」

 果たして、費用に見合う価値があったのかという問いに対しては、「30万円を出した価値は撤退したことを考えたらないと思います。ただ、あのままセマングムに残っていたら、払った価値はあると思いました。同じ隊の人も『寺に行くくらいなら、まだセマングムにいたほうがよかったかもね』と言っていましたね」と返答し、世界ジャンボリーを総括した。

次のページへ (2/2) 【写真】過酷な撤退後の受け入れ先
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