川嶋あいラスト8.20公演 あだ名で呼び合う元マネ振り返る等身大 替え玉3つ完食の大食いの一面も

シンガー・ソングライターの川嶋あいが20日、東京・LINE CUBE SHIBUYA(元・渋谷公会堂)で最後の『8.20公演』を行った。2002年に16歳で路上ライブを始め、翌03年に音楽ユニット・I WiSHのaiとしてデビュー。以降、育ての母の命日である8月20日には毎年、同所でライブを開催してきた。しかし、声帯の不調により、20周年を迎えた今年でラストにすると決断。遂にやって来たこの日、『天使たちのメロディー』『時雨』など路上時代の曲を含め、『明日への扉』『12個の季節~4度目の春~』など全17曲を丁寧に歌いあげた。会場でその姿を見届けた元マネジャーの記者が、川嶋への思いをつづった。

東京・LINE CUBE SHIBUYAで「光」に包まれて歌う川嶋あい【写真: ホリウチレイ】
東京・LINE CUBE SHIBUYAで「光」に包まれて歌う川嶋あい【写真: ホリウチレイ】

記者に転職後、出産後も「いつでも話、聞きますよ」

 シンガー・ソングライターの川嶋あいが20日、東京・LINE CUBE SHIBUYA(元・渋谷公会堂)で最後の『8.20公演』を行った。2002年に16歳で路上ライブを始め、翌03年に音楽ユニット・I WiSHのaiとしてデビュー。以降、育ての母の命日である8月20日には毎年、同所でライブを開催してきた。しかし、声帯の不調により、20周年を迎えた今年でラストにすると決断。遂にやって来たこの日、『天使たちのメロディー』『時雨』など路上時代の曲を含め、『明日への扉』『12個の季節~4度目の春~』など全17曲を丁寧に歌いあげた。会場でその姿を見届けた元マネジャーの記者が、川嶋への思いをつづった。(取材・構成=コティマム)

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 09~11年。私は川嶋とツアーやキャンペーンで全国各地を巡った。テレビ局での番組制作、音楽雑誌のライター職を経て、25歳でつばさレコーズに入社。未経験ながらメディアに自社アーティストを宣伝するプロモーター職に就き、川嶋のマネジャーも担当することになった。

 マネジャー初仕事の日。緊張しながら川嶋にあいさつをすると、彼女は飾り気のない腰の低い感じで言葉を返してくれた。当時23歳。とても落ち着き、達観しているかの印象だった。

 数日後、一緒に中野坂上のカフェでお茶をした。彼女はその場で、「ニックネームを決めて、あだ名で呼び合いませんか」と提案した。長年いるスタッフからは「あい」「あいちゃん」だったが、「違う呼び名にしよう」ということになり、「あい=LOVE=らぶ」と変遷し、「らぶさん」と呼ぶことになった。彼女は私の名前に「ちゃん」付けて呼び始めた。。

 そして、「うちは入社した新しい人や若手の人を私のマネジャーにすることが多いんですよね。宣伝の仕事とマネジャーの両方で大変かもしれないですけど、困ったら何でも話してくださいね」と言ってくれた。慣れない仕事にアタフタしている私を気にかけてくれ、心が救われた思いだった。

大きなスーツケースを持って2人で全国行脚 地元福岡のラーメン店では…

 現場では。年下のらぶさんから学ぶことばかりだった。“芸能人”というと、マネジャーが車を運転して、周囲に多くの取り巻きがついて…というイメージもあるだろうが、らぶさんは一緒に電車で移動。乗り換えしやすい号車や最短経路も把握していた。大きなライブやテレビ出演以外はメイクなども自前。1人で何でもできる人だった。

 ある時期からは一緒に全国各地を巡ることになった。2人で大きなスーツケースを手に、九州から東北まで、頻繁に遠征した。各地のライブハウスやイベント会場、テレビ局やラジオ局、新聞社などを周る日々。らぶさんの謙虚な人柄から、行く先々でさまざまな人が温かく迎えてくれた。そして、地方にも必ず顔を出してくれる熱心なファンの方もいた。地方会場では、キーボード1つでシンプルに弾き語ることが多かったけれど、らぶさん自身、歌声、作品が多くの人々に愛されていることを実感した。

“健康オタク”のらぶさんは、全国の岩盤浴情報までリサーチ。「仕事が終わったら、今夜はここに行きましょう!」と言い、ご当地の岩盤浴に行くことが恒例だった。地元福岡では、らぶさん行きつけのラーメン店で、替え玉3つをペロっと完食する姿に驚かされた。

 移動中の新幹線、電車、航空機、ホテルの部屋でも、いろいろなテーマで話をした。私は路上時代や劇的なデビュー時代にいたメンバーではないので、らぶさんの生い立ちや過去に踏み込むわけでもない。適度な距離感はあったけど、人生や音楽、好きな心霊話、『クレヨンしんちゃん』話などを延々と語り合った。

 私が会社を退職して記者に転じた後も、らぶさんは毎年、誕生日にお祝いコメント、メッセージ入りCDをプレゼントしてくれた。出産を経て生活が激変すると、「守るべきものが目の前にあるから、大変ですよね。いつでも話、聞きますよ!」と、心が軽くなる言葉を送ってくれた。

「終わりは始まりですね」 特別な日に区切りつけ、光を求めて歩き出す

 らぶさんが「8・20公演を最後にする」と決めた後、私は久しぶりにつばさレコーズに足を運び、らぶさんをインタビューした。決断の理由は「声帯の不調」だった。過去の楽曲も「どうしても、『あの時をあのまま再現』したい」の思いで手術も受けた。だが、回復には至らず、特別な8・20に区切りをつけていた。

 インタビュー中も今回の公演中も、らぶさんは「一筋の光」と言った。葛藤し、苦しんでいる中にも、「光」や「希望」を探したいという思いが感じられた。そして、ステージはキャンドル、ランタンなど淡く美しい光で包まれた。光の一つ一つは、これまでの楽曲を表現。『20年間で作ってきた大切な曲たちに光が灯っていく』というコンセプト。その空間で披露した17曲。私には、『明日への扉』『旅立ちの日に…』『…ありがとう…』なども、かつてのように伸びやかで透明感のある声で歌えているように思えた。

 ラスト8・20から一夜明け、らぶさんは「終わりは始まりですね。これから何を目標にして活動していくか、じっくり考えながらまた歩き出してゆけたらなと思います」と言っていた。区切りがついても、らぶさんの「光」「希望」を求めた旅は続く。私は記者として取材を続け、その姿、思いを伝えていきたい。

□川嶋あい 1986年2月21日、福岡県生まれ。2002年6月23日にキーボードで路上ライブをスタート。学生たちとCDを手売りし、03年に音楽ユニット・I WiSHのaiとしてフジテレビ系『あいのり』の主題歌『明日への扉』でデビュー。同年、育ての母の命日である8月20日に東京・渋谷公会堂でワンマン・ライブを実現。代表曲に『My Love』『compass』『大丈夫だよ』『とびら』など。『旅立ちの日に…』は卒業ソングの定番曲となっている。また海外での学校建設をライフワークにしている。

次のページへ (2/2) 【写真】川嶋あいが元マネジャーに送ったサイン&メッセージ入りCD
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