【週末は女子プロレス♯115】「毎日泣いていた」入門当初、21歳になった女子プロレスラーが飛躍できたワケ
ほんの一瞬の出来事、動作が人生を変えることがある。山口県下関市出身で現在21歳、SEAdLINNNG(シードリング)の海樹リコは、高校1年生のときにプロレスを初めて見て、その瞬間にプロレスラーになろうと決意したという。
SEAdLINNNG(シードリング)の海樹リコの人生を変えた瞬間
ほんの一瞬の出来事、動作が人生を変えることがある。山口県下関市出身で現在21歳、SEAdLINNNG(シードリング)の海樹リコは、高校1年生のときにプロレスを初めて見て、その瞬間にプロレスラーになろうと決意したという。
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「そのときの授業がタブレット授業だったんですよね。YouTubeをいじってたら、たまたまプロレスの動画が出てきたんですよ」
授業とはまったく関係のない動画をこっそり見ていたとき、おすすめ動画として現れたのが、女子プロレスだった。それは、シードリングのリングで17年1月26日に後楽園ホールでおこなわれた高橋奈七永と中島安里紗のシングルマッチだったのだが、当時の彼女はプロレスについてまったく知らないし、見たこともなかった。せいぜい知っていたのはテレビのバラエティー番組に出てくるようなプロレスラーの名前だけだった。
しかし、何の気なしにサムネイルをクリック。一瞬にしてプロレスの世界に魅了されることになる。授業中にもかかわらず……。
「何の授業だったか? まったくおぼえていません(笑)」
おぼえているのは、あのとき受けた衝撃だ。その試合は、前年末にJWPを退団した中島のフリー第1戦。将来をかけて臨んだ闘いで敗れた中島は試合後、奈七永にSEAdLINNNG入団を直訴する。
「試合もすごかったんですけど、負けた後の感じがすごかったんですよね。ここまで本気になれる安里紗さんがすごいと思ったんです。すぐに自分もこの人と同じリングに立ちたいと思いました」
小学生の頃からサッカーをやっていたという彼女。小学生時代には男子に混じり唯一の女子選手として全国大会にも出場したという。中学、高校では女子サッカーのクラブチームでプレーした。が、試合に負けたとしても冷静に受け止める方だった。それだけに、中島の悔しがりようが絶大なインパクトとして脳裏に焼き付いた。自分もこんなふうに熱くなりたい、と思ったのだろう。帰宅後、彼女は父親にプロレスラーになると切り出した。
「自分は神奈川県にあるプロレス団体に入りたいから明日学校をやめたいと正座して言ったんです。すると『学校を途中でやめるオマエにプロレスを続けられるわけがない』と言われました。そうかと思って、残りの2年間、卒業までは自分でやるしかないと決めましたね」
学校を卒業したらすぐプロレスラーになってやろう。そう決意した彼女は、自己流のトレーニングを開始する。授業をさぼり体育館でドロップキックの練習をした。体育教師に頼み込み、授業のプログラムを自分だけ変えてもらった。ほかの生徒が球技なら、彼女だけがマット運動といった具合だ。正直に打ち明けたとはいえ、よくそんなことが通ると思うが、彼女は当時をこう振り返る。
「自分、卒業してすぐにプロレスラーになりたいから授業を受けてる暇なんかないとか言っていたんですよ。言っても聞かない子だったので、先生も、まあしょうがないかって感じだったんでしょうね(笑)」
さらには、サッカーの練習が週末に限られていたことから、ハンドボール部とバスケットボール部にも入り、筋トレにも精を出した。すべてはプロレスのため。しかもプロレスラーになる決意を伝えようと、シードリングの南月たいようにも連絡を取っていた。
「南月さんからは『いつでもおいで』みたいな感じで返事をいただきました。ただ、下関から上京するので、お金の問題ですぐには行けなかったんですよね。それもあって、残りの高校生活は自己流で練習しようと思ったんです」
上京する費用を稼ぐためにバイトもした。そして高校を無事卒業。待ちきれない彼女は卒業式前の休みの期間に上京し、シードリングの練習生になった。「まさか本当に来るとは」「夢をあきらめていなかったんだ」と、受け入れた南月も驚くしかなかった。
念願の入門は叶った。プロレスラーになるため高校時代の大半をトレーニングに費やしたのだ。準備万端のはずだった。ところが……。
「自己流はあくまでも自己流。まったく通用しませんでした。全然ついていけず、毎日泣いていましたね」
それでもなんとか食らいつき、デビューにこぎ着けた。コロナ禍もあり、プロテストやデビュー日など当初の予定より遅れてしまったものの、海樹リコのリングネームで20年7・13後楽園でデビュー。シードリングは選手数が少なく、当初からそのプロレスセンスもあって重要なカードに抜てきされるケースが多かった。すでに中島とともに団体を背負う立場にいるような感さえある。
「そうですね。2年目くらいから自分でもそう感じていたかもしれないです。デビューしてすぐは絶対王者の中島さんに甘えてた部分があったかもしれないですけど、世志琥さんが欠場に入られたりとかあって、自分がより頑張らないといけないと思い始めましたね」
6月には笹村あやめとのコンビでビヨンド・ザ・シー・タッグ王座を初奪取
昨年12月には若手のためのタイトル、POP王座を獲得し、初戴冠。中島、夏樹も歴代王者に名を連ねているだけに、よりいっそうの喜びを感じると同時に、責任の重さも感じたという。そして今年6月28日には、真琴&朱崇花組とのラス・フレサ・デ・エゴイスタス(ラスエゴ)同門対決を制し、笹村あやめとのコンビでビヨンド・ザ・シー・タッグ王座を初奪取。これまでずっと切り崩せなかった真琴&朱崇花組の壁をようやく突破したのである。と同時に、笹村とのリトルツインベリーズでラスエゴを卒業。今後はこの2人で新たなる航海に打って出る。その第1弾が、8・25後楽園でおこなわれる夏すみれ&雪妃真矢組との初防衛戦。初対戦という状況や挑戦者組の個性の強さからしても、王者にとっては未知への挑戦になるだろう。
それにしても、笹村とのタッグは運命的としか思えない。かねてからよく似ていると言われる2人。デビュー当初から海樹はそれを意識しており、後輩だけに申し訳ないとさえ思っていたという。
「会場でよくお互いが間違えられました(笑)。似ているだけじゃなくて、髪の色を変えるタイミングまで一緒だったりするんですよね。会場に行ったら2人とも同じ色に変わってて、何度もビックリしました。インナーカラーで金にしたら(笹村も)金にしてるし、紫にしたら(笹村も)紫だし。ホントに申し訳ないと思っていたんですけど、それがきっかけでよく話すようにもなったんです。そこから自分でもタッグを組みたいと思うようになったんですよね」
初タッグは20年12・9新木場での真琴&朱崇花組戦。このときはマッチメーク上のタッグ結成で、試合後には海樹がラスエゴに勧誘された。2週間後に海樹はユニット入りを果たし、翌年4・26で海樹と笹村が初シングル。試合後、敗れた海樹が笹村にラスエゴ入りを提案した。すぐに返事はなかったものの、やがて笹村もラスエゴに合流。このあたりから笹村と海樹のタッグが本格化していくことになる。
「このチームは意思疎通もできてるし、私がコントロールされて、私もコントロールしてるって感じですね。もう全部一緒というか、(リング内を駆ける)歩数まで同じなんですよ。映像を見てわかったんですけど、歩幅が一緒で、走るタイミングまで一緒。ただ、合わせようとすると逆に合わないんですよね。決めないで自然にやった方が合うんです(笑)」
前タッグ王者の真琴&朱崇花組は実に1年半にわたり、ベルトを守り抜いた。ユニットを卒業したからには、前王者組の防衛記録を破りたい。団体旗揚げ8周年記念となる8・25後楽園では、中島がSareeeを迎え撃つビヨンド・ザ・シー・シングル王座戦がメインイベント。海樹はタッグ王者として初めての防衛戦。この2人がシングル、タッグでタイトルマッチをおこなうのはシードリングにとってとてつもなく大きな意味を持つ。だからこそ、2人ともベルトを守ったうえで大会のエンディングを迎えたい。
「私は安里紗さんにあこがれてシードリングに入り、プロレスラーになりました。あこがれてはいるんですけど、同じ団体に同じ選手は2人もいらないので、安里紗さんの要素も残しつつ、南月さんや世志琥さんの要素もあり、そこにプラスして自分のオリジナリティーある女子プロレスをやりたいと思ってます。まだまだ何も足りてないし、何年かかるかわからないけど、海樹リコのプロレスを確実にやりたいと思ってます」
今後の抱負をこのように語った海樹。そこにあるのは“シードリング愛”である。偶然見かけたYouTube、何気にクリックした瞬間がなければ今の海樹リコはあり得なかった。なぜあのときおすすめ動画として女子プロレス、高橋奈七永vs中島安里紗が出てきたのか。その謎は永久に解けないと思われるが、その瞬間に芽生えた海樹の“シードリング愛”は永遠だ。