盗作騒動から4年も傷癒えず 誹謗中傷と闘う女性画家の告白「当時の言葉がまだ刺さっている」

元銭湯絵師見習いでモデルの勝海麻衣さんが7月18日、4年に渡った誹謗中傷との闘いに区切りをつけた。銭湯アイドル・湯島ちょこ氏を訴えた民事訴訟で、相手に損害賠償を命じる判決が下った。これより前の刑事裁判でも被告に有罪判決が出ており、湯島氏の投稿は誹謗中傷と判断された。一時は心身が衰弱し、遺書を書くほど追い込まれた。現在も精神科に通い、リハビリの渦中にある。今、インターネット上の匿名の誹謗中傷をきっかけに命を落とす事例が続いている。誹謗中傷を減らすために、社会は何をすればいいのか。率直な思いを聞いた。

誹謗中傷の怖さについて語った勝海麻衣さん【写真:ENCOUNT編集部】
誹謗中傷の怖さについて語った勝海麻衣さん【写真:ENCOUNT編集部】

元銭湯絵師見習い・勝海麻衣さん 「強い悪意は人を簡単に壊す」

 元銭湯絵師見習いでモデルの勝海麻衣さんが7月18日、4年に渡った誹謗中傷との闘いに区切りをつけた。銭湯アイドル・湯島ちょこ氏を訴えた民事訴訟で、相手に損害賠償を命じる判決が下った。これより前の刑事裁判でも被告に有罪判決が出ており、湯島氏の投稿は誹謗中傷と判断された。一時は心身が衰弱し、遺書を書くほど追い込まれた。現在も精神科に通い、リハビリの渦中にある。今、インターネット上の匿名の誹謗中傷をきっかけに命を落とす事例が続いている。誹謗中傷を減らすために、社会は何をすればいいのか。率直な思いを聞いた。

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「騒動前、私はネットはバーチャルの世界であり、現実世界とは切り離されていると考えていましたが、実際はその先に人がいて、悪意を持って打ち込んでいると騒動後に実感しました。その誹謗中傷に対して、同意するコメントがたくさんついているのも見て、ショックを受けた覚えがあります。今まで受けた衝撃的な言葉たちは、かえしの付いてる矢のように抜けないです。日本中の人が非難して排除しようとしていると思いこませるほどの強い悪意は人を簡単に壊すと思います」

 勝海さんは誹謗中傷の怖さについて、こう警鐘を鳴らす。

 投稿した本人だけでなく、誹謗中傷を支持し、拡散に協力する人がいる。袋だたきにされているようだった。

「見ている側としたら、すごく膨大な人数の方が同じことを思っているという気持ちになるんですね。誹謗中傷した人は1人かもしれないけど、みんなで『わあ、そうだよね』と言っているように感じます。それを見たときに、『もう私はいなくなったほうがいいんだ』と思う方がいるのは理解できます」

 騒動から丸4年が経過した。裁判も終わったが、精神科に通い続けている。スマートフォンは持っているものの、SNSへの怖さから、ネットで書き込みを見るときは慎重になる。

「自分の名前は検索できないです。銭湯絵も検索できないですね」

 目に留まったバズっている投稿。ネガティブな注目の集め方をしているものだと、当事者でなくても不安な気持ちにかられる。
 
「他の方から指摘されて問い詰められているのを見るのも結構しんどいですね」

 匿名をいいことに、繰り返される陰湿な言葉の暴力、いじめ。2020年には元女子プロレスラー・木村花さんが恋愛リアリティー番組への出演を機に、バッシングにさらされ、死に追いやられた。日本でまん延する社会問題を、勝海さんは心配そうな目で見つめる。

「気にしない方はいると思うんですけども、それを軸に考えてしまうのはちょっと違うんじゃないかなと思います。みんながみんな、そんなに強い方じゃないです。あと私は芸能人でも何でもないですけど、一定数、『芸能人だったらそういうのも仕事のうちでしょ』って思っている方がいらっしゃると思うんですね。それはすごく不思議なんですよね。全然そんなことないと思っています」

 ズタズタにされた心は4年たっても癒えない。勝海さんは民事裁判の判決の日を緊張を持って迎えていた。判決が報じられる際、当時のことを思い返す人々がいる。再び、悪口を書かれたら……。

「いまだに富士山を見ると胸がドキドキしたり、当時の服が出てくると記憶が蘇るみたいな感覚もありますが、精神科で思い出したときどう対応するか向き合い方を教えていただいたので、当時よりは安定していました。ただ、報道が出たときに同じような爆発的なことは起きずとも何かまた繰り返すようなことが起きるんだろうなと思っていたので、ちょっと大丈夫かなって思っていたんですけども」

 予感は現実のものとなった。

「全然強くなっていなかったですね。また遺書を書き始めたときと同じだなって思ってしまいました」

 落ち込みは激しく、そのことにまた落胆した。応援してくれた家族や担当医にも言えなかった。

「父にも言えないですし、4年前すごく守ってくれてた家族に対して、それを突発的にしようとした自分がすごく恥ずかしくなって。あれだけ頑張ってくれてたのに、しかも裁判に勝ったのに、なんでこういう選択をしようとしたのか。冷静になって、やっぱり自分が全然乗り越えてないというか、当時の言葉がまだ刺さっているんだなと思いました」

 通常の生活はリセットされた。現在は記事を読み、コメントを確認することをやめている。

「見ないようにしたら、やっぱり気持ちがすごく楽になります」

師匠の銭湯絵師・丸山清人さん(右)【写真:ナカムラヨシノーブ】
師匠の銭湯絵師・丸山清人さん(右)【写真:ナカムラヨシノーブ】

炎上した謝罪文は事務所とPR会社が用意 「私の言葉ではないと言えなかった」

 2019年3月、東京芸術大学大学院に在籍していた勝海さんに盗作騒動が持ち上がった。炎上状態になったのは3月下旬に1回目の謝罪文を出したときだった。

「文面が謝罪ではないというか、私は悪くないんですけどすみませんでしたという感じの雰囲気だったので、それがバーッて広がって、そこからですね。この人は謝罪もできないって」

 謝罪文は当時の所属事務所とPR会社が用意したものだった。家族からは盗作を認めて早く正式に謝罪するよう促されたが、「賠償金で4億円払う可能性が高い。それでも謝りますか」と、突っぱねられた。騒動の発端となったライブペインティングの報酬額は1万7000円だった。時計の針を戻せるなら、このときかもしれない。「私の言葉ではないんですっていうのも言えなかった」と、悔しさをにじませた。

 2回目の謝罪文を出すまで、1か月近くかかった。「騒動について口止めされ、SNSは禁止されていました」。事情説明なく沈黙している間に、状況は悪化した。「人として終わっている」「死んでやり直したほうがいい」――。人物相関図が作成され、矛先は師匠の銭湯絵師・丸山清人さんや家族に向いた。湯島氏は勝海さんの経歴を否定し、虚偽の内容を真実であるかのように拡散させた。

 盗作を非難することと、事実でない情報を流すことは全く別のことだ。誹謗中傷は強い言葉とは限らない。

「盗作をし続けてる人ということで、人のものを取ることが趣味なんじゃないか。だから不倫もしてるんじゃないかとか、他でも盗みごとをたくさんしてる人なんだと思うという言葉もありました。その『思う』というのが、誹謗中傷ではないと思いつつも、その言葉にはすごくショックでした」

 バッシングは制御不能な状態に陥った。「すごく孤独でしたね。自分が何と闘っているのかも分からない状態で、ひたすらサンドバックにされる気持ちでいました」

 心身の体調を崩して精神科を受診。うつ病と診断され、抗うつ剤や睡眠薬を処方され、長い闘病生活に入った。体重は14キロも減った。

 回復に向かうためにしたことは。

「まずはネットを見ないというのが一番大きかったと思います。あとは、一緒にいて楽しい人とだけ一緒にいました。無理に人に会うとか、無理やり謝罪に行くことはしませんでした。『大概のことは時が解決するから』と言われて、本当ひたすら時がたつのを待っていた気がします」

 前に踏み出すきっかけになったのが欧州への放浪旅だった。大学の教授から「日本から出てみたら?」と提案され、公園や広場で似顔絵を描き現地の人々と交流した。

「自分が絵を描いたことで笑顔をもらって感謝されてチップをもらって、そのお金で宿を探してご飯を食べて……。すごく貴重な経験でした。1か月後に帰国し、またあの現実に戻されるかと思いましたが、気持ちがすごく前を向いていたのが実感できました。私を玩具として扱う人たちよりも見守ってくださる、応援してくださる方に目を向け、耳を傾けようと思えました」

 つらい状況下で、心が楽になる言葉もあった。勝海さんが最も悩んでいたのは、丸山さんを騒動に巻き込み、本人への謝罪ができないことだった。

「『丸山さんも麻衣ちゃんのこと分かってるから。ただ今はそっとしておいてあげて』と言ってくださった方がいました。私はパニックになっていて、ちゃんと誤解を解かなきゃってそればかり考えていました。そういうふうに諭してくださった方には本当に感謝しています」

今後も画家として活動していく【写真:ナカムラヨシノーブ】
今後も画家として活動していく【写真:ナカムラヨシノーブ】

「謝られても、和解のほうが厳しい」 誹謗中傷を減らすために必要な情報開示

 湯島氏は作り話を吹聴することにより炎上騒動を引き起こしたが、自身のSNSにて謝罪をする意思がないことを表明し、今でも従来の主張を継続している。

「刑事告訴で有罪になったときに、検事さんが、『謝罪に行ったらどうですか』と促してくださったり、『投稿を削除しましょうね』と言ってくださっているんですけど、言うことを聞いてくださらなくて、今に至りますね」

 裁判で勝利したとはいえ、結果はすっきりしたものにはならなかった。勝海さんは、自身への謝罪を求めてはいないが、丸山さんへは謝罪をしてほしいと願っている。

「私への謝罪はもう期待してないというか、謝られても、何か謝って和解しましょうって言われたほうが厳しいかもしれません。謝罪する気がなくて、このまま恨んでいきますっていうことであれば、そっちのほうが私も受け止めやすいなと思います。私は丸山さんや丸山さんのご家族への謝罪を希望しており、湯島氏には罪を罪と認めて反省することを求めております」

 誹謗中傷が少しでもなくなり、秩序が保たれたネットの世界を願う。

「ネットに書いてあることは全部が本当じゃないし、ちゃんと見極めて見ていかないと自分自身も大変なことになる可能性があるよっていうことを伝えられたら」と、勝海さんは訴える。誹謗中傷の発信はもちろん、安直に加担しないためには、スムーズな情報開示も必要だと主張する。「匿名性を薄くすることで抑制につながると思います。すぐ開示できるから問題になるよって思わせたら、セーブが効くんじゃないかなと思いますね」

 勝海さんは、今後も画家として活動する。「全く違う道で行こうかと思った時期もあったんですけども、やっぱり私には絵しかない。むしろやるべきだなと。実名でこれからも頑張りたいなって思っています」

 抵抗があった富士山の絵にも挑戦するつもりだ。「ちょっと大変かもしれないけど、頑張って富士山を書こうかと思っています」と、力強く前を向いた。

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