6cm、1個200円の“島バナナ”にかける気象予報士の情熱 忘れられなかった50年前に食べた味
気象予報士の森田正光さん(73)が、生産量が少なくなった沖縄の島バナナを「残したい」と熱心に活動している。島バナナとは沖縄で生産された全てのバナナを指すが、森田さんがこだわるのは1本6センチ、約200円の小ぶりな種類。約50年前、石垣島で初めて食し、10年前からは通販で購入。5年前から仲間たちと絶滅防止の活動を始めた理由を聞いた。
沖縄で年間10トンの収穫「絶滅させたくない」で協会も設立
気象予報士の森田正光さん(73)が、生産量が少なくなった沖縄の島バナナを「残したい」と熱心に活動している。島バナナとは沖縄で生産された全てのバナナを指すが、森田さんがこだわるのは1本6センチ、約200円の小ぶりな種類。約50年前、石垣島で初めて食し、10年前からは通販で購入。5年前から仲間たちと絶滅防止の活動を始めた理由を聞いた。
――島バナナを初めて食べたのはいつですか。
「50年前、気象協会東海本部で勤務していた頃、同僚3人で石垣島に遊びに行きました。そして、島の川平湾近くでお年寄りから、『食べてみて』と言われて渡されたのが、小さなバナナでした。口に入れた瞬間、リンゴのような酸味を感じました。あの味が忘れられなくて、10年前から通販で常備するようになりました」
――その小ぶりなバナナが絶滅の危機にあると。
「実は少しサイズが大きい(8センチ程度)のもあって、それ含めて年間約50トン。小さなものだけなら10トン程度と聞いています。10トンは1キロで1万人の計算なので、人口約150万人の沖縄でもほとんど流通していないのが現状です」
――なぜ、生産量は少ないのでしょうか。
「この種のバナナは、ハワイから明治初期に小笠原諸島に伝わり、沖縄に入ったと言い伝えられています。ただ、このバナナは農家で栽培されることはありませんでした。今の10トンも、一般家庭の庭先で植えられている木からできたもの大半です」
――農家が栽培しない理由とは。
「そもそもバナナは最低気温15度の環境でないと育ちません。日本でいえば、沖縄か鹿児島の離島に限られます。また、島バナナの木は高さが3~4メートルなので、台風が来るとすぐダメになってしまいます。病害虫の影響も受けやすく、痛みやすい。あとは泥棒です。今の価格で1個200円。勝手に獲って逃げて売りに出す人もいますので」
――そうした現状を知って、活動を始められたのですね。
「はい。きっかけは5年前、お天気キャスター養成講座『森田塾』の教え子である井上美穂さんが、自宅のある愛知から上京したことです。彼女が会話の中で『バナナが嫌い』と言うので、島バナナを食べさせたら『これはおいしい』『これ、広げましょう』と言うので、私が時間を見つけて沖縄に行くようになり、井上さんや仕事仲間を巻き込んで『島バナナ協会』を立ち上げました。会長は私です」
――活動の具体的な内容は。
「バナナの成育に詳しい方、実際に小ぶりな島バナナがなる木を持つ方々にお会いしてお話を聞いています。そして、一昨年には農家の土地を借りて、約30本の木を植えました。協会員、仕事仲間から1本1万円~2万円を集めての植樹です。私も気象解説で携わっているTBS系『Nスタ』キャスター・ホラン千秋さんの木もあります」
――農家が本気で栽培に取り組まなければ、生産量の増加は難しいと思いますが。
「確かにそうです。ただ、私は明治初期から存在すると思われる小ぶりなバナナを絶滅はさせたくありません。専門家の方に聞いて知ったのですが、このバナナにはリンゴ酸が含まれていました。価格は高くても、希少であり、美味なバナナを守っていくために、まずは存在を知っていただきたいという思いです」
――森田さんは73歳の現在も気象予報士として第一線で活動されています。仕事とは別に島バナナ協会の会長職も活力になっているのですね。
「はい。これからも何ができるかを考え、行動していきます。ぜひ、みなさんにも関心を持っていただきたいです」
□森田正光(もりた・まさみつ)1950年4月3日、名古屋市出身。高校卒業後、日本気象協会東海本部で勤務。74年、東京本部に異動。92年にフリーのお天気キャスターに転身し、気象予報会社ウェザー・マップを設立。95年2月の第2回気象予報士試験に合格。テレビはTBSが活動の場になり、現在は同局系『Nスタ』でお天気コーナーを担当している。株式会社ファーストキャビンHD社外取締役。趣味は読書、映画鑑賞、将棋。