“プロレスの神様”カール・ゴッチの墓が日本にあるワケ 裏にあったアントニオ猪木さんの尽力

7月28日は “神様” カール・ゴッチさんの命日。2007年に82歳で亡くなり、今年は17回忌になる。

2017年の納骨式には猪木さんら多くの弟子が集まった【写真:柴田惣一】
2017年の納骨式には猪木さんら多くの弟子が集まった【写真:柴田惣一】

毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.155】

 7月28日は“神様”カール・ゴッチさんの命日。2007年に82歳で亡くなり、今年は17回忌になる。

 今頃、天国で猪木さんとストロングスタイルについてトークバトルを繰り広げているだろう。空の上にも四角いリングはあるのだろうか。リングの上であぐらをかいて、語り合う師弟の姿が目に浮かぶようだ。

 ゴッチさんのお墓が東京・南千住の回向院に建立されたのは17年、没後10年の命日だった。納骨式には猪木さんを始め、木戸修、藤原喜明、前田日明ら多くの弟子が参列した。墓誌には猪木さんと並んで西村修の名前が刻まれているが、建墓には西村の尽力が大きかった。

 最後の弟子ともいえる西村は米フロリダ州タンパのゴッチさんのついのすみかを何度も訪れていた。訪問時には予定時刻の前から玄関前で待機。時報とともにノックするのが常だった。

 西村は「とにかくきちんとした方でした。家の中は整然としており、モノの置き場所も決まっていた。しかも、少しでも曲がっているとすぐに直していた。自分にも人にも厳しい方でした」と振り返る。

 ゴッチさん宅で同席した関係者によると、たくさんの赤ワインと葉巻をお土産に日本から訪ねて来る孫のような年齢の西村に、いつもは厳格な顔のゴッチさんも笑顔で迎え、プロレスの話を聞かせていた。一言も聞き漏らすまいと一生懸命な西村。ピンと張りつめた空気の中、プロレス談議は遅くまで続いたという。

 西村はゴッチさんの日本愛をよく知っていた。再来日を夢見ながら実現しなかったゴッチさんの想いを受け「日本にお墓を」と動き出した。

 先輩レスラーに相談すると「ぜひ」と賛同はされても、なかなか具体的な話にはならず進まない。地方の名刹(めいさつ)も候補に挙がったが、お墓参りが難しい。東京での墓地は予算もかかる。実際にいくつかの寺と交渉したが、それこそ桁違いの金額を出されている。

 そのころから始まっていたクラウドファンディングも考えたが「万が一、予定額が集まらなかったら、ゴッチさんに申し訳ない」と、プランから除外した。「亡くなって10年の節目でと思っていたが、もう少し時間がかかるかも」と挫折しかかったのも事実。

 そこで、西村の背中を押したのが長年のプロレスファンだった。墓地の候補として南千住の回向院が浮上したのも“プロレスの輪”だった。同院の住職はプロレスファン。2人は子どもの頃から、一緒に会場を訪れ、地方遠征にも出かけた仲だった。時には回向院の墓地でかくれんぼをしたという。

 お互い大人になり空白の期間があったが、再会すれば「あの頃」にすぐ戻る。手に汗握り熱狂した名勝負、楽しかった地方遠征。思い出話は尽きない。遅々として進まず暗礁に乗り上げた感のあった建墓の話を、持ち出したところ、住職は驚きながらも快諾してくれた。従来あった大きな石碑を移動させ、一番の場所を確保。プロレス愛に満ちた厚意で話は進んだ。

 とはいえ、都内しかも駅から徒歩5分もかからない便利な場所にある寺である。右から左とはいかない。墓地のめどは立ったが、墓石の費用等がかかる。そこで西村が猪木さんに何度か直交渉。追悼興行を開催し、その収益で協力していただけることになった。

命日を前にお墓参りに訪れた西村修【写真:西村修提供】
命日を前にお墓参りに訪れた西村修【写真:西村修提供】

外国人のレジェンドレスラーの中で唯一日本に墓があるゴッチ氏

 大名墓と呼ばれる立派な墓石。まるで威厳あるゴッチさんの堂々とした立ち姿のようだ。ゴッチさんが日ごろから口にしていた語録が刻まれた墓誌も完成。ゴッチさんの大好きだった赤ワインと葉巻も用意され、とうとう納骨式の日を迎えた。

 遺骨の大部分は本人の希望によりフロリダの湖に散骨されたが、ジョー・マレンコが残りの遺骨を抱いて来日。うだるような暑い日だった。降るようなせみ時雨の中、厳粛に納骨が執り行われた。読経の最中、大きな黒い蝶がヒラヒラと飛んで来た。手を合わせる参列者の頭上をゆっくりと回り、西方浄土なのか、西の方へ飛んで行った。まるでゴッチさんが蝶の姿を借り、建墓のお礼を言っているかのようだった。

 弔辞を読んだ猪木さんは、開口一番「元気ですかー!……と言っても10年前に亡くなっていますが」と、遺影を真っすぐに見つめながら語りかけた。予想通りの「元気ですかー!」に、法要の場が少し和んだ。

 その後の精進落としの席で「10年たっているからね。いつまでも暗くメソメソ悲しむのではなく、弟子たちはみんな頑張っていますよ、と元気なところを見せないと。元気があればお墓も建てられるってね。フフッ」と献杯し、和やかな雰囲気でゴッチさんの思い出話に花が咲いた。

 19年に亡くなった猪木田鶴子夫人が、西村をサポートしたファンに「今回はありがとうね。こんなに立派なお墓が建って、喜んでいます」と声をかけていた。

 実際に、お墓を訪れるファンは多い。墓前にワインなどが置かれている。何人ものレスラーが墓参りに訪れている。

 毎年、墓参りを欠かさない西村だが、今年も命日前に駆け付けている。「ゴッチさん、猪木さんがそちらにいかれました。お会いになりましたか? スパーリングしていますか?」とでも問いかけたのだろう。

 日本プロレス史には多くの外国人レジェンドもその名を残しているが、日本に墓があるのはゴッチさん一人。西村の熱い思い、それを支えた猪木さん、そしてファンの情熱が実現させたものだ。

「ゴッチさんのお墓を日本に建てるなんて、できないよ。無理無理。ハードルが高すぎる。どれだけの手間暇がかかると思っているの。お金もかかるし」と当初、懐疑的だった選手や関係者が多かった。しかし10年かかったが、立派に実現した建墓。プロレスの力がそこにはあった。

 7月は新盆、8月は旧盆。先祖に感謝をする季節でもある。プロレスファンにとっては力道山さんやゴッチさんはある意味、先祖である。東京・池上本門寺にある”プロレスの父”力道山さんのお墓が有名だが”プロレスの神様”カール・ゴッチさんのお墓もお参りに訪れてみては。プロレスファンならきっと何かを感じるだろう。

次のページへ (2/2) 【写真】ゴッチさんの建墓に役立てられた猪木さんの興行ポスター
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