78年前の沖縄に起きた事実が巨大な絵に 約20万人が命を落とした地上戦「戦争の本質に気付いて」
住宅街の上空を戦闘機が飛行していく。ごう音を響かせ離着陸が繰り返される米軍普天間飛行場(沖縄・宜野湾市)。隣接した「佐喜眞美術館」には、78年前に沖縄戦を体験した人たちの証言をもとに、戦場となった那覇市内で制作された「沖縄戦の図」(1984年)が展示されている。縦4メートル、横8.5メートルの絵が訴える声に耳を傾け、ドキュメンタリー映画『丸木位里(いり)・丸木俊(とし) 沖縄戦の図 全14部』を完成させた河邑厚徳監督は「感性に訴えかけてくる声を受け取ってほしい」と呼びかけている。
2人の画家が言葉にしなかった思いを探した2年間 「感性に訴えかけて行くる声を聞いて」
住宅街の上空を戦闘機が飛行していく。ごう音を響かせ離着陸が繰り返される米軍普天間飛行場(沖縄・宜野湾市)。隣接した「佐喜眞美術館」には、78年前に沖縄戦を体験した人たちの証言をもとに、戦場となった那覇市内で制作された「沖縄戦の図」(1984年)が展示されている。縦4メートル、横8.5メートルの絵が訴える声に耳を傾け、ドキュメンタリー映画『丸木位里(いり)・丸木俊(とし) 沖縄戦の図 全14部』を完成させた河邑厚徳監督は「感性に訴えかけてくる声を受け取ってほしい」と呼びかけている。(取材・文=西村綾乃)
日本兵が住民を虐殺し、辺り一面血の海になった「久米島の虐殺1」「久米島の虐殺2」。最後の激戦地・沖縄本島南部にある糸満で追い詰められた少女らが身を投げた「喜屋武岬」など約20万人が犠牲になった沖縄戦の実相や、戦後を描いたのが全14作の「沖縄戦の図」だ。被爆地の惨状を描いた全15作の連作「原爆の図」で知られる丸木夫妻は晩年、頻繁に沖縄を訪問し地上戦を体験した人たちの証言を集め、約6年をかけ大作を描き上げた。
「僕がこの絵と出合ったのは2020年の2月。絵を見ようと美術館に足を運びましたが、絵に見られているような気がして動くことができませんでした。後ろを振り向くと、壁には丸木夫妻に証言をした体験者の方々の写真パネルが飾られていて、両側から視線を感じました」
戦争のむごさについて「感性に訴えかける作品を作りたい」と考えていた河邑監督は、絵と向き合った際に「新しい出発点を見つけた」とドキュメンタリーを作ることを決意。2人の画家が言葉にしなかった思いを探そうと、美術館に通い始めた。
「3年間通う中で、丸木夫妻の絵からだけではなく、沖縄という場所を訪れる度に気付きがありました。戦争についてはもちろん、社会が抱えている問題についても。そして『知ってしまったからには、知らなかった自分に戻れない』という思いも大きくなりました。最初は金縛りにあったように動くことができなかった絵から、音楽や声が聞こえるようになって。映像作品は完成したけれど、これがゴールではないんです」
戦争の本質が描かれた作品を感性で受け止め、「自分はどのような未来を生きたいか」を考えてほしいと願っている。監督が作品と向き合っている最中の22年6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」で、沖縄市内の小学校に通う徳元穂菜(ほのな)さん(当時7歳)が平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」を朗読した。詩は家族で佐喜真美術館を訪れて目にした「沖縄戦の図」を見て感じたことがテーマだった。
「丸木夫妻が沖縄を訪問したのは80年代、戦争を体験した方々から話を聞き、絵が生まれました。そしてその絵に込められた思いを、平成の時代に生まれた穂菜ちゃんが受け取った。世代のバトンタッチがあの絵の前で行われたということに希望を感じました」
全14作の絵は、78年前の惨劇が中心だが、1975年に当時皇太子だった上皇上皇后両陛下が、沖縄を訪れた際の姿も描かれている。「生きたい」と願う思いに寄り添うように描かれた2人。その背景には、糸満にある、ひめゆりの塔で献花を捧げていたとき、火炎瓶を投げつけられた事件がある。
「読谷村の『チビチリガマ』に潜んでいた人たちは『鬼畜米兵に捕まることは恥だ』という同調圧力によって、家族など近しい人同士が互いに手をかけ命を落としました。同じ波平にある『シムクガマ』でも自決するべきという動きがありましたが、出稼ぎ先のハワイから戻った同市出身の男性が住民を説得し1000人近くの住民が生きてガマを出ました。絵が訴えるメッセージを受け止めること、さらに『どうして描かれているんだろう?』と考えていったその先に、平和があると信じたい」
映画は28日まで、ポレポレ東中野で。8月1日から6日までは、東京都写真美術館ホールで上映。ほか全国で順次公開される。
□河邑厚徳(かわむら・あつのり)1948年生まれ。東京大学法学部卒業後、71年にNHKに入局。『NHK特集シルクロード』、『NHKスペシャル・アインシュタインロマン』、『NHKインターネットドキュメンタリ・地球法廷』、『未来への教室』などのドキュメンタリー・シリーズを手掛ける。定年後はフリーランスで映像制作を継続。映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』(2012年)、『笑う101歳×2 笹森恒子 むのたけじ』(17年)、『鉛筆と銃 長倉洋海の眸』(23年)などの監督作品を持つ。