祖母が危篤なのに…上司「私なら帰らない」 ブラック企業の現実 「地獄を見た」と語る職場とは

就職した会社が実はブラックだったというのはどの時代になっても聞かれる話だ。その実態は職種によっても異なる。新著「ブラック企業で生き抜く社畜を見守る本」(ワニブックス)を上梓した玄田小鉄さんは、広告業界のデザイナーとして過酷な現実と向き合ってきた。「地獄を見た」と語る職場とはいったい、どんなものだったのか。

薄暗い部屋で生活する玄田小鉄さん
薄暗い部屋で生活する玄田小鉄さん

「終電で帰られたら困る」 会社に“軟禁生活”の驚くべき実態

 就職した会社が実はブラックだったというのはどの時代になっても聞かれる話だ。その実態は職種によっても異なる。新著「ブラック企業で生き抜く社畜を見守る本」(ワニブックス)を上梓した玄田小鉄さんは、広告業界のデザイナーとして過酷な現実と向き合ってきた。「地獄を見た」と語る職場とはいったい、どんなものだったのか。(取材・文=水沼一夫)

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 玄田さんは美術系大学を卒業後、都内のデザイン事務所に就職し、広告のデザイン制作を請け負っている。現在はYouTuberとしても活動している。

 広告業界と言えば、華やかなイメージを抱く人も多いだろう。しかし、末端の下請け会社では実情は全く違うと玄田さんは言う。

 入社する前に残業が多いことはある程度知らされていた。

「暗黙の了解みたいなところがあったし、事務所の社長からは、『そういう覚悟はあるのか』ぐらいのスタンスでの面接があった。『みんな忙しいときは徹夜もするし、事務所に泊まるし、それでも大丈夫なのか?』みたいに言われましたね」

 そのときは半信半疑の部分もあったが、実際は想像以上にハードな職場が待ち受けていた。午前10時から始まる勤務時間は激務のときは、「終電で帰られたら困る」と言われ、午前3、4時の帰宅は当たり前。期日までに納品するため、会社に泊まり込むこともたびたびあった。平日の作業だけでは終わらないので、休日もサービス残業をせざるを得ない。にもかかわらず、手取りは16万で、時給換算にしたら500円という低水準だった。

 いくら働いても残業代はなく、ボーナスも支給されない。賃上げとも無縁の会社だった。「昇給は一切ないですね。ボーナスがないことは業界的にある程度当たり前なところもあるので、受け入れてはいるんですけど、昇給は『あ、こんなにないもんなんだな……』っていうくらいなかったです」。デザイナーは「奴隷」、広告デザイン業界は「地獄の数珠つなぎ」と、玄田さんは表現した。

 会社内はピリピリした空気に包まれ、パワハラなどのハラスメントも横行していた。

「シンプルな言葉だと、『死ね!』みたいな、単純な暴言ですね。こちらが何かささいなミスをしたときだったり、大体が先輩や上司が余裕がないときに、そういうことを言われます。みんな心の余裕がないので、そういう人と仕事を一緒にしていると、何かにつけて文句みたいなものが発生します」

 体が動いている限りは、常に仕事、仕事の生活。上司や同僚も同じか、それ以上に働いており、無言の同調圧力の中で、正常な感覚はまひしていった。ブラックな部分をとがめたり、職場の異常性を訴え出る者はいなかった。

「上司とか他のチーム長も何か話の中で(労働環境について)愚痴っぽく話したりするんですけど、結構ガチめなトーンで、『そういうことを気にするんだったら辞めたほうがいいよ』みたいなことを言うので、この人たちに話しても無駄だなってみんながなっていました。長時間労働は業界的に当たり前で、そこを気にするんだったら別の会社に行けばいいとか、『広告の仕事をしていてハードワークはしたくない』というのは、本当に受け入れられない風潮があります。生産性の悪いことをみんな学校の部活感覚で頑張り続けるっていう風潮なので、『仕事だけじゃなくプライベートも充実させたい』という価値観を持つこと自体が拒絶されていました」

新著「ブラック企業で生き抜く社畜を見守る本」
新著「ブラック企業で生き抜く社畜を見守る本」

血も涙もない上司 忘れられない祖母危篤時の暴言

 そんな中、玄田さんがもっともつらかったと話すのは、入社して2年目に起こった出来事だった。

 祖母が危篤状態になり、「明日実家に帰りたい」と、上司に相談すると、思いもよらない答えが返って来たという。

「帰ってもいいけど、私なら帰らないけどね」。この上司は10年帰省していない“社畜中の社畜”だった。「ちょっともう、人としての一線をこの人は越えちゃってるな、正直この人ともう関わりたくないなと思ってしまいました」。玄田さんは非人道的な対応に絶望し、初めて退職が頭によぎったという。

 それでも、ただちに辞めることはなかったのは、仕事そのものにはやりがいを感じていたためだ。「面白い仕事とか規模の大きい仕事もやれる領域だったので、この人が面倒くさいからという理由で、自分のキャリアを寄り道するのはもったいないなっていうスタンスでした」。スキルを習得する“修業の期間”として捉え、わずらわしい人間関係には向き合わず、歯を食いしばって耐えた。

 ただ、これほどの激務だ。心休まる日はなく、健康状態はみるみる悪化していった。コーヒーの飲み過ぎでカフェイン中毒になり、胃腸薬が手放せない。さらに、血便をする日も増えていった。「便器いっぱいに鮮血が飛び散り、それをバレないように掃除していた」と記す。それでも、病院に行く時間はない。うつ病を発症するなど、精神が崩壊するまで追い詰められた同僚の姿も何人も見てきた。

「仕事はめちゃくちゃ不規則で、寝る時間もバラバラな状況だったので、自律神経を崩す流れから、うつ病になったりストレス性のぜんそくやストレス性のじんましんを患いながら働いている女性もいました。うつ病とかで病院に診断書を出してもらって休職して、戻ってきたけどやっぱりまだ働くのは難しいと退職していくパターンがすごく多かったですね」

 手取りが少ないため、6畳1Kの家賃6万6000円のアパートで暮らす。将来結婚を考えても、道のりすら見えない。「出会う時間とか全然ないです。休日も出かける気力もなくという感じですね」。社内も独身が多数。運よく結婚できたとしても、パートナーに仕事への理解は欠かせない。「結婚して子どもを中心でってなったときに、別のホワイトな制作会社に移るとか事業会社に移っていく人が多いですね」と、育児との両立を考え、離職するケースも目立つという。

「仕事として捉えるとたぶんできなくて、趣味の一部としてとか、強い何か目標達成とかビジョンを持ってないと続けられないなっていうのはずっと思っています」

 玄田さんは会社だけでなく、広告デザイン業界に対してもブラックな体質の改善を望んでいる。

「最低限、法律は守った仕事の進め方をしていきたいというのはありますね。ルールを守った上で成果を出すっていうことを知っていかないと、どんどんいろんなことが崩壊していくんだろうなっていうのは感じます。特に広告業界は時間ある限り、全てを人海戦術的に進めて何とか、解決しているような状況。生産性がすごく悪いことをみんな部活感覚でやって、この先に未来はあるのかなと思うので、与えられた時間の中で成果を出す意識を広告業界に勤めているみんなが持って取り組んでほしいなと思いますし、自分自身もそうしていかないといけないなと思っています」と、訴えた。

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