47歳インリン「M字開脚」再挑戦の理由 台湾に戻って13年…語った夫の存在、3児の子育て

2000年代、「M字開脚」ポーズで人気だったタレントのインリンが30日、『インリン・オブ・ジョイトイ写真集 すべて今の時ゎ最後の時~最終話』を発売した。結婚を機に生まれ育った台湾に戻り、夫と3人の子どもに囲まれながら幸せな毎日を送っている。47歳の今、なぜ、彼女は大胆な撮影に挑んだのか。その理由を聞いた。

台湾での生活を語ったインリン【写真:(C)ハリプ/講談社】
台湾での生活を語ったインリン【写真:(C)ハリプ/講談社】

家族が賛成した“人生最後のセクシー写真集”を発売

 2000年代、「M字開脚」ポーズで人気だったタレントのインリンが30日、『インリン・オブ・ジョイトイ写真集 すべて今の時ゎ最後の時~最終話』を発売した。結婚を機に生まれ育った台湾に戻り、夫と3人の子どもに囲まれながら幸せな毎日を送っている。47歳の今、なぜ、彼女は大胆な撮影に挑んだのか。その理由を聞いた。(取材・構成=福嶋剛)

 お久しぶりです。インリンです。今年に入り、私に人生最大の困難が立て続けに起こりました。春節後に父親が倒れて看病する毎日を送っていたら、顔の左側に痙攣(けいれん)の症状が出てしまい、その後、自転車事故で転倒して肋骨(ろっこつ)3本を骨折して入院しました。他にも現金やノートパソコンなどの盗難被害や風邪で高熱にうなされていたら、家が水漏れしていることが判明したり……。信じられないくらい大変なことばかりで、骨折してから2か月くらいたってようやく普通の生活ができるようになりました。だけど、いまだに体勢によっては痛みを感じたりします。

 でも、良いこともありました。退院して家に帰ると、ママを心配して子どもたちが見よう見まねで家事をやってくれたんです。長男は今年から中学生で、双子の次男と長女も小学4年生になりました。退院してもしばらく家で横になったままだったので、それを見た次男は食器洗いをしてくれたり、みんなでお掃除してくれたり。そんな一生懸命やってくれる気持ちがとてもうれしくて、私も「頑張って乗り越えよう」という気持ちになりました。そういう意味では、あらためて家族の大切さを実感した数か月だったのかもしれません。

 振り返ると、長男が生まれて2010年に台湾に戻ってから自分の時間がなくなりました。双子が誕生してからは完全に余裕がなくなりました。2人が3歳になるまでは、今日1日の記憶がなくなるくらいでした。

 子どもたちにとっては厳しい母親かもしれませんし、自分でも“うるさいママ”だと思います。やっぱり、最低限のマナーをしっかり持って大きくなってほしいから、理由をちゃんと伝えた上でやってはいけないことは『ダメ』と言っています。例えば、「ゴミは必ず持って帰ること。ポイ捨てはぜったいにダメだよ」ですが、自分も小さなゴミは、ポケットの中に入れて、いつもパンパンにさせています(笑)。

 長男が生まれたときは「育児は絶対こうじゃなきゃいけない」と思っていました。実はそれが自分を苦しめていたのですが、双子が生まれたときに、「誰でも育児本のように『こうしなくちゃいけない』というのは良くないのかな」と気が付きました。それからは個性を伸ばしてあげる接し方に変わりました。苦手なことに直面しても、「不器用も個性だよ」「大丈夫。自信を持って」と話しながら、得意分野を見つけてあげるように心がけています。

「撮影前は筋トレをしたり、ヨガをやったりで大変でした」【写真:(C)ハリプ/講談社】
「撮影前は筋トレをしたり、ヨガをやったりで大変でした」【写真:(C)ハリプ/講談社】

次の目標はM字開脚の得意な「2代目エロテロリスト探し」

 そんな私が人生最後のグラビアに挑戦して14年ぶりに写真集を作りました。コロナ禍を経て、ようやく日本と台湾を自由に行き来できるタイミングになったとき、ユニット「ジョイトイ」の相方で、写真家・作詞作曲家から「久しぶりに写真集のオファーが来たよ」と連絡が来ました。YouTubeやSNSでも「グラビアが見たいです」と昔からのファンがコメントしてくださるのを見ていたのですが、正直なところ、私の中では写真集だけじゃなくて水着や露出の多いグラビアは、もう2度とやるつもりはありませんでした。やっぱり、子ども中心で生活していますし、私のグラビアは露出度が高いので、子どもたちや周りの人たちへの影響も考えて断るつもりでした。実は、子どもが生まれる前からグラビアのお話をいただくたびに、すごく悩んでいましたから。

 なのになぜ、「やろう」と決断したのかと言うと、夫の後押しがあったからです。夫は私がこれまでやってきたこと全てを肯定してくれて、子どもたちに対しても隠さないスタンスで私を伝えてくれました。「ママは過去にいろんなポーズをしたり、プロレスもやっていて、テレビにも出ていたんだよ。じゃあ、Siriに聞いてみる?」と言って。そしたら、「M字開脚」という言葉が出てきました(笑)。夫は「こんなポーズだよ」と言ながら、実際にそれをやってみせました。子どもたちも面白がってみんなで「M字開脚」のポーズになりました(笑)。そして、夫は「お母さんは特別な人間じゃないんだ。お仕事として日本で頑張っていたんだよ」と言ってくれました。

 私も考えてみたら、タレントの「インリン・オブ・ジョイトイ」として、ファンにサヨナラを告げる前に台湾に帰ってしまいました。だったら、感謝を込めて「『これでグラビアは最後です』と宣言し、集大成としてやってみよう」。そう決めました。

 撮影が始まると、「最後までインリン・オブ・ジョイトイとして強めで攻撃的なキャラクターに徹しよう」と決め、昔と変わらないM字開脚にもチャレンジしました。でも、でき上がった写真を見て、どこか柔らかい表情だったので「あれ?」と思いました。やっぱり、自分が歩んできた14年間の全てが表れているようで、『ああ、これが今の私なんだろうな』と思いました。体形もなかなか以前の状態には戻らなくて、撮影前は筋トレをしたり、ヨガをやったりで大変でした。

 これで露出の多いセクシー系のグラビアは「最後」という区切りがつきました。夫は「最後と言わず、もっと続けたらいいのに」と言ってくれますが、今までの私のグラビアをあえて見ていないのです。理由を聞くと、「ファンのための作品だから」と言っていました。でも、こっそり見ているかもしれませんけどね(笑)。

 今回の決断もそうですが、私にとって家族は“チーム”ですし、信頼関係が大切だと思っています。「浮気や不倫についてどう思いますか?」とのご質問をいただきましたが、家族が大好きな私は大丈夫です。もともと、理性的な人間なので、思い切りブレーキをかけますから(笑)。

 あらためてお伝えしますが、私自身のグラビアは最後です。ただ、次は私が裏方になって、他の女の子の写真集を作ってみたいです。今回の写真集でも、私が撮影場所を探したり、結構、裏方の動きもやっていました。『そういう仕事が好きなんだ』ということも気が付きました。今回の写真集が完成した時も、被写体としての自分だけじゃなく、全体的なでき上がりの満足感や、充実感というのもありました。さあ、M字開脚の得意な2代目エロテロリストを探さなきゃ(笑)。

□インリン 1976年2月15日、台湾・台北市生まれ。10歳で家族と来日し、95年にデビュー。過激な衣装や大胆なM字開脚ポーズで人気を博し、数々の写真集が大ヒット。2004年からプロレス団体のハッスルでも活動し、「インリン様」と呼ばれた。現在、台北市在住。

YouTube「インリンちゃんねる」:https://www.youtube.com/channel/UCUVJ6If8n2vqh7Udzh7gjIg

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