中村雅俊「歌も役者も生涯現役」 下駄ばきデビューから半世紀、松田優作さんに伝えたいこと

主演ドラマ『われら青春!』(日本テレビ系)の挿入歌『ふれあい』で俳優・歌手としてデビューした中村雅俊が、2024年に活動50年を迎える。長髪、パンタロンのジーンズに、げたといういで立ちが印象的なドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)など、これまで出演した主演作は100本を超え、各地を巡るコンサートは1500回を超えた。迎える節目は通過点。「歌も役者も生涯現役」と語る中村は、文学座で1期先輩だった俳優の松田優作さんに「『オレ、頑張っていますよ』と伝えたい」と気を引き締めた。

「歌も役者も生涯現役」と力強く話した中村雅俊【写真:ENCOUNT編集部】
「歌も役者も生涯現役」と力強く話した中村雅俊【写真:ENCOUNT編集部】

来た仕事には最大限の努力を 努力を繰り返すことが

 主演ドラマ『われら青春!』(日本テレビ系)の挿入歌『ふれあい』で俳優・歌手としてデビューした中村雅俊が、2024年に活動50年を迎える。長髪、パンタロンのジーンズに、げたといういで立ちが印象的なドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)など、これまで出演した主演作は100本を超え、各地を巡るコンサートは1500回を超えた。迎える節目は通過点。「歌も役者も生涯現役」と語る中村は、文学座で1期先輩だった俳優の松田優作さんに「『オレ、頑張っていますよ』と伝えたい」と気を引き締めた。(取材・文=西村綾乃)

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 外交官を目指し、慶応大学に進学。英語上達のためにと入部したESS(英語研究部)が俳優の道に進むきっかけになった。

「スピーチ、ディスカッション、ドラマ、ディベートの4部門があった中で、『英語劇を習得できたらいいな』と憧れドラマ部門に所属しました。中学・高校時代はバスケットボール部でずっと体育会系だったので、初めての環境が楽しくて」

 3年生のときに経験した舞台で、芝居への興味がふくらんだ。岸田今日子さんなど数々の名優が研さんを積む「文学座」が研究所で学ぶ人材を募っていることを知り、親友と応募した。

「試験の当日、親友が寝坊してこなくてね。仕方がないから1人で新宿の文化服装学院に行きました。定員30人のところ1000人以上集まって、建物の外に人があふれていました。1次は漢字の試験や作文など。合格したと、ハガキが届いたときはうれしかった。2次はパントマイムとか、短いお芝居をやって。オレが慶応の試験を受けたときは、倍率が20倍だったんだけど、文学座の試験はそれよりも狭き門だったから。入所が決まったときはうれしかったですね」

 1973年に文学座附属演劇研究所に入り、翌年ドラマ『われら青春!』でデビューした。ドラマ挿入歌『ふれあい』は売り上げ100万枚を超える大ヒットになり、げたばきの青年は一気に全国区になった。

「『われら青春!』は先生役だったんですけど、先生役の役者はみんな歌を出すことが決まっていました。『ふれあい』がオリコンの週間ランキングで10週間連続1位になって、世の中がオレを知るスピードと、その理解が追い付かなくて。風呂なしのアパートで暮らす貧乏学生気分のまま。“売れっ子”なんていう意識は薄かった」

 飛ぶ鳥を落とす勢いの中村の活動を見つめていた文学座の先輩、松田優作さんからは苦言もあった。

「優作さんが出演していた『太陽にほえろ!』とオレのドラマのプロデューサーが同じ、マネジャーも同じとか縁があってね、『俺たちの勲章』ではダブル主演しました。地方で撮影をしたときは、一緒に酒を飲んだこともありました。優作さんはプロ意識が強くて、役者としてやるべきこと、してはいけないことを守っていたけど、オレはそうじゃなかったから歯がゆく思っていたんじゃないかな。ある日ポロっと、『役者は歌っちゃダメだろ』って。その後、原田芳雄さんらに影響されて、優作さんも歌い始めるんだけどね」

 約半世紀の活動の中で、主演ドラマや映画は100作を超える。今年は主演ドラマ『おもかげ』(NHK)で定年を迎えた日に倒れ、意識を失う65歳の男を演じた。ほか俳優の亀梨和也主演のドラマ『正義の天秤season2』(NHK)ではカリスマ弁護士・佐伯真樹夫にふんすなど大活躍だ。

「文学座の試験をすっぽかした親友は、その後新聞記者になってオレを取材してくれたし、いろんな出会いに支えられた50年でした。ひとことで言うなら、ツイてた。オレは芝居も歌もめちゃくちゃうまいわけじゃない。でも連続ドラマの主演が34本あるっていうのは、神さまがそうしろと言ってくれているんだと思う。オレたち役者は受注生産。来た仕事に最大限の努力をして、努力を繰り返すことが大切なんだと思います」

 歌手デビュー後、コロナ禍までの45年間は、毎年ツアーに出て全国に歌を届けた。その数は1500回以上に上る。

「始めたときは学生気分だったけど、コンサート1500回以上、連続ドラマ主演34回、重ねてきたことがある。『これが正解』ということがないし、自問自答することも多いけど、優作さんが生きていたら、『オレ、頑張ったでしょ』って自分を誇りたい。『オレ、やって来ましたよ』って伝えたいです」

東日本大震災後 故郷・女川の支援も

 生まれてから高校を卒業するまで18年間暮らした宮城県女川町は2011年3月11日の東日本大震災で被災。震災1か月後に向かった小さな港町は、一変していた。

「住み慣れた景色が消え、商店街も駅舎も何もかもが壊滅的な被害を受けました。中学、高校を通じてオレのテーマは『女川を出ること』だったんだけど、変わってしまった様子を見て、自分の故郷がなくなってしまう喪失感がありました。地元の人たちを支えるために、できることはないかと、避難所になっていた体育館へ、ギターを持ってめぐるようになりました」

 復興支援に力を入れる中で「歌の力」を再確認した。

「大学2年のとき、女川の風景を歌詞にした『私の町』という曲を作りました。【♪トンネルを抜けると港が見えるのさ 短いホームに汽車は停まるだろう】って歌う、景色はもうないんだけど、この歌を避難場所で歌ったら泣きながら聴いてくれたんです。『懐かしい情景はないけど、歌を聴いたら思い出した』って。歌ってすごいなって、感動しました」

 歌を届けたい――。大学時代を過ごした神奈川にある、ビルボードライブ横浜(6月29日)を皮切りに、『中村雅俊Billboard Live 2023~The Look Of Love~』と題したステージを、ビルボード大阪(7月6・7日)、ビルボード東京(7月20・21日)で開催する。ステージではヒット曲『俺たちの旅』のほか、桑田佳祐が作詞・作曲した名曲『恋人も濡れる街角』などを披露する予定だ。

「歌い続けて今の喉の状態が1番ベストと感じています。役者の仕事は、朝早く起きてセリフを覚えて、終わってからも反省をして苦悩と共にあるけれど、歌は歌うことで解放される感じがあるんです。表現者として、アーティストとして経験を重ねた今だから伝えることができる、深みを楽しんでほしいです」

□中村雅俊(なかむら・まさとし) 1951年2月1日、宮城県女川町生まれ。慶応大学を卒業した74年にテレビドラマ『われら青春!』で俳優として始動。同ドラマの挿入歌『ふれあい』で歌手デビューした。映画、ドラマ、舞台など幅広くその才能を開花。歌手としてはシングル55枚、アルバム41枚をリリースしている。

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