過酷すぎた制限生活、体型への劣等感でバレリーナの夢を挫折 ダンサー森田万貴が帝劇に立つまで
身長156センチ、小柄な体格ながらエネルギッシュなダンスで数々の舞台に立つミュージカルダンサーがいる。埼玉県出身、27歳の森田万貴だ。
バレリーナを目指し感じた葛藤「持って生まれた骨格・スタイルが違いすぎる」
身長156センチ、小柄な体格ながらエネルギッシュなダンスで数々の舞台に立つミュージカルダンサーがいる。埼玉県出身、27歳の森田万貴だ。(取材・構成=コティマム)
2019年に早乙女太一主演の音楽活劇『SHIRANAMI』で商業作品デビュー。その後は21年に帝国劇場『マイ・フェア・レディ』、22年に市村正親主演ミュージカル『スクルージ~クリスマス・キャロル~』と有名作品に出演し、現在は帝国劇場で上演中の堂本光一作・構成・演出・主演『Endless SHOCK』『Endless SHOCK-Eternal-』に出演中だ(31日まで)。
00年の初演『Millennium SHOCK』から続く大人気作品のカンパニーに選ばれた森田だが、花開くまでにはバレリーナへの挫折や体形へのコンプレックスなど、苦悩があったという。今回、ミュージカルダンサーとして活躍する森田に、これまでの歩みや舞台人としての思いを聞いた。
4歳からクラシック・バレエを始めた森田。先に姉や従姉がやっていた影響で、物心ついた頃から音楽や踊りが生活の中にあったという。小学3年生のときに、トップバレエダンサー・熊川哲也が開校した「Kバレエスクール小石川校」のオーディションに合格。バレリーナを目指し、埼玉から通う日々が始まった。
――Kバレエでは本格的にレッスンを?
森田「これまでの教室とは全然違いました。小学生から太らないように気をつけなきゃいけない。お菓子もアイスやクリーム系はダメで、梅やフルーツ。スーパーに行っても試食も食べられないし、小学校の給食もおかわり禁止。私は食べるのが大好きで、食べたらすぐ太るタイプだったので、そこが一番のストレスで。今でも忘れられないのは、母が買っていた婦人雑誌の料理ページをながめて(空腹を満たして)いました。常に『食べたい』という感情。でも、周りの子はみんなもともと骨が細くてスタイルがよくて」
――コンプレックスがあった?
森田「中学生になる段階でKバレエを辞めました。技術うんぬんでなく、鏡を見たときに『持って生まれた骨格・スタイル』が違いすぎる。みんなキレイだしスタイルがいい。今思うと、食べ物のストレスや周りとの劣等感、そういうところから逃げたかったんだろうな。その後は地元のバレエスクールに通いました」
――ダンスは続けたのですね。
森田「ミュージカルも、ディズニーダンサーも、歌うことも好き。とにかくエンタメが好きだったので、バレリーナは諦めたけれど、ダンスを通して好きなものや他の道はあると」
その後、埼玉県立芸術総合高等学校に進学した森田は、舞台芸術科でジャズやモダンなどさまざまなダンスを学ぶ。この頃、帝国劇場で『モーツァルト!』を見たことで、「絶対にここに立ちたい。ミュージカル女優になりたい」と思ったという。高校卒業後は、さらに演劇と歌を学ぶために桐朋学園芸術短期大学の演劇専攻へ進学した。
商業作品デビュー後のスランプ「全くオーディションに受からなくて仕事もない」
桐朋学園で演技のほか、ミュージカル唱法、ソルフェージュなど歌を本格的に学び始めた森田。ここでは後の商業作品デビューにつながる運命的な出会いもあった。
――桐朋をきっかけにどんな出会いが?
森田「ソルフェージュの担当が、舞台の音楽監督をされている先生で、『ミュージカルを本気でやりたいなら、このダンスの先生に習え!』と、3名の先生を教えてくださったんです。そのうちの1人が、ダンスカンパニー『ドラスティックダンス“O”』を主宰する前田清実先生でした。清実先生は商業ミュージカルの振付をされていて、カンパニーには商業ミュージカルに出ている人がたくさんいらっしゃる。私も在学中から先生のもとを訪ねて、オープンクラス生としてレッスンを受けにいきました。短大とアルバイト、ジャズのレッスン、先生のクラスという日々を送っていました」
――卒業後は、東宝の「ミュージカルアカデミー」に入学されています。
森田「今はもうなくなってしまったのですが、ミュージカル界のトップクリエイターの方々が指導してくださる機関です。そこで1年間がっつりミュージカルを学んだあとに、清実先生のカンパニーメンバーになりました。とにかくあの頃は『がんばること』しかやれることがなかったので、レッスンとバイトの日々。そして清実先生からご縁をいただき、23歳の時に『SHIRANAMI』で商業作品デビューしました」
――デビューしたときはどんな気持ちでしたか?
森田「決まったときはうれしかったですが、稽古が始まったら何もできなかったんです。早乙女太一さん主演で、芸達者な方がたくさん集まっている作品でしたので、『みんなにはこんなにも特技があるんだ。私はダンスをやってきたけど、これ、武器にならないじゃん』と。みんな立っているだけで圧倒的なものがあった。今までやってきた自信が全て跳ねのけられた初舞台でした」
――デビュー前と後では変化は?
森田「実はデビュー後の方がきつかったです。全くオーディションに受からなくて仕事もない。先に活躍していった人もたくさんいて、『なんでこの子なの?』と泣きましたね。デビューして舞台を知った分、『立ちたいのに!』という思いがあってつらかった。でも、『今は自分の番じゃないんだな。違った作品に巡り合える』と信じて、気持ちを切り替えてモチベーションを保ちました」
ついに帝国劇場へ「このご縁は次に絶対つなげる」
デビュー後にスランプを経験した森田だが、21年に帝国劇場『マイ・フェア・レディ』のメンバーに最年少で抜てきされた。このオーディションはコロナ禍の20年に動画で行われたという。
森田「マイフェアは歌がうまい人たちばかり。私はキャラが違うかもと思いつつも、ダンスと歌の動画を送ったら合格で……! 帝国劇場というのもあって、高校時代からの夢がかなった! 震えましたね」
――初めての帝国劇場はいかがでしたか?
森田「帝国劇場はでかかった(笑)! とにかく夢中で、ついていくのに必死でした。自分が一番年下というのもあって、全員がベテランさんばかり。自分はただの『ダンス』になっていて、物語の一部になれていないなぁと。先輩を見てたたずまいや衣装の着こなし方、メイクも一から教わりました」
――学びがたくさんありそうですね。
森田「メイクひとつとっても、『こうしたらもっとかわいく見えるよ』とコンプレックスとの向き合い方を学びました。また、『この作品にはこの色は使わない方がいいよね』『村人だからこんな真っ赤な口紅はしないよね』『舞踏会のシーンはあでやかに』と、細かく教えていただき、使っているメイク用品も先輩に聞きまくりました」
――有名作品が決まって、その後の気持ちは?
森田「常に思っているのですが、『このご縁は次に絶対つなげる』という気持ちでいます。『この1作品だけで終わっていられない』と」
「絶対次につなげる」――。その言葉通り、この『マイ・フェア・レディ』公演中に、『Endless SHOCK』『Endless SHOCK-Eternal-』オーディションの声がかかることになる。
□森田万貴(モリタ・マキ)27歳、埼玉県出身。4歳よりクラシック・バレエを学ぶ。桐朋学園芸術短期大学を卒業後、東宝「ミュージカルアカデミー」を経て「ドラスティックダンス“O”」カンパニーのメンバーとなる。主な出演作は『SHIRANAMI』『ふたり阿国』『マイ・フェア・レディ』『スクルージ~クリスマス・キャロル~』『Endless SHOCK』『Endless SHOCK-Eternal-』。ドラスティックダンス“O”の前田清実氏の振付アシスタントとして、『アリージャンス』『DREAM BOYS』などの作品に携わる。渡辺ミュージカル芸術学院ダンス講師。