学年トップから留年危機にまさかの転落 アンゴラ村長、初の挫折から猛勉強した高校時代

国内最難関大学といえば、関東なら東京大、早稲田大、慶応大など名が思い浮かぶ。元気ハツラツ芸風で知られるお笑いコンビ・にゃんこスターのアンゴラ村長(29)は早大卒。埼玉県内の中学から早稲田大学本庄高等学院に合格し、早大文学部に内部進学した。早大本庄高の受験では、猛勉強で地元中学が対象の推薦入学枠に入った。これで早大進学が確定的になったが、入学後はさらに勉強が大変だったという。インタビュー連載2回目【高校編】では、早大本庄高での苦労を語った。

高校時代の思い出を語るアンゴラ村長【写真:山口比佐夫】
高校時代の思い出を語るアンゴラ村長【写真:山口比佐夫】

さまざまな個性を認め多様性を重んじる仲間たち「みんな心が広かった」

 国内最難関大学といえば、関東なら東京大、早稲田大、慶応大など名が思い浮かぶ。元気ハツラツ芸風で知られるお笑いコンビ・にゃんこスターのアンゴラ村長(29)は早大卒。埼玉県内の中学から早稲田大学本庄高等学院に合格し、早大文学部に内部進学した。早大本庄高の受験では、猛勉強で地元中学が対象の推薦入学枠に入った。これで早大進学が確定的になったが、入学後はさらに勉強が大変だったという。インタビュー連載2回目【高校編】では、早大本庄高での苦労を語った。(取材・構成=鄭孝俊)

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――早大本庄高に地元推薦で合格し、無事に入学。どんな生活でしたか。

「インタビュー(前編)を読んでくださった読者の方は、『アンゴラ村長って、頭いいんだな』と思ったかもしれません。中学でオール5、学年1位も確かですが、私は市内にある普通の公立中学校で1位なんですね。実際に早大本庄高に入学してみると、一般受験で合格した生徒はめちゃくちゃな頭の良さでした。私は最初の数学の小テストで10点満点中2点。『自分はもしかしたら勉強ができるんじゃないか』『オール5の人間なんじゃないか』と高をくくっていたら、いきなり2点です。そこで一気にしぼんだというか、勉強で挫折を初めて経験しました。実は早大本庄高は学業不振で留年する生徒が出ます。毎年1人、2人は当たり前で、それ以上の年もあります。例えば100点満点で50点以下を3回取ったら、もう留年っていう雰囲気です。定期テストの点数が留年判断のベースになってくるので、50点以下だったら、留年だと思うぐらいの覚悟が必要でした。ですので、最初の2点で『これはヤバイな』と。この“ヤバさ”から抜け出そうと必死でした(笑)」

――どうやって抜け出したのですか。

「私のクラスには推薦入学の生徒がたくさんいました。地元枠推薦ではなく、帰国子女推薦だったり、スポーツ推薦だったり、推薦がいろいろあって、そういう推薦組の生徒がテストの結果を受け取った瞬間にみんな『ヤバい』と青ざめて(笑)。そんな生徒同士から、仲間ができました。入学して最初の方はめちゃくちゃ留年が怖かったので、定期テストの2か月前ぐらいから放課後に職員室前のスペースに4人とか10人が集まって、みんなで勉強するんです。分担してプリントを配り、分からないところはすぐ先生に聞きに行く、ということを繰り返していました。留年したら学費が100万円増えてしまい、両親に迷惑をかけてしまいます。『100万円』『100万円』とブツブツつぶやきながら勉強を頑張り、1年生の頃はそれで何とかしのぎました(笑)」

――テストで苦い思い出はありますか。

「中には意地悪な先生もいるわけですよ。社会の問題が『○○について説明しなさい』という一文だけ。○○の部分が『満州』なら、発生が1931年、場所が中華民国の奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖、南満州の線路を関東軍が爆破……などなどと自分の頭の中から満州事変に関連する単語をひねり出していく。単語1つごとに少しずつ加点されていき、累計で100点に近づけていく仕組みです。これはめちゃくちゃ難しかったですね。本当に『何でそんな問題を出すのだろう』という怒りがこみあげてきました(笑)。ただ、このようなテストのおかげで記憶力、思考力、文章力、表現力が鍛えられた気はします」

――2年生以降の成績は。

「高2からSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)という特別なクラスに入り、そこからは結構、みんなで頑張ったという感じはありました。SSHクラスは理科や数学が得意な生徒向けですが、応募が少なかったのか、『理科や数学が苦手な生徒も来たらいいよ』みたいな感じでした。入ってみると理科、数学の授業が少人数になるので、先生と深いコミュニケーションが取れることが魅力でした。クラスの中でも理・数が得意な生徒と苦手な生徒を分けてもらえたので、苦手組だった私たちは『ここ分からないね』とボヤきながら授業を受けたり、先生も同じことを何回も繰り返して説明してくれたりしました。2年、3年とSSHクラスだったので、何とか留年しないで大学に進むことができました。勉強時間は放課後みんなで2時間ぐらい、帰宅後は1時間以上はやっていたかなって感じはします。学校の授業をボイスレコーダーで録音し、帰宅後に聴き直していました」

――学年順位はいかがでしたか。

「上位の教科は1つもないですね。真ん中とトントン、やや下をキープぐらいの感じでしたが、苦手のはずの理科、数学がSSHで鍛えられたので他の科目よりは成績が良かったです。留年を回避できれば、早大に内部進学できます。政経学部だけは学年上位の成績が必要だったようですが、他の学部は生徒の希望通りの学部に進めたと思います。私は文学部が第一志望でしたが、正直、学年のどの位置にいても入れたと思います」

――勉強しながらも部活に熱心に取り組んだそうですね。

「落語研究会に入部しました。『落研』といっても落語はしないで漫才です。そこでお笑いをやるようになりました。脚本家になりたかったので、演劇部に入って脚本を書いたりもしました。当時は結構売れっ子みたいな感じになりまして、ネタを書いたり、脚本を書いたりとかで。忙しかったですね」

――早大に進学できること以外に早大本庄高の魅力とは。

「私は本庄市に住んでいましたが、『早稲田は何かすごい大学だ』というのは聞いていたので、その付属校に入学できたのは幸運だったと思います。学校はすごく自由な雰囲気です。まず、服装が自由。私はイーストボーイの“なんちゃって制服”で通学していましたが、かわいい私服で行ってもいいですし、茶髪もピアスもOKでした。ただ、『勉強だけはちゃんとやれよ』という空気は張り詰めていました。それでも、いろいろな生徒が集まっていて多様性がありました。人とは違う意見や行動をすると多くの場合、無視やいじめの対象になってしまう恐れがありますが、早大本庄高は違っていました。変わった生徒を逆に面白がって『どうしてそう思うの?』『その考え、いいね』と言ってくれる仲間ばかりでした。さまざまな個性を認める、多様性を重んじるという雰囲気がとても気に入っていました。『特定の人が優れて、特定の人が劣っている』と考える生徒は、少なかったのかもしれないですね。それぐらいみんな心が広くて、個性的な人が多かったという印象はあります」

――具体的なエピソードはありますか。

「生徒は人との違いを面白がってくれる人が多かったです。2年生のとき、SSHクラスの国語の授業で自分の好きなことについて発表することがありました。私は好きなうさぎのぬいぐるみを勝手に『アンゴラ村長』と呼んで、紙芝居にして発表しました。普通なら『何、この子、痛~い』と言われた可能性が高かったと思いますが、クラスメートは『その名前の理由は?』と興味津々でした。うさぎが走っているように見せるため、残像が目立つように静止画像をプリントして『うさぎの運動会です』と紹介したら、『すごい!』『面白い!』とその授業で一番盛り上がってくれました。『何か変だよ』と切り捨てられてもおかしくないのに、そんなことはしない。『そのとき、人それぞれの違いを受け入れてくれるいい子たちだな』って思いました」(後編に続く)

□アンゴラ村長 本名・佐藤歩実(さとう・あゆみ)1994年5月17日、埼玉・本庄市生まれ。早大文学部演劇映像コース卒。2008年のテレビ朝日系『M-1グランプリ』決勝戦で優勝したNON STYLEに刺激を受け、お笑い芸人を目指すようになった。ワタナベコメディスクール20期生となり、コンビやピン芸人・アンゴラ村長として活動を本格化。17年4月にEコマース支援サービスの株式会社これからに入社し、フレックス社員として勤務するかたわら、スーパー3助とのコンビ・にゃんこスターを結成。同年10月1日放送のTBS系『キングオブコント2017』で決勝に進出し、注目を集めた。19年放送の日本テレビ系『女芸人No.1決定戦 THE W』では、あいなぷぅとのユニット・にゃんパーで出場し、準決勝に進出。150センチ。血液型B。特技はリズム縄跳び。

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