元フォーリーブス・おりも政夫「ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないで」 恩師ジャニー氏の性加害疑惑に思うこと

ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長(56)が、ジャニー喜多川前社長(享年87)の性加害疑惑に関する公式見解を示して1週間。同事務所初期のグループで元フォーリーブスのおりも政夫(70)が、ENCOUNTの取材に応じた。おりもはジャニーズOBの立場で、傷ついている人たち、ファンを心配し、事務所が改革を進めながら、この状況を乗り越えることを強く願っていた。

おりも政夫がジャニーズ性加害疑惑と自身のこれまでについて語った【写真:荒川祐史】
おりも政夫がジャニーズ性加害疑惑と自身のこれまでについて語った【写真:荒川祐史】

13歳から41歳までジャニーズ事務所に所属

 ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長(56)が、ジャニー喜多川前社長(享年87)の性加害疑惑に関する公式見解を示して1週間。同事務所初期のグループで元フォーリーブスのおりも政夫(70)が、ENCOUNTの取材に応じた。おりもはジャニーズOBの立場で、傷ついている人たち、ファンを心配し、事務所が改革を進めながら、この状況を乗り越えることを強く願っていた。(取材・文=柳田通斉)

ドラマ、アニメ、アイドル、K-POP、スポーツ…大人気番組が目白押しのお得キャンペーンを実施中(Leminoサイトへ)

 おりもはインタビュー開始前に言った。

「これはナーバスな問題です。僕は新たなことを言って騒ぎを大きくするつもりはないですし、どちら(告発者側とジャニーズ事務所)の擁護、弁護をするつもりもありません。ただ、傷ついてしまった人たち、僕を育ててくれたジャニーズ事務所の状況、何よりファンの方々が心配です」

 おりもは中1の13歳でジャニーズ事務所入りした。東京生まれで児童劇団に在籍していた1966年末、劇団仲間の永田英二に「ジャニーズに遊びに行ってみない」と誘われ、同事務所を訪問。初対面のジャニー氏から「You、いいね。おいでよ」とスカウトされたことがきっかけだった。

 翌67年1月には、後にフォーリーブスとなる4人の“ジャニーズjr.”が結成された。同年8月、日劇ウエスタンカーニバルに初出演。グループ名が正式にフォーリーブスに決まった。永田もメンバーだったが、小6だったため、同10月には青山孝史(ター坊)と交代。そのタイミングで、テレビ番組レギュラー出演が決まった。他の2人は北公次(コーちゃん)、江木俊夫(トシ坊)で、最年少のおりもはマー坊と呼ばれた。

「先輩グループのジャニーズがいるだけの小さい事務所でした。レッスン場は代々木にあるビルの4階。僕は都内の自宅からそこに通う日々でした」

 鍛錬されたフォーリーブスは、ステージで革命的なパフォーマンスを披露し始めた。

「コーちゃんが、アイドルで初めてステージでバク転をして話題になりました。そして、早着替え、マジックを取り入れたショー、4人がブランコに乗って上から登場したのも、フォーリーブスが最初でした。全てがジャニーさんのアイディアでした」

 68年9月5日、『オリビアの調べ』でレコードデビュー後、4人は瞬く間にトップアイドルになった。ヒット曲を連発し、70年からNHK紅白歌合戦に7年連続出場。ファンには日常的に追っかけられたが、おりもが25歳の78年にグループは解散した。

「当時は今のようにアイドルが長く活動できる時代ではなく、解散となりました。ただ、僕はジャニーズ事務所に残り、94年の41歳までお世話になっていました」

フォーリーブス復活コンサートが開催された東京・中野サンプラザに立つおりも政夫【写真:荒川祐史】
フォーリーブス復活コンサートが開催された東京・中野サンプラザに立つおりも政夫【写真:荒川祐史】

北公次の被害告発はショックも「OB、現役を変な目で見ないでほしい」

 解散後、それぞれが芸能活動をする中で、北が発売した自著でジャニー氏からの性被害を訴えた。おりもにとっては、寝耳に水の出来事でショックを受けたという。

「コーちゃんからは何も相談はなかったですし、ただただ驚きでした」

 解散から約23年後の2001年、4人はグループ再結成を決意。活動を始める前に、おりもは江木とともにジャニーズ事務所を訪れ、メリー喜多川副社長(当時)と対面したという。

「ジャニーズ事務所によって誕生したフォーリーブスとしての活動の許諾を得るためでした。とても厳しい方ですが、『後ろ(後輩)が見ているから、恥をかかすことはしなさんな』と言っていただきました」

 その言葉を受け、50歳前後になっていた4人は体を絞り、歌と踊りのレッスンを重ねた。そして、02年1月29日、東京・中野サンプラザで復活コンサートを開催。会場は超満員となった。

「何よりうれしかったのは、ファンの方々が喜んでくれたことでした。雪で凍える寒さの中、出待ちする方々も大勢いました。その後も、僕たちが降りる新幹線のホームが追っかけファンであふれたりもしました。日本から来ていただいた方々と楽しんだニューカレドニアでのイベントも最高の思い出です」

 再結成後の活動は、別の事務所がプロデュースしていた。だが、ジャニーズ事務所は口を出さず、見守ってくれたという。4人は深く感謝していたが、青山が09年1月28日に肝臓がんで死去。グループとしての活動は、09年3月29日のラストコンサートで終了し、12年2月22日には北が肝臓がんで旅立った。北が亡くなる前日に残したメッセージには、こう記されていた。

「ありがとうを言うのもこれで最後です 今まで応援ありがとうございました。そして最後にどうしても言わせていただけるならジャニーさん メリーさん ありがとうございました 感謝しています」

 この事実を踏まえ、おりもは言った。

「性加害は許されないことですし、被害に遭ったことを話されている方々のケアはとても大事です。ただ、コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました。そして、僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」

インタビューに応じるおりも政夫【写真:荒川祐史】
インタビューに応じるおりも政夫【写真:荒川祐史】

ジャニーズ事務所は変化…「解散、休止のグループはファンを思って」

 ジャニーズ事務所は大きな難局を迎え、藤島氏は顔を出して、動画と書面で見解を発表した。叔父のジャニー氏、母であるメリー氏の2人だけで事務所の全てを決めていたことを「異常性があった」とした。

「ジュリーさんのことは小さい頃から知っていて、彼女は3歳でフォーリーブスの主演ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』に出演していました。そんな彼女が今、矢面に立って事務所を改革しようとしている。それはすごく伝わってきますが、何より被害を訴えている方々のケアを優先してほしいです。そして、現役の方々は自分たちの活動をより頑張ることで、事務所をいい方向に持っていってほしいです」

 おりもは、事務所OBを含め、解散や活動を休止したグループへの願いを持っていた。

「男闘呼組のように復活して、ファンをまた喜ばせてほしいです。彼らはメンバー4人のうち3人がジャニーズから出ているのに活動を再開できた。かつてでは考えられないことで、ジャニーズが変わってきた証しです。理屈的にはSMAPだって再結成は可能ですし、全員がジャニーズ所属の嵐も活動を再開してほしい。本人たちが決めることですが、それを望んでいるファンが多くいることを忘れないでほしいです」

 おりもは今も青山、北の墓参りをしている。その度に驚かされることがあるという、

「いつも新しい花が供えてあるんです。ファンの方が来ては、供えてくださっていて……。やっぱり、ファンあってのタレントなんですよね」

 古巣が難局を乗り切るために、おりもはOB、現役が思いを一つにすることを願っている。

□おりも政夫(まさお)本名・織茂政男。1953年7月4日、東京生まれ。劇団若草で子役を務め、67年にジャニーズ事務所でフォーリーブスを結成。翌68年9月5日にレコードデビューし、78年8月31日まで活動。個人では、フジテレビ系『オールスター紅白水泳大会』の司会を担当するなど、「司会ができるジャニーズタレント」の先駆けになった。俳優としても多くの作品に出演し、近年は夢グループの『夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦』で全国各地を回り、司会を担当。フォーリーブスで共に活動した江木俊夫と2人で公演する機会も多くある。177センチ。血液型B。

次のページへ (2/2) 【写真】再結成したフォーリーブスの4人
1 2
あなたの“気になる”を教えてください