イカ天でブレイクのたま、解散20年もランニング姿の石川浩司は欧州で人気「音楽だけで暮らせる」

TBS系深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)から飛び出したバンド・たま。個性豊かな4人組は、解散後20年の今も人々の記憶に刻まれている。ランニング姿のパーカッション奏者・石川浩司の自叙伝は昨年、漫画化された。7月、62歳になる石川は今、何を思っているのか。著書には詳しく書いていない家族についても聞いた。

両親、妻について語る石川浩司【写真:ENCOUNT編集部】
両親、妻について語る石川浩司【写真:ENCOUNT編集部】

自由な生き方を肯定してくれた妻と両親に感謝

 TBS系深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)から飛び出したバンド・たま。個性豊かな4人組は、解散後20年の今も人々の記憶に刻まれている。ランニング姿のパーカッション奏者・石川浩司の自叙伝は昨年、漫画化された。7月、62歳になる石川は今、何を思っているのか。著書には詳しく書いていない家族についても聞いた。(取材・文=福嶋剛)

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 たまは『イカ天』初登場から1年後の1990年、『第32回日本レコード大賞』で最優秀ロック新人賞を受賞し、『第41回NHK紅白歌合戦』に出場した。その人気から生まれた言葉「たま現象」は、同年の『現代用語の基礎知識』にも収録された。

「イカ天がなければ、ここまでたくさんの人に知られることはなかったです。バンドが解散してこの歳になっても、音楽だけで暮らしていける。それは普通あり得ませんから。人生を変えてもらった番組ですし、本当に感謝しています」

 石川は、丸刈り頭でランニングシャツ姿。バンド4人の中でひと際目立っていた。少年時代から手先が不器用で人の顔を覚えることも苦手。学校では生徒だけでなく、教師からもいじめを受けていたという。

「のんびりした性格で体も弱かったので、他の人が普通にできることが自分にはできないと分かりました。だったら、『不器用な自分を見て、笑ってもらった方が楽に生きられる』と思ったのが、最初のきっかけです。人を笑顔にするのが好きで、それでいじめがなくなるなら良いと思ったんです」

 中学、高校時代は読書と深夜ラジオ番組に熱中。浪人を機に東京で一人暮らしを始めた。

「仕事も何もせず、楽に生きたかったので親には『将来、古本屋をやりたい』と口任せに言って、高円寺のアパートで一人暮らしを始めました」

 そんな石川を両親はどう見ていたのか。

「公務員だった父親は家に帰っても、残りの仕事を遅くまでやるような真面目を絵にかいたような仕事人間でした。反対に僕は大学を中退して、何年もバイトをしながらフラフラと生きていました。見かねた母親が『浩司は大丈夫なのかしら』と父親に相談したら、『あいつは好きなようにさせておいた方がいい』と言ってくれたそうです。後で知ったのですが、父は大学で演劇をやっていて卒業する時に公務員になるか、俳優養成所に入るか迷った過去があったそうです」

「人生にはリミットがある。好きなことをやらないともったいない」【写真:ENCOUNT編集部】
「人生にはリミットがある。好きなことをやらないともったいない」【写真:ENCOUNT編集部】

ブレイク直前の27歳で結婚「妻はたまたま『たま』が好きで…」

 石川の住んでいたアパートは、次第に個性的なミュージシャンや若手の芸術家が集う場所になり、そこに来ていた知久寿焼、柳原幼一郎と3人で余興目的のバンドを組んだ。バンド名はみんなで出し合い、最終的に石川が思いついた『たま』に決まった。生活のため、デビュー直前までアルバイトを続けた。

「ちゃんとネクタイを締めて、病院でアルバイトをしていました。受付で患者さんに処方せんを出したり、医療費の計算をしたり。生活もバンドもハチャメチャだったから、心のどこかに親に対してまじめに生きているところも示したかったのかもしれないです。でもこの先、成功しなかったとしても定職には就かず、一生バイトをしながら音楽をやっていくつもりでした」

 たまは滝本晃司がバンドに加わり、4人組となった。ライブハウスでは『イカ天』出場前からジワジワと人気が上昇していた。そんなタイミングの27歳、石川は結婚した。

「ダジャレじゃないですけど、妻はたまたま『たま』が好きでライブを見にきていた一般企業の会社員でした。当時は『イカ天』に出る前だったので、アマチュアバンドのフリーターだった僕に妻が『私が食べさせてあげるから、音楽はこのまま続けなさい』と言ってくれました。振り返ると、あの言葉は大きかったですね。でも、母親は心配して『何の将来性もない息子と結婚して本当に大丈夫なの』と何度も妻に確認したそうです(笑)」

 たまのメンバーはテレビに出ることのリスクを考え、『イカ天』出場に踏ん切りがつかなかったという。だが、業を煮やした女性マネジャーが勝手に応募。瞬く間にブレイクした。

「『イカ天』で毎週勝ち抜いても、妻は『良かったね』と言うくらいで淡々としていました。そして、家に帰るといつも疲れやすい僕の肩をマッサージしてくれました。メジャーデビューが決まると、『じゃあ、仕事を辞めるね』と言って本当に辞めてしまいました。両親もメジャーデビュー後にライブ会場に来てくれて、無職で何をやっているのか分からなかった息子が急に人気者みたいになって驚いたようです」

 たまは2003年に解散した。石川と知久は95年から参加している14人編成のアコースティックバンド・パスカルズで活動を続けた。黒木華主演のTBS系連続ドラマ『凪のお暇』(19年)や映画『さかなのこ』(22年)など数多くのサントラ曲を手掛けてきた。フランス、ポルトガルでは若者を中心に1万人近い観客を集めた。ドイツでは特番が組まれるなど、欧州で人気バンドになった。

「パスカルズは個性的なミュージシャンが集まったインスト中心のバンドです。イカ天に応募したマネジャーが、パスカルズに誘ってくれました。日本はお笑いなのか、音楽なのか、はっきり分かれていないと評価してもらえないところがありますが、ヨーロッパの人たちは、ちょっとしたユーモアや他にはない個性を好む傾向があって、行くといつも盛り上がります」

白いランニングシャツに歴史あり 義母の手作り→タイでまとめ買い

 そして、今も変わらない石川の白いランニングシャツ姿。この衣装にも変遷があった。

「洋裁をやっていた妻のお母さんが、『体が透けないように』と厚手の生地を使って、たまのデビューから解散までずっと作ってくれました。その後、パスカルズでランニングを復活させましたが、たまたまタイに遊びに行った時、市場で知久くんが『これ、石川さんに合うと思うよ』と、僕にぴったりのランニングを見つけてくれました。それからは毎年、タイの市場でまとめ買いをしています」

 現在はパスカルズの活動の傍ら、ソロミュージシャンとしても活動し、事前に演奏料金を提示する「出前ライブ」というユニークな取り組みも行っている。

「『自分の定価(=ギャラ)』を提示したら、相手もオーダーしやすいと思いました。危ない依頼は事前に断っていますが、変わった依頼だと『富士山の六合目の山小屋で歌ってほしい』と言われ、大変でしたがランニング一丁で登山して歌いました。他には僕やたまのことを知らない依頼者から『2人でカラオケを歌ってほしい』とお願いされ、飛行機代ももらって福岡まで行き、アイドルの歌を一緒に歌いました」

 石川は空き缶収集家としても有名で、フジテレビ系『アウト×デラックス』にも出演した。そんな空き缶のことも書いてある石川の公式HPは約30年間、毎日欠かさず情報を更新している。

「空き缶は40年近く集めて今は3万種類くらいです。1本目は1985年、ツアー先の和歌山で見つけた阪神タイガースの掛布雅之選手が写っている缶です。ネットは利用せず、必ず旅先で自販機やお店をチェックし、2週間に1回、近くスーパーに行ってリサーチしています。6畳の部屋の天井までぎっしり詰まっているので、妻には『缶を片付ければ1部屋空くのに』と言われています(笑)」

 00年には東京・西荻窪でアートギャラリー『ニヒル牛』をオープンした。アート系レンタルショーケースの先駆けとして、さまざまなメディアでも取り上げられた人気のスペースで、石川がプロデューサー、妻は店長を務めている。

「たまのファン層って世代でもないし、ジャンルでもなく『ものを作る人』や『表現者』が多かったんです。昔、アパートに集まってきた人もみんな個性があったし、実力もあった。それで自由に無審査で展示できるような“敷居の低い美術館”を作ろうと思い、始めてみました」

 7月3日に62歳になる石川に「子どもの頃から追いかけてきた理想の生き方は今もできていますか」と聞くと、「後悔のない生き方だけはできている」と答えた。

「人生にはリミットがあるから、好きなことをやらないともったいないと思っています。なので、常に『今、一番楽しい』と思うことをやってきました。それは今後も変わらないと思います。『明日のことは考えても、明後日のことは考えない』という生き方で、ちょっとした反省はあったけど、後悔はなかったです。高齢の両親も元気でいてくれて、父親はこの前、僕の半生を描いた漫画を読んで、『浩司も大したもんだ』と言ってくれたみたいです」

 両親、妻の理解があり、好きなこと、「楽しい」と思えることを続けてこられた。石川はその幸せを噛みしめ、ファンに新たな音、アートを届けていく。

□石川浩司(いしかわ・こうじ)1961年7月3日、東京生まれ。80年頃からギター弾き語りで歌い始める。84年、たま結成。89年、TBS系『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』』で14代目イカ天キングに輝く。90年、シングル『さよなら人類』でメジャーデビュー。同年、『第32回日本レコード大賞 最優秀ロック新人賞』受賞し、『第41回NHK紅白歌合戦』に出場。95年、パスカルズを結成。2000年、アートギャラリー『ニヒル牛』をオープン。世界一とも言われる空き缶コレクターとして知られている。著書は「『たま』という船に乗っていた」(双葉社刊)

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