ランジャタイ伊藤、過去のいじめ赤裸々告白 同窓会とは無縁の「クソみたいな少年時代」

人は誰しも思い出したくない過去を持つ。お笑いコンビ・ランジャタイの伊藤幸司が過去を赤裸々につづった自伝『激ヤバ』(KADOKAWA)を発売した。小学校時代からいじめを受け、「本当にクソみたいな少年時代。一個も楽しくなかった」と、回顧するほどの暗黒時代を経験した。同級生が集まる成人式には出席せず、M-1ファイナリストになった37歳の今も、同窓会の誘いとは無縁だ。伊藤はどんな気持ちで学生時代を過ごし、なぜお笑いの道に進んだのか。偽らざる本音に迫った。

半生を語ったランジャタイ伊藤【写真:ENCOUNT編集部】
半生を語ったランジャタイ伊藤【写真:ENCOUNT編集部】

初の自伝『激ヤバ』を発売 「ほぼ友達がいなかった」と告白

 人は誰しも思い出したくない過去を持つ。お笑いコンビ・ランジャタイの伊藤幸司が過去を赤裸々につづった自伝『激ヤバ』(KADOKAWA)を発売した。小学校時代からいじめを受け、「本当にクソみたいな少年時代。一個も楽しくなかった」と、回顧するほどの暗黒時代を経験した。同級生が集まる成人式には出席せず、M-1ファイナリストになった37歳の今も、同窓会の誘いとは無縁だ。伊藤はどんな気持ちで学生時代を過ごし、なぜお笑いの道に進んだのか。偽らざる本音に迫った。(取材・文=水沼一夫)

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 著書には全24のエピソードが詰まっている。『激ヤバ』のタイトルは、伊藤の母が亡くなったとき、その告別式にて相方の国崎和也の行動によって起きたある出来事から取った。国崎はその行動によって葬儀を笑いに変えた。

「笑ったら絶対ダメじゃないですか。それでも笑っちゃう。みんなも耐えていましたよね。一番笑っちゃいけないところでこんなに笑かす国崎くんはすごいと思いました。本人は絶対そんなに深く考えてないです。それでもそういう状況を作り出してしまうのだからお笑いそのものというか、お笑いイコール国崎和也くらいの感じです」。不謹慎とは思ったが、こらえられなかった。母は伊藤がお笑いの道に進んでからも一番の応援者だった。「全部を肯定してくれていました」。結果的に「最高でした」という葬儀になった。

 本著には、これ以外にも“激ヤバエピソード”がてんこもりだ。「生まれてから今までの人生が激ヤバだったな」と、笑いあり、涙ありの半生が記されている。その中でも、真剣に考えさせられるのが、子どもの頃のいじめだった。伊藤は「いじめられっ子でずーっと心配ばかりかけてきた」「ほぼ友達がいなかった」と告白している。

 改めて、本人に聞いた。

「本当にクソみたいな少年時代でしたね。一個も楽しくなくて、ひとりぼっちが多かったです」

 いじめは小学校のときから始まったという。

「まず太っていましたから。風呂も入ってないし。1週間に1回ぐらいですね。女の子に『臭い』とか、『きもいー』ってめっちゃ言われました。ただ風呂に入ってなくて臭いからですけど」

 楽しいことなど、何一つなかったと振り返る。時折休みながらも通い、中学校に進学した。そこでも状況は変わらない。「なんでこの人たちは、こんなに冷たいんだろうと思いましたね。怖かったですね、ずっと」。言葉の暴力などさまざまないじめが続き、学生生活は灰色になった。

 ただ、なんとなく、大人になったらとんでもない大成功をする気がして、人生の後半に輝くためにマイナスを前借りしている段階なのだと思っていた。

「なんかみんな嫌な感じでしたね。僕が誰ともしゃべれないのが良くないのですが。生まれたときからそうだったので、どうしようもなかったです。学校はつらいところでした。僕をめっちゃいじめてるやつがみんなには『こんないいやついない』とか言われていて、それがもう怖かった。僕をいじめてるのを見ているのに。本当にどうでもいい存在なんだろうなと思いました」

 クラスで、ある生徒が無視されているのが判明したときのことだ。

「先生が『知らなかった』って言って泣いたときに、とっても怖かったです。本当にそんなことが分からなかったの? と。『気づいてやれなくて、すまなかった……』って。自分のふがいなさに泣いてるのかな? 泣いてる熱血教師の自分を見せたいのかな? 無視された子のために泣いてるのかな? それともちょっぴり演技がお上手なのかな? と思いました」

 伊藤自身も「先生に、『ちょっとヤバいな。お前は社会には出れないよ』とも言われました。『あなた、なかなか言うじゃない』と、かえって愉快な気持ちになりました」という。

 学校に通ったのは、義務感にかられていたからだ。「行かないといけないんだろうな、と思ってましたね。お父さんが僕を公務員にしたかったみたいなんで。『そうか、外れたらダメなんだな』と、思っていました。だから、無理やり行っていましたね」。まだ中学生。社会や世間を知らず、残酷なまでに親の期待に応えようとする自分がいた。

自伝『激ヤバ』を執筆した【写真:ENCOUNT編集部】
自伝『激ヤバ』を執筆した【写真:ENCOUNT編集部】

泥水をすすって耐えた学生時代 「この世界のバグなんじゃないかと思ってました」

 高校時代は引きこもることが多くなった。「高校はマジで一番つまんなかったです。ずっともう嫌でした。楽しくない。早く終わって自由になって一人暮らししたいと思っていました」。著書『激ヤバ』には、学校に行きたくないあまり、母が運転する車の中で、大便を漏らしたこともあるとつづる。部屋ではもっぱらパソコンをたたき、一人だけの世界に没頭した。

 小中高の12年はバラ色の青春とは無縁。20年以上前のことなのに、伊藤の言葉にはよどみがない。

「途中から思っていましたね。ああ、僕はここじゃないなと。何かこの世界のバグなんじゃないかと思ってました。これを国崎くんに言うと、『いやそんなバグとかじゃない。ただお前がやばいだけだから。バグとかそんないいもんじゃないよ』と言われますけど……(笑)。ある種、自分が悲劇の主人公だと思って、そんなかわいそうな自分に酔っていた部分はありました」

 お笑いライブでは、ネタの一つとして公言している。今でこそ、いじられ、笑いに変えられるようになったが、当時は、「唯一の味方」である母にも伝えることはできなかった。

 成人式も「出なかったですよ。(仕事は)空いていましたけど、行きたくはないですよね。気持ち的に」。お笑い芸人として名前が売れても、同窓会の話は来たことがない。つながりを断っているからだ。友達と呼べる幼なじみは1人だけ。「オタク文化を教えてくれたような人ですね」。今でもたまに会うことがあるほど、伊藤も関係を大切にしている。

 2021年にM-1決勝に進出。人気お笑いコンビの1人として、人を笑わせる仕事に就いている。それは、泥水をすすって耐えた学生時代とは真逆だ。

「だから、同じような思いを抱えている人たちに幸せになってほしい。みんなに大丈夫だよ、と言いたいですね。つらいことがあった分、その何倍も楽しいことが返ってくるので。その楽しいことのための耐える時間だと思っていただいて。ただただ、笑顔になってほしいです」と訴える。

 いじめに遭いながらも、早くから芸人になる夢を模索していた。「芸人になると思っていました。売れるぞと思っていましたよ」。自信の根拠はなかったが、腐ることはなかった。

 お笑いの世界では、人にも恵まれた。

「お笑いの魅力ですか。みんなを笑顔にする。笑顔ってやっぱりいいですからね。めっちゃ泣いてる人も笑顔になったりしますから。幸せな仕事だと思いますよ」

“激ヤバ”な人生は道半ばで、これから先も何が起こるか分からない。だが、伊藤は「お笑い」という職業に信念を持って打ち込んでいる。

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