高校中退→大検→オールナイターズ 異色経歴の芸能プロ社長から見た『オールナイトフジコ』
フジテレビ系『オールナイトフジコ』(金曜深夜0時55分)がスタートして1か月。「何が起こるか分からない」をコンセプトにした生放送の深夜バラエティーは、視聴者に懐かしさと新鮮さを与えている。同局系で人気だった『オールナイトフジ』(1983~91年)を32年ぶりにリニューアルした番組で、4月22日放送の第2回には元オールナイターズで芸能事務所社長の阿部由美子さん(55)が登場した。阿部さんから見た『オールナイトフジコ』とは。自身の歩みとともに語った。
ベリーベリープロダクション代表・阿部由美子さん
フジテレビ系『オールナイトフジコ』(金曜深夜0時55分)がスタートして1か月。「何が起こるか分からない」をコンセプトにした生放送の深夜バラエティーは、視聴者に懐かしさと新鮮さを与えている。同局系で人気だった『オールナイトフジ』(1983~91年)を32年ぶりにリニューアルした番組で、4月22日放送の第2回には元オールナイターズで芸能事務所社長の阿部由美子さん(55)が登場した。阿部さんから見た『オールナイトフジコ』とは。自身の歩みとともに語った。(取材・文=ENCOUNT編集部・柳田通斉)
阿部さんは、スタジオ内に設置された「フジコネシート」(出演者かスタッフにコネがあれば座れるバー)にいた。初回放送では総合プロデューサーの秋元康氏、フジテレビの港浩一社長、編成担当の大多亮専務が並んだが、2回目は阿部さんだけ。マイクを持ったレギュラーの村重杏奈から「超~、誰ですか?」と問われると、阿部さんはそのマイクを奪って自己紹介した。
「元オールナイターズの阿部由美子です。港社長のコネで来ました~。ベリーベリープロダクションというのをやっていますので、ぜひ、ぜひ、うちのタレントも出演させてください」
村重からはマイクを奪ったこと、シャネルのイヤリングを付けていることを突っ込まれたが、阿部さんは「はい。バブルの頃、イケイケでやらせてもらっていたのでいまだに(笑)」などと明るく返した。
「チーフプロデューサーからは『黙って座っていてください』と言われていたので、ビックリしました。ただ、特に緊張はなく、モニターを見て『あっ、映ってる』と思いながらしゃべっていました(笑)」
県下屈指の進学校に異質のツッパリ「浮いて」自主退学
オールナイターズとは、『オールナイトフジ』でレギュラー出演していた女子大生たち。阿部さんは成蹊大2年から3年の途中までの任期だったが、「女子大生」になるまでに紆余(うよ)曲折があった。
「高校1年で退学してしまって……」
幼少期から成績優秀で群馬大教育学部附属小、中を経て、県下屈指の進学校として知られる前橋女子高に入学した。だが、全国で中学、高校が荒れていた時代。阿部さんは同校では異質のツッパリで、スカートの裾も長かったという。
「中学時代から、『勉強ができればいいんでしょ』という強気な感じで、反抗的な生徒でした。チャイムが鳴っても先生が授業を続けていたら、『Time is over!』と大声で叫んだりして。ただ、周りは優秀な生徒ばかりなので、夜遊びもしている私は成績が落ちる一方でした。完全に浮いていましたし、1年を終える前に自主退学しました」
その後、自宅でダラダラと過ごす日々が続いたが、同級生たちが3年に進級すると「焦り」が出始めた。
「友達と比べて『この後、自分はどうなるんだろう』と思っていました。そんな中、大検(大学入学検定試験=高校卒業程度認定試験)のことを知りました。そして、テレビで『オールナイトフジ』を見ると、CM前に流れる『♪女子大生に なっておいで~』のフレーズを耳にしました。本当は『♪女子大生に させと~い~て~』ですが、その時は聴き間違えていて、『これは勉強して大学に行かなければ』と急にやる気になりました」
すぐに教材を集め、集中して勉強。同年夏の試験で、全13科目(当時)を一発でクリアしたという。だが、大学入試の壁は突破できなかった。
「大検で日本史を選択したのに、『高校生は世界史も勉強しているはず。負けちゃいけない』と思い、夏から世界史の受験勉強をし始めました。それが大失敗でした」
浪人生活は東京で送り、駿台予備校で勉強。上智大を第1志望にして模試では好成績も取っていたが、本番では届かず、成蹊大に入学。花の女子大生ライフが始まった。
「浪人時代はテレビも見ない生活でしたので、『オールナイトフジ』のことはすっかり忘れていました。入学後、久しぶりに番組を見て、『あっ、そうだ』と思い、オールナイターズのオーディションを受ける書類を送りました。流行っていたモデルクラブにも入りました」
晴れてオールナイターズになった阿部さんは、文字通りのイケイケだった。
ハイレグ水着で出演→タレント→限界感じて事務所設立
「『ディスコは顔パス』『帰りは誰かからタクシー代をもらえる』と思っていました。バブルでした。番組ではよく水着でウオータースライダーをさせられました。水泳部だったので、ハイレグの水着にも抵抗はなかったです。当時、港さんがディレクターでした」
そのノリの良さも評価され、在学中から芸能事務所に所属し、ドラマ、映画に出演。卒業後も活動を続けたが、30歳だった90年末に事務所を退所して引退した。
「CMに出ている自分を見て、『もう、若くない。厳しい』と悟りました。ドラマ、映画もバーターで出させていただいていましたが、ちょい役から脱せない状態。『芸能界は好きだけど、自分は出役を辞め、裏方に回った方がいい。事務所をやろう』と思いました」
最初に「事業計画書の書き方」の本を買い、同書を作って旧知の事務所社長に相談。出資を受け、1人で事務所を立ち上げたという。
「当初は他の事務所を退所した女性タレントを引き受け、マネジメントを進めました。右も左も分からない状態でしたが、『オールナイトフジ』の皆さん、自分がタレント時代にお世話になった皆さんに助けていただきました」
2003年の大みそかには、大きな出会いもあった。
「新宿伊勢丹のカフェで偶然、斜め前に座っていたのが10歳の小池里奈ちゃんでした。彼女の成長を側で見ていくことは、私にとって大きな喜びでした」
グラビアタレント、俳優として人気だった小池は約20年所属し、今年3月に事務所を離れた。体調不良、父の死などがあり、今はゆっくりと時間を過ごすことを希望。阿部はその意志を尊重した。
「芸能界の仕事は無理強いするものではなく、本人のモチベーションが大事だと思っています。今は子役からキャリアのある俳優まで多くのタレントが所属していますが、社長としてはみんなに売れてほしい思いでいます」
小池が退所したばかりの状況下、阿部さんは『オールナイトフジコ』で引退以来、約24年ぶりのテレビ出演。『オールナイトフジ』と同じコンセプトで深夜生放送のバラエティーが復活したことを実感し、うれしかったという。
「生放送の緊張感がある中、一般の方も含めて出演者が『何か面白いことをやってやろう』というパワーがありましたし、あの頃に戻った感覚でした。ただ、現役女子大生の皆さんは、自分の見せ方が分かっていて、しゃべりもうまい。普段から配信などで画面慣れしているからでしょうか。素人で出ていたオールナイターズとは違いました」
オールナイターズは、山崎美貴・松尾羽純・深谷智子のおかわりシスターズ、井上明子・片岡聖子のおあずけシスターズといった人気アイドルユニットも輩出したが、長い月日を経て、大半のメンバーが芸能界を離れている。芸能事務所社長となった阿部のテレビ出演は、反響が大きかったという。
「テレビの力を再確認しました。随分と会っていない友人、同期、先輩のオールナイターズから『出ていたね』『うれしかった』と連絡をいただきました。他局に営業に行っても、多くの方に『見たよ』と声を掛けていただきました。お陰で仕事がしやすくなりました」
阿部さんは今、17歳のあの頃に「『♪女子大生に なっておいで~』と聞き間違えて良かった」と思っている。
「『オールナイトフジ』があったからこそ、今の自分があります。その感謝を胸に『オールナイトフジコ』を応援し、事務所のタレントを育てていきたいと思っています」
55歳になった元オールナイターズ。これからも「裏方」として、芸能界を生きていく。
□阿部由美子(あべ・ゆみこ)1968年1月11日、群馬・前橋市生まれ。成蹊大文学部文化学科卒。フジテレビ系『オールナイトフジ』に出演中の在学時代から芸能活動。98年末に引退し、99年2月にベリーベリープロダクションを設立。実姉のサポートを受けながら、女性の子役、アイドル、タレント、俳優をマネジメントしている。主な所属タレントは来栖あつこ、中島はるみ、山田美紅羽、桜樹なつ、いちごみるく色に染まりたい。