東京パフォーマンスドール、今は“ママ友” 元リーダー・木原さとみが語る当時「ケンカ絶えなかった」

篠原涼子、穴井夕子、市井由理らを輩出した東京パフォーマンスドール(=TPD)。リーダーだった木原さとみさんは、グループ解散後にソロシンガーに転向し、結婚、出産を機に芸能界を引退した。51歳の現在は1児の母で、忙しい日々の中、半年前に始めたダンスサークルに力を注いでいる。“ママ友”となったTPDのメンバーとも交流を継続していた。

芸能界デビューから現在までを語ってくれた木原さとみ【写真:舛元清香】
芸能界デビューから現在までを語ってくれた木原さとみ【写真:舛元清香】

木原さとみさん、50代で立ち上げたダンスサークルで体調不良を克服

 篠原涼子、穴井夕子、市井由理らを輩出した東京パフォーマンスドール(=TPD)。リーダーだった木原さとみさんは、グループ解散後にソロシンガーに転向し、結婚、出産を機に芸能界を引退した。51歳の現在は1児の母で、忙しい日々の中、半年前に始めたダンスサークルに力を注いでいる。“ママ友”となったTPDのメンバーとも交流を継続していた。(取材・文=福嶋剛)

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 木原さんは昨年9月、ダンスサークル「パードルダンス部」を立ち上げた。生徒は約30人で毎月1~2回開催。目的はTPDのメンバーやファンたちと楽しく踊りながら、健康維持とストレス解消だ。

「昨年2月に新型コロナウイルスに感染して体調を崩していました。年齢的に更年期もあったのかもしれません。気分転換を兼ねて、SNSのフォロワーのみなさんとファンミーティングをしてみるのはどうかなと考え、呼びかけてみました。すると、たくさんの方が参加してくださり、ファン同士の親睦も深まりました。そのとき『ファンのみなさんと同じくらいの年齢で健康が一番大切だから今度は体を動かしながら楽しめることをやってみよう』と思い、『パードルダンス部』を始めることにしました」

 活動の前後も「一緒に」を大事し、予約名簿作りからレッスン後の食事会まで参加者と作っている。

「これまで川村知砂(名古屋から参加)や穴井夕子、5月は木伏夏子といったTPDのメンバーたちにもゲスト参加してもらい、振り付けを覚えながら一緒に楽しく踊っています。参加者には率先して振り付けの資料を作ってくれる方やレッスン後のランチ会の場所をセッティングしてくれる方もいて、いつも全員で作っています」

 ダンスサークルを始めたことで、木原さんも元気を取り戻した。

「昨年は、味覚障害が続いているような感覚で何を食べてもおいしくないし、体を動かすのもつらかったです。それでも、ダンスサークルをやっていくうちに倦怠(けんたい)感から抜け出せました。初めは不安でしたが、挑戦して良かったです。みなさん、ワイワイと楽しくステップを踏みながらメキメキと上達しています。ダンスが苦手な初心者の方も楽しんでいただいています。ファンの方々も昔と変わらず、マナーを守って接してくださるので感謝しています」

 木原さんは福岡県出身。同郷の松田聖子に憧れ、小3で歌手を志した。

「『歌手になりたい』と親に言って、地元・福岡の音楽スクールに通わせてもらいました。その後、上京して活動したいと思いましたが、父から『せめて高校は地元で』と言われ、福岡の高校を受験しました。合格したタイミングで父親も転勤になり、父と2人引っ越して、東京の学校に転校しました。実は私1人で東京に行かせたくなかった父親が、こっそり転勤届を出してくれたみたいです」

 上京すると、すぐにチャンスが巡ってきた。

「横浜を歩いていたら、テレビ番組のプロデューサーさんにスカウトされ、『次の週から来てほしい』と言われ、いきなりテレビ番組のレギュラーになったんです。同時期に受けていたオーディションで『ミスチャンピオン』に選ばれ、グラビアのお仕事もいろいろさせてもらいました。でも、『そこから歌手になるには遠回りだ』と思い、歌のお仕事ができる芸能事務所に絞ってオーディションを受けました」

初めはダンスが大の苦手だった【写真:舛元清香】
初めはダンスが大の苦手だった【写真:舛元清香】

『どうして私が?』東京パフォーマンスドールのリーダーに

 音楽事務所に合格すると、同じくソロシンガーを目指していた篠原とユニットを組むことが告げられた。

「スタッフさんに『テレビに出てどんどん歌ってもらいます』と言われました。(篠原)涼子ちゃんとは『Winkさんみたいに一緒に頑張ろうね!』と言って、カラオケボックスで練習していました。その後、川村知砂ちゃんも合流して3人組のユニットでデビューしましたが、どんどんメンバーが増え、今度は『みなさんは東京パフォーマンスドールという名前でテレビには出ずにライブでトップを目指してもらいます』と。『最初の話と違うぞ』と思いましたが、『毎週歌えるし、楽しそう。まあ、いっか』って。そんな軽い気持ちでした」

 ところが、レッスンは想像以上に厳しかった。

「腹筋も腕立ても100回は当たり前で、ダンスも誰かが失敗すると連帯責任で、何度も最初からやり直して1日10時間くらい踊っていました。バレエのレッスンでは、いつも足がプルプル震えるまで練習していました。ダンスが大の苦手だった私は『踊るなんて絶対無理』と心の中で泣いていました。地獄の特訓でした」

 大勢の候補者から木原さん、穴井、市井、篠原、八木田麻衣、米光美保、川村知砂の7人が選ばれ、木原さんがリーダーになった。

「『どうして私が?』と思いましたが、個性が強すぎるメンバーばかりだったので、一番言いやすい私をスタッフさんが選んだのかもしれませんね」

 1990年6月、TPDは東京の原宿RUIDOを拠点にノンストップでダンスと歌を披露するライブ『Dance Summit』を毎日開催した。立ち見で300人を収容できる会場。最初の観客は7人だったという。

「ガラーンとしていて(笑)。腕を組んで見ているスタッフの方が多くて怖かったです。ステージが終わると、次のリハーサルが始まり、休みもないし、テレビにも出られない。『逃げ出そう』と何度もメンバーと話をしました。SNSがない時代だったので、毎日、竹下通りに立って、みんなでビラ配りをやってチケットを売っていました。そしたら、夏休み最後の8月31日にお客さんが100人を超え、『何かすごいよ』とみんなで喜びました」

 TPDは着実に動員数を伸ばし、3年後の93年に日本武道館で2日間公演を成功。94年は横浜アリーナ公演で1万人の観客を魅了した。だが、同公演を最後に篠原、市井、米光が卒業し、翌95年、木原さんを含めて残りの4人も卒業。グループは解散した。

「メンバー7人は決して仲が良いとは言えませんでしたが、『原宿RUIDO』から一緒に頑張ってきた仲間たちなので、『いつか大きなステージに上がろう』という1つの目標に向かい、全力で歌って踊って駆け抜けました。なので、横浜アリーナで1万人の前でやれたときに“達成感”がみんなの中にあり、今度は個人としての目標に進むタイミングだったと思います。私はリーダーとして最後まで残りましたが、新メンバーが入ったり、ダンス中心の演出になって、踊るときの立ち位置が一番端っこになり、完全に迷走状態でした」

ダンスサークルをやって“心からの笑顔”を取り戻した【写真:舛元清香】
ダンスサークルをやって“心からの笑顔”を取り戻した【写真:舛元清香】

穴井夕子がダンスサークルに参加「懐かしくて、じわーっとうれしさが…」

 グループ解散後、木原さんはソロの歌手になったが、98年でその活動を終わらせた。

「卒業したメンバーたちが努力を重ねて、それぞれやりたいことを達成していく姿を素直に喜べませんでした。嫉妬というより、『私は何がやりたいの』と毎日、自問自答の繰り返しで、歌への情熱も冷めていました。そんなとき、イラストを描くことにやりがいを感じて自分のソロアルバムのジャケットをパソコンで描いたり、書籍の挿絵を描いたり、飼っていた犬の洋服をデザインしたり、そっちの仕事にシフトしていきました」

 38歳で男児を出産。その後、ブログなどで近況報告をする以外、目立った活動はしていなかった。

「遅くに産んだので、子育てで周りを見る余裕がありませんでした。息子は中学2年になりました。メンバーもよく遊びに来てくれるので、母親が昔に何をやっていたのか分かっていますが、2年前にTPDの30周年イベントで初めてステージに立っている姿を見せた時は、驚いていたみたいです(笑)。息子にも人生で夢中になれることを見つけてほしいです」

 他のメンバーも家族を持っているが、交流は続いている。

「あの頃は、長い時間ずっと一緒にいたので家族みたいな、ケンカの絶えない友達みたいな、不思議な関係でした。今もメンバーたちと会うと、あの頃にすぐに戻れます。『あのとき、感じ悪かったよね』とか『私が出ているテレビを見てなかったでしょ』とか笑い話にもできます。誰とどんな話をしたのかはメンバーだけの秘密です(笑)」

 TPDのメンバーも参加する「パードルダンス部」。4月は穴井夕子がゲストだった。

「久しぶりに穴井と踊ってみたら、懐かしくて、じわーっとうれしさがこみ上げてきました。いつものパードルダンス部とは違い、輪になってみんなでおしゃべりしたり、さすがの“穴井面白トーク”で盛り上がりました。もう1回、6月3日に穴井と2人で開催します。踊れなくても全然OKですので、興味のある方はインスタをチェックしてほしいです」

 95年の解散から28年。あらためてTPDにいた意義を聞くと、木原さんは言った。

「活動全てが私の糧になっています。うまくいかなかったからこそ今があるし、悔しかったからこそ、自分と向き合えました。『やらなければ良かった』と思うことは1つもありません。あとは『笑顔』です。『パードルダンス部』を始めて思い出しましたが、私の原点は誰かを笑顔にすることです。TPDでは歌とダンスでたくさんの人を笑顔にできました。私にとって、TPDは一生の宝物です」

 メンバーとの絆も宝物。第2の青春はこれからも続いていく。

□木原さとみ 1971年7月4日、福岡県生まれ。90年、ガールズグループ・東京パフォーマンスドールを結成。初代リーダー。ライブを中心に活動し、93年に日本武道館2days、94年に横浜アリーナ公演を成功させる。バラエティー番組やCM、ラジオなど多数出演。ソロ活動後はデザイナー、イラストレーターとして活躍。2007年に結婚、09年に出産し後子育てに専念。22年、パードルダンス部を作り、月1でダンスレッスンを開始。

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