ツイッター・グーグル・価格.comを驚きの歴任 名経営者、ITバブル崩壊からの起死回生

価格.com、ツイッタージャパン、グーグル合同会社……。誰もが日常的に利用する有名サイトで主に提携、交渉分野で手腕を発揮した小尾一介氏。現在は、位置情報を基に人流分析システムの開発・広告サービスの展開を行うクロスロケーションズ株式会社(東京)を経営している。誰もが知る数々の大企業で働いてきた小尾氏の仕事への矜持(きょうじ)について聞いた。

数々の大企業を渡り歩いてきた小尾一介氏【写真:ENCOUNT編集部】
数々の大企業を渡り歩いてきた小尾一介氏【写真:ENCOUNT編集部】

のちに日常生活に不可欠となる新事業を次々と導入

 価格.com、ツイッタージャパン、グーグル合同会社……。誰もが日常的に利用する有名サイトで主に提携、交渉分野で手腕を発揮した小尾一介氏。現在は、位置情報を基に人流分析システムの開発・広告サービスの展開を行うクロスロケーションズ株式会社(東京)を経営している。誰もが知る数々の大企業で働いてきた小尾氏の仕事への矜持(きょうじ)について聞いた。(取材・文=関臨)

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 大学卒業後、故・坂本龍一さんが所属した音楽グループ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)などが在籍したレコード会社『アルファレコード』や、『サイトロン・アンド・アート』社で働いた小尾さん。1995~96年、インターネットの商用化が始まり、学術機関や大企業だけでなく、誰でもネットが使用可能になるなど、大規模な変革が起きていた。ウェブブラウザも発展、誰もがホームページを作成していくようになる。また、同時に起きたのはベンチャーブームだった。楽天やサイバーエージェントなど現在でも大きな力を持つ巨大IT企業がいくつも立ち上がっていった。

 小尾氏は日本のネット創成期から活躍する伊藤穣一さんと林郁(かおる)さんが創設した『デジタル・ガレージ』社に入社する。旧知の仲だった両者から迎え入れられた小尾さんは技術開発を担うと同時に、伊藤さんから持ち込まれた米国の新技術の日本での立ち上げや国内のネットビジネス事業を担当した。中でも成功を収めたのは2003年に株式公開した価格.comだった。

「00年の末にインターネットバブルが崩壊しました。『デジタル・ガレージ』社は同年の12月に株式公開しましたがあまり資金が調達できなかったと思います。残った虎の子のお金をどうするか役員で議論していたところ、たまたま価格.comがあると情報を耳にしました」。困難な状況で後に大きな成長を遂げるサイトを運営する機会をつかんだ。「今後伸びるかもしれないとのことで投資を行い、株式の数十%を取得しました」と成功の裏側を明かした。

 デジタル・ガレージ社との出合いは、さらなるビッグチャンスを呼び込んだ。『デジタル・ガレージ社』のもう一つの功績はツイッターだった。紹介されたのも伊藤さんからだったという。「ツイッターは当時はしょっちゅうサーバーが倒れ、ユーザーの増加に対応が追い付いていない状態でした。当時の米国・サンフランシスコの郊外の住宅地にあったオフィスを訪ね、ツイッターを日本で展開するため合弁会社を設立できないか、交渉を行いました。しかし、日本支社を立ち上げられるほど手が回らないと返答されてしまったので、日本でのマーケティングについての契約を結び、その後、日本での市場開拓の部分を担当しました」。

 日本はまだガラケーの時代だったが、ツイッターの使用法についてのサイトを立ち上げるなど積極的なプロモーションを展開。のちにツイッターは日本で子会社を立ち上げることになるが、当初の市場開拓の部分で大きな功績を果たした。

「時の流れを読んで見極めていくこと」を仕事におけるポリシーに挙げた【写真:ENCOUNT編集部】
「時の流れを読んで見極めていくこと」を仕事におけるポリシーに挙げた【写真:ENCOUNT編集部】

外資系企業を担当してきたからこそわかる苦労話も

 その後、09年にはグーグル合同会社に転職する。当時、グーグル側が日本のネット業界に精通し、技術への知識も豊富なシニアの人材を探していたことが背景にあったという。「在籍期間中は検索エンジン、グーグルマップ、グーグルブック、さらに当初のアンドロイドなどの事業開発を担当しました。当時のグーグルは300人ほどの規模で、まだまだベンチャー企業気質な感じでした」。

 予想以上の困難が立ちはだかった。「米国から来たベンチャー企業にありがちなんですが、基本的に本社の人は若く、日本で事業をしたことがない。すると、意思決定や交渉事などは日本も米国と同じだと思ってしまうので仕事のやり方の部分で当然日本では受け入れられませんでした」。取引を希望する日本企業は多くあった。しかし、グーグル側では米国の本社と意思疎通がうまくできておらず、相手側を怒らせてしまうことが多々あったという。現代生活を送る中で欠かせないグーグルだが、巨大企業の日本での黎明(れいめい)期を担当した小尾氏だからこそ知るエピソードだ。

 レコード会社、外資系企業と全く業種の異なるベンチャー企業を渡り歩いてきた小尾氏。異なる環境を渡り歩く中、学んだことはどんなことだったのだろうか。

「数社経験して分かったことですが、文脈や物事の進め方、決断などはすべての会社ごとで異なってきます。私はこれまで外資系企業の日本市場への参入の部分で仕事をしてきましたが、本社側に日本においての取引やビジネスの進め方の部分を理解してもらうことが一番難しいですね」。

 誰もが憧れる大企業で経営の根幹を任された。多くの人から信頼され、重責を担ってきた小尾さんの仕事の流儀とは。

「まずは営業や交渉において相手を知らないといけません。相手のビジネスモデルはどうか。どういう課題を持っているのか。相手にどういうメリットがあるのか。きちんと理解できていなければ的外れなことになってしまいます。また、交渉事では落としどころが重要で、お互いの妥協点を探る過程が大事です。世の中の変化、特にこの3年間は大きかったですが、時の流れを読んで見極めていくことが肝要だと考えています」と話した。

■クロスロケーションズ株式会社
2018年1月設立。「多種多様な位置情報や空間情報を意味のある形で結合・解析・視覚化し、誰でも活用できるようにすること」をミッションとし、位置情報ビッグデータをAIが解析・視覚化する独自技術である「Location Engine」の開発とビジネス活用クラウド型プラットフォーム「Location AI Platform(R)」、クラウドサービス「人流アナリティクス(R)」などの開発および、人流データの活用による企業のビジネス拡大を支援する「Location Marketing Service」の提供により、“ロケーションテック”を推進している。

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関臨

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