YMO元プロデューサーが明かす結成秘話、“反対意見”から名作誕生 坂本龍一さんは「世界一かっこいい」

価格.comの経営に携わり、ツイッターを日本へ導入、さらにはグーグル合同会社の立て直しも任されたらつ腕の社長がいる。現在は、位置情報を基に人流分析システムの開発・広告サービスの展開を行うクロスロケーションズ株式会社(東京)代表の小尾一介氏だ。キャリアの始まりはレコード会社『アルファレコード』で、故・坂本龍一さんが所属していた音楽グループ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を担当した。当時の思い出と、YMOとのエピソードを聞いた。

YMOの制作プロデューサーを務めた小尾一介氏【写真:ENCOUNT編集部】
YMOの制作プロデューサーを務めた小尾一介氏【写真:ENCOUNT編集部】

大学卒業後、制作プロデューサーに

 価格.comの経営に携わり、ツイッターを日本へ導入、さらにはグーグル合同会社の立て直しも任されたらつ腕の社長がいる。現在は、位置情報を基に人流分析システムの開発・広告サービスの展開を行うクロスロケーションズ株式会社(東京)代表の小尾一介氏だ。キャリアの始まりはレコード会社『アルファレコード』で、故・坂本龍一さんが所属していた音楽グループ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を担当した。当時の思い出と、YMOとのエピソードを聞いた。(取材・文=関臨)

 小尾さんは1953年生まれ。慶応大在学中に友人からの紹介で、音楽プロデューサーで作曲家でもある川添像郎さんが設立した個人事務所のアルバイトとして勤務したのが始まりだった。その後、78年に同じく音楽プロデューサーで作曲家でもある村井邦彦さんが設立した『アルファレコード』に川添さんとともに入社した。

 わずか25歳で制作プロデューサーに就任。社会人経験、また特別な音楽の経験もない中での勤務だったが、「店づくりやファッションショー、CMフィルムなどさまざまなプロデュース業をこなす川添さんとアルバイトの時から現場を共にしてきました。川添さんに教えていただきながら、レコード会社の営業、プロデュース業も勉強させていただきました」と当時を振り返る。

 そこではYMOやシーナ&ロケッツなど後に日本を代表するアーティストたちを担当。ワールドツアーを行うなど精力的に活動を推し進めた。その日々は実に刺激的だったというが、出だしは必ずしも順調ではなかった。「実はYMOは細野晴臣さんが企画書を書いて作ったグループなんです。シンセサイザー、トロピカル、ダンスミュージックを使った音楽をやりたいと村井さんにお願いして活動が始まりました。そしてデビューが決まり、私が担当に抜てきされたのです」。

 活動を始めると、村井さんに戸惑いの色が浮かんだ。「それまで荒井由実さんやハイ・ファイ・セットなど奇麗なメロディやコーラスが入った音楽を作ってきていた村井さんはその音楽性にかなり驚いていました。また、シンセサイザーやディスコなどを取り入れたこれまでない新しい音楽を作成していたため、スタジオでメンバー同士集まり、ああでもない、こうでもないとやっていたら非常に多くの時間とお金がかかってしまいました。

 それも村井さんを怒らせてしまう要因となり、YMOの活動に非常に反対されてしまいました。しかし、若手だった我々はこれまでにないその音楽性がとても面白かったんです。だから(一度反対されても)もう一度やろうと村井さんにお願いしました。そこで出したアルバムが『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』。最大のヒットになりました」。こうして名作が誕生した。

YMOの結成からブレークまで、小尾さんだからこそわかるエピソードを語った【写真:ENCOUNT編集部】
YMOの結成からブレークまで、小尾さんだからこそわかるエピソードを語った【写真:ENCOUNT編集部】

米国のプロデューサーの前で当時は珍しいライブ演奏を披露

 縁あって結成当時からYMOを間近で見てきた小尾氏。世界的ブレークの裏には、こんなエピソードがあったと明かす。

「もちろん日本でもレコードは発売していましたがまだ知る人ぞ知る、というような状況でした。そんな中、当時アルファレコードが日本発売権を持っていた米国の『A&Mレコード』の1人のプロデューサーが来日する機会があり、紀伊國屋ホールを1週間借り切ってショーケースを実施することになりました。『カシオペア』や大村憲司さん、吉田美奈子さんなど多くのアーティストが演奏を披露する中、YMOも参加しました。タンスのような形の巨大なシンセサイザーを持ち込み、電気楽器ですから電圧がおかしくなったり、動かなくなる可能性もあった中、ライブ演奏を行いました。これは珍しいことでした。そうして実際にライブ演奏を披露すると、米国のプロデューサーが『これは面白い』と感じ、米国でレコードを発売、ツアーも開催するなど現地で話題になったことで日本での大ヒットにつながりました」と秘話を明かした。

 思わぬ形で逆輸入され、YMOが大ヒット。ベンチャー企業として大きな成功を収めた『アルファレコード』だったが、次に目指したのは当時村井さんの“野望”としてあった米国進出だった。日本のアーティストを含め、世界中のアーティストのレコードを出していきたいとの思いからだった。しかし、それには資金が不足していた。そこでゲーム音楽のレーベルを新たに作り、サウンドトラックをレコード化して売り出すと、ゲームの人口が増えていたこともあり人気を集めていく。『アルファレコード』を助ける大きな柱になった。

 そして、次に仕掛けたのはゲーム映像のビデオ販売だった。しかしレコード会社として投資余力は高くなかったため、断念することに。これ以上在籍しても、自分たちがやりたいことはできないと感じ、独立。88年にコンテンツ制作会社である『サイトロン・アンド・アート(株)』社を設立することとなった。

※取材は3月下旬に敢行。小尾氏は同月28日に亡くなった坂本龍一さんにメッセージを寄せた。
「坂本教授とは40年以上のお付き合いとなります。1月に亡くなられた高橋幸宏さんに続きまことに残念でしかたありません。最後のYMOのメンバーとなってしまった細野晴臣さんが高橋さん逝去について『審美眼を持った世界一かっこいいミュージシャン』ということをおっしゃっていたと思いますが、坂本教授は『哲学を持った世界一かっこいいミュージシャン』だと思っています」。

■クロスロケーションズ株式会社
2018年1月設立。「多種多様な位置情報や空間情報を意味のある形で結合・解析・視覚化し、誰でも活用できるようにすること」をミッションとし、位置情報ビッグデータをAIが解析・視覚化する独自技術である「Location Engine」の開発とビジネス活用クラウド型プラットフォーム「Location AI Platform(R)」、クラウドサービス「人流アナリティクス(R)」などの開発および、人流データの活用による企業のビジネス拡大を支援する「Location Marketing Service」の提供により、“ロケーションテック”を推進している。

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関臨

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