小泉今日子が語った死生観 葬式のBGMは“ジブリ曲”希望 「私が死んでも『おかまいなく』って思う」

俳優で歌手の小泉今日子とシンガー・ソングライターの浜田真理子の朗読劇による全国ツアー『マイ・ラスト・ソング 2023 ~久世さんが残してくれた歌』が5月7日の神奈川・Billboard Live YOKOHAMAで開幕する。小泉は恩師と慕う演出家の久世光彦さんが残した言葉を朗読。浜田は美空ひばりなどの歌謡曲や童謡をピアノと歌で聞かせる。ツアーは3年ぶりで、3日には初のCDとなる2枚組のアルバム『マイ・ラスト・ソング アンソロジー』をリリース。小泉と浜田に久世さんが残した言葉と歌、自らの死生観、ツアーに向けた思いを聞いた。

東京や神奈川などで、朗読劇を行う小泉今日子(写真左)と浜田真理子【写真:ENCOUNT編集部】
東京や神奈川などで、朗読劇を行う小泉今日子(写真左)と浜田真理子【写真:ENCOUNT編集部】

歌謡曲が持つ情緒を伝えたい 3世代が楽しめるステージ

 俳優で歌手の小泉今日子とシンガー・ソングライターの浜田真理子の朗読劇による全国ツアー『マイ・ラスト・ソング 2023 ~久世さんが残してくれた歌』が5月7日の神奈川・Billboard Live YOKOHAMAで開幕する。小泉は恩師と慕う演出家の久世光彦さんが残した言葉を朗読。浜田は美空ひばりなどの歌謡曲や童謡をピアノと歌で聞かせる。ツアーは3年ぶりで、3日には初のCDとなる2枚組のアルバム『マイ・ラスト・ソング アンソロジー』をリリース。小泉と浜田に久世さんが残した言葉と歌、自らの死生観、ツアーに向けた思いを聞いた。(取材・文=西村綾乃)

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 久世さんは、TBS系ドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』などのヒット作を手掛けた名演出家だった。小泉が出会ったのは17歳のとき。テレビ朝日系ドラマ『あとは寝るだけ』に出演して以降、役者としてはもちろん、表現者としてさまざまなことを教わった。

小泉「久世さんは文筆家としても活躍されていて、言葉に宿る力を感じていました。2006年に亡くなられた後、久世さんという人が生きていたことを伝えたいと考えていたとき、久世さんのエッセイを私が朗読して、真理子さんが歌うステージをプロデューサーの佐藤剛さんが企画してくれたんです」

 2008年に始まった朗読劇『マイ・ラスト・ソング』は、10年を超えるロングランに。久世さんが「死ぬ間際に聴きたい曲」を取り上げたエッセーを通じて、自らの死について考える時間もあったという。

小泉「始めたばかりの頃は、『最期のときに聴きたい曲』と言われてもピンとこなかったのですが、久世さんがエッセーを書き始めた年齢を超えた今、その重さを感じるようになりました。生きていることは修行だけど、死が訪れれば、魂となって行きたいところに向かうことができる。だから私が死んでも『おかまいなく』って思う」

浜田「人間は生まれたら死ぬもの。医療が進化して平均寿命も延びているので、まだ先かなと思いますが、身近な人の訃報に触れたりすると、少しずつそのときが近づいていることを感じています」

 エッセーには、音楽が大好きだったという久世さんが選んだ120曲以上の楽曲が並ぶ。2枚組のアルバムには、DISC1に小泉の朗読と浜田のピアノの弾き語りによる朗読劇でおなじみの楽曲を、DISC2にはエッセーから厳選したオリジナル曲を収録した。

小泉「『離別(イビョル)』は絶対入れようと話したよね。ソウル五輪(1988年の夏季大会)が行われる前に撮影でソウルに行ったことがありました。どこもかしこも工事中。学生運動も盛んで、お昼を食べていたら急に『催涙弾が投げられて危険だから、外に出ちゃいけない』と戒厳令が出たこともありました。夕方になると、街中に設置されたスピーカーから国歌が流れる時代でした。急成長していく街で、ふと空を見上げたとき、子どものときに日本で見上げた空があったんです。それがとても思い出深くて」

浜田「『離別』が流行っていたとき、私は島根の置屋で暮らしていたんです。大学生ぐらいのときで、置屋のお姉さんが歌っているのを聴いて、いい歌だなと思っていました。苦労されているお姉さんたちは、みんな優しかった。父がスナックを経営していたのですが、お客さんのリクエストに応えて、ピアノの生伴奏をしていたこともあって、たくさんの歌謡曲を覚えました」

小泉「うちも母がスナックをしていたので、お店のお客さんが歌う曲、母の鼻歌などでたくさんの曲を覚えました。カラオケボックスができたおかげで、仲間だけで楽しめるようになりましたが、スナックはその場所にいる人みんながその歌や、人生を共有するからボロボロ泣きながら歌って、聴いていましたよね」

 音楽業界に身を置く両者。平成、令和にもヒット曲は生まれたが、「みんなで歌える曲が少ないこと」を危惧している。

小泉「大人も子どもも歌える曲は少ないですよね。東日本大震災後、『一緒に歌おう』と呼びかけて、流れるのは『上を向いて歩こう』くらいしかなくて、逆に曲の偉大さを感じたりしたけど」

浜田「年末の音楽番組で、『今年のヒット』と紹介されていても分からない曲やグループが増えました。曲と曲の間に流れる過去の番組の映像は、口ずさめるんだけど……。私のような音楽家からしてこうなんだから、世代を超えたヒット曲が少なくなったなって感じます」

 アルバム2枚目にオリジナル曲を収録したのは、原曲の良さを伝えたいという思いもある。

小泉「私たちが若いときは、インターネットや音楽配信などはなかったので、ロンドンに行くっていう友だちがいたら『レコードを買ってきて』とお願いして、何とか情報を手に入れようとしていました。でも今の若い子たちは、YouTubeなどを通じて過去の曲を“掘って”探していますよね。その姿を見て、若い人たちと一緒に歌える歌は、未来ではなく過去にあるのでないかと感じました。久世さんの言葉や、真理子さんの歌が名曲と出合うきっかけになればうれしいです」

 人生最後の時間。2人はどのような曲を聴きたいと思っているのだろうか。

小泉「お葬式のときには、宮崎駿監督の(アニメ映画)『風の谷のナウシカ』で流れてくる、『ナウシカ・レクイエム』をかけてねっていう話はしています。『♪ラン、ランララランランラン』って送ってほしい」

浜田「私は童謡の『旅愁』が良いなと思っています」

 5月7日の神奈川・Billboard Live YOKOHAMAから、全国ツアーをスタート。6月11日の東京・I’M A SHOWまでの全12公演を展開する。

小泉「朗読劇を行うのは3年ぶりのこと。横浜と島根は、3年前に(コロナ禍で)できなかった場所なので、今回は絶対入れたいってお願いしました。久世さんが遺してくれた言葉の力を届けたいです」

浜田「久世さんのエッセーと、ドラマのことを1番に考えた選曲になっています。私たちの親世代も、私たちも聴いて、そしてこれから若い人にも聴いてほしい。3世代が楽しめるステージになっているので、楽しみにしていてほしいです」

□小泉今日子(こいずみ・きょうこ)1982年に歌手としてデビュー。2015年制作会社『明後日』を立ち上げ、舞台や音楽イベントなどの演出やプロデュースなどにも従事。

□浜田真里子(はまだ・まりこ)1998年にファーストアルバム『mariko』でデビュー。各地でのライブ活動を中心に、アーティスト、映画、ドラマへの楽曲提供も多数。2014年エッセイ集『胸の小箱』が第1回島根本大賞受賞。

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