GT-Rが軽々と抜かれた「衝撃」、断腸の思いで手放した過去…71歳が追いかける伝説の車
20歳の頃に受けたメルセデス・ベンツの衝撃。それ以来、すっかりとりこになっている。貴重な1台となる、1959年式220 SEクーペのオーナーで、メルセデス・ベンツ社の公式認定を受けている日本のオーナーズクラブ「MVCJ」の会長を務める山口信行さんの“ベンツ愛”とは。
メルセデス・ベンツ公認オーナーズクラブ「MVCJ」の会長が明かす秘話
20歳の頃に受けたメルセデス・ベンツの衝撃。それ以来、すっかりとりこになっている。貴重な1台となる、1959年式220 SEクーペのオーナーで、メルセデス・ベンツ社の公式認定を受けている日本のオーナーズクラブ「MVCJ」の会長を務める山口信行さんの“ベンツ愛”とは。(取材・文=吉原知也)
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「ドイツ人の生まれ変わりかなと思うぐらいに好きなんだよ」。
71歳になる山口さんのその一言が、すべてを表している。
愛車コレクションの1つである220 SEクーペ。世界で約830台が生産され、日本には数台しか走っていないそうだ。映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』で堺雅人が実際に劇中で乗車し、“銀幕デビュー”も飾っている。運転席のサンバイザーの裏側には堺の直筆サイン、助手席のサンバイザーには高畑充希のサインも。そんな希少車は偶然に知り合いを通じて手に入れたとのことだ。
製造から60年を超えるが、走りは健在だ。それに気に入っているのが、ゴージャスで品格ある車内空間。「僕はベンツの香りと呼んでいるんだけど、革のシート、木の内装。この香りをかぐと、ホッとする。僕にとっての癒やしです」。ドアを開けると、高級感漂う車内に、文字通りのいい香りが広がっている。
エンジンも絶好調で、「調子いいよ!」。動態保存を維持するために、月に1、2回は乗車。先日に行った伊勢志摩までの長距離ドライブも快適で、「どこまでも走るんだよ、これは」と目を細める。
50年以上のベンツファン。その出合いは電撃的だった。
「昔は、スカイラインGT-Rにも乗っていてね。それで、20歳ぐらいのときに、スカイラインに乗って東名高速を走っていたら、ベンツに軽々と追い越されて。それでいて、ベンツはスーっと何事もなく止まって、ブレーキ性能もすごい。本当に衝撃だったよ。それが、300SEL 6.3。ベンツの神様みたいな車なんだよ」。そこからメルセデス・ベンツの道へまっしぐら。まさに運命だった。
最初に買ったのは、1956年式の220S セダン。ほぼ動かない車で、レストアで修復させた。280SE クーペにも乗ったことがある。
そして、自身の「夢」である300SEL 6.3。35歳のときに念願かなって手に入れることができた。
「加速も足回りもブレーキもすべてが素晴らしい。本当に素晴らしかった。でも、黒のその1台は10年乗ったんだけど、修理・整備にお金がかかって、泣く泣く手放しました」。断腸の思いだった。
「実は、その後すぐにもう1台、シャンパンゴールドの300SEL 6.3を買ったんだよね。それでも、持ち切れなかったんだ」。遠い目をしながら振り返った。
「やっぱり300SEL 6.3」…夢をもう1度
愛好家として、現在は複数台を持っており、現代型のGLクラスも保有している。「家族には、『いい加減にして』と言われています(笑)」。伝統とブランド、それだけでなく、「いつになっても部品がある。60年たった車でもパーツが残っていたり、他社が作っているので、しっかり保存できる。旧車乗りにとっても大きな魅力だよね」と、メルセデス・ベンツのよさについて実感を込める。
山口さんが会長を務めるMVCJは、1972年までに製造されたメルセデス・ベンツのオーナーズクラブ。80年に設立され、本国の同社から日本で唯一認められている、由緒ある団体だ。3代目の会長として、メンバーの交流・親睦や普及活動に尽力している。現在全国の約47人が所属しており。年4回の季節の行事などを開催している。
ベンツにささげてきたカーライフ、そして人生。これまでかけてきた金額は「もしかしたら、億は超えるかもしれない。でも生活費には手を付けていません(笑)」。もちろん、傾けた情熱、あふれる熱意は値段で語るものではない。
クラブの会長として、旧車の愛好家として、次世代への「継承」を大事なテーマに据えている。「若い人でも旧車が好き、メルセデス・ベンツが好きな人がいる。しっかり継承してくれる人がいれば、引き継いでいきたい。ただ、今は古い車が高くなり過ぎているので、そこがちょっと心配で懸念材料。これからも旧車の魅力を伝えていきたいし、大事にしていきたいですね」。
そして、追い続ける夢の続きはまだある。「やっぱり300SEL 6.3。3度目になるけど、もう1度、もう1度だけ乗りたい」と力を込めた。