MEGUMI、“劣化”と酷評された20代「人に会うのも怖くなった」 どん底からの努力で開けた道
セックスレスに悩む夫婦を描いたフジテレビ系連続ドラマ『あなたがしてくれなくても』(毎週木曜午後10時)に出演中の俳優でタレントのMEGUMIが、初の美容本『キレイはこれでつくれます』を4月19日に上梓した。28歳のとき、顔に刻まれていたほうれい線を目にした人から、SNSで「劣化」と酷評されたことで美容に目覚めた。日々の努力で手に入れた美肌は、「心も変えた」と自負する。10代でデビューし、20代で結婚と出産を経験。30代で本格的に学んだ役者業を経て、近年ではドラマや映画など作品の企画・プロデュースにも力を入れている。40代の目標は「海外に日本の良質な映像作品を届けること」と語るMEGUMIに、その生き方を聞いた。
色気、知的さも備え枯れていきたい
セックスレスに悩む夫婦を描いたフジテレビ系連続ドラマ『あなたがしてくれなくても』(毎週木曜午後10時)に出演中の俳優でタレントのMEGUMIが、初の美容本『キレイはこれでつくれます』を4月19日に上梓した。28歳のとき、顔に刻まれていたほうれい線を目にした人から、SNSで「劣化」と酷評されたことで美容に目覚めた。日々の努力で手に入れた美肌は、「心も変えた」と自負する。10代でデビューし、20代で結婚と出産を経験。30代で本格的に学んだ役者業を経て、近年ではドラマや映画など作品の企画・プロデュースにも力を入れている。40代の目標は「海外に日本の良質な映像作品を届けること」と語るMEGUMIに、その生き方を聞いた。(取材・文=西村綾乃)
取材をした会議室には、サイン用の著書1000冊が、テーブルいっぱいに積まれていた。発売前に重版が決まっているとはいえ、1000冊ものサイン本を作るのは異例のことという。
「美容法はもちろんですが、私が体験した心の変化についても触れています。10年間の執念が実った。誰もほめてくれなかったけれど、続けた自分に『よくやった』と言ってあげたい」
現在41歳のMEGUMI。もっちりとした輝く肌の持ち主だが、何誌ものグラビアをこなしていた20代のときは、積み重ねた日焼けで乾燥やくすみが広がり、両鼻の横から唇にかけて、ほうれい線がしっかりと刻まれていたという。
「28歳のときに出演したテレビの放送後、SNSに『MEGUMI劣化』『MEGUMI ほうれい線』という言葉が踊りました。肌は強い方だと思って何のケアもしていなかったので、ツケが回った結果ではありましたが、『劣化』という言葉は胸に突き刺さりました」
「もう終わるのか」と思い詰め、カメラを向けられることはもちろん、人に会うのも怖くなった。「おばあちゃん役は、まだできないし。役者を辞めても人生は続くんだ」と発起。涙ぐましい努力が始まった。
「美容は続けることが大切。高級なものだと続かないから、ドラッグストアで手に入るシートマスクを朝晩毎日欠かさず行うようになりました。人が見たら滑稽と思うかもしれないけれど、生活導線に置かないとやらなくなると、炊飯器の横にセットして。これを10年間続けました」
シートマスクで保湿をし、美容液で養分を与え、クリームでふたをし続けた8年目。奇跡が起きた。
「くっきりと刻まれていたほうれい線が消えたんです。『劣化』と酷評されたときは、どん底を見ましたが、毎日毎日、自分と丁寧に向き合った結果が出て、ひとつのことをやり遂げた達成感でいっぱいでした」
書籍にはたくさんの成功体験が記されている。逆にこの10年の間に手放したことはあるのだろうか。
「足りないと思うものをプラスすることを辞めました。目が小さいことがコンプレックスで、大きく見えるよう盛っていたまつエク(まつ毛エクステンション)や、濃いアイシャドー。背が低いからと無理して履いていた高いヒールも辞めました。30歳を過ぎてからは考え方、メイクや服もシンプルになって行ったので、もう必要ないなって」
手放すことができたことは、コンプレックスを受け入れることでもある。
「34歳くらいまでは、20代のノリが残っていました。でも35歳を過ぎたくらいから、受け入れられるようになりました。役者としても自分を中心に考えるのではなく、人をサポートしていかなくてはと思うようにもなって」
19歳でデビュー。27歳のときに結婚・出産を経験した。
「歌手を目指して、岡山からアメリカ・ニューヨークに音楽留学をしたのが高校生のとき。レジのおばさんの態度が悪かったなど、初めての海外は全てが新鮮でした。スポンジのように吸収して、19歳でデビュー。いろいろな経験をする中で、音楽やファッションなど、好きなものが見えてきたのが20代。30代になって変わったこともあったけれど、好きだという熱に突き動かされる、そこに時間を費やすことの喜びを知ったのが20代でした。結婚・出産をした後は、激動でした」
30歳を過ぎて変わった世の中の目線「立ち位置が定まっていないことに気付きました」
年齢に合わせ人生のステージが変わっていくことは、子育てを通じて感じたことでもある。
「27歳のときに授かり婚をしました。思えばまだ考え方が幼かったときに結婚をして、親になって。子どもの成長を通じて、できたママ友の発言などから、年相応の考え方も学びました。歌手になろうと岡山から出てきたのに、グラビアをやったり、『明日から、バラエティーな』と言われて未知の世界に飛び込んだり。若かったから突っ走れたことがたくさんありました。考えていたらできなかった」
30歳を過ぎると突然、世の中の目線が変わったことを感じたという。
「若くないし、かといってベテランでもない。立ち位置が定まっていないことに気付きました。大人の女性としてどう生きたいのかを考えて、カフェの経営(2016年に石川・金沢に開業)を始めたり、あと役者をしっかりやろうと2人のトレーナーの方についていただいて、台本の読み方、役が持つ役割について考えるようになりました」
役を演じるのではなく、自分の中に役を落とし込むため、役が生きてきた背景を考え、抱えているトラウマや、持っていそうなクセを想像した。好きな食べ物は何か。台本に書かれていないことを、自分の血肉にするために。役が訪れた食堂で食事をするなど、尽力した。
努力が結実したのは38歳のとき。映画『台風家族』(市井昌秀監督)と『ひとよ』(白石和彌監督)の演技が評価され、『第62回ブルーリボン賞』で助演女優賞を受賞した。40代になった現在は、新しい分野でその才能を開花させた。
「今年、(クリエイターが集うコンテンツスタジオ)『BABEL LABEL』にプロデューサーとして参加しました。踏み切ることができたのは、続けていた美容で得た達成感と、尊敬している安藤忠雄さんが、本格的に建築を始めたのが40代だと聞いたから。私もスタートラインに立てているのかなと感じ、映画『零落』(竹中直人監督)では出演とプロデュースを務めました。いまBABEL LABELでは3作品ほど準備を手掛けていて、中には海外の映画祭に出品したいものもあります。近年は韓国作品に押されがちな部分もありますが、『日本にも良質な作品がある』ということを伝えていきたいです」
40代は老いを感じていく時期でもある。
「書籍でも触れているのですが、数年前からフェムテック(※)にも関心を持つようになりました。日本には、更年期の不調にはこの薬など、乗り切るアイデアがあまりないように感じるのですが、私は複数の選択肢の中から最適なものを選びたいし、提案していきたい。(イタリア人モデルの)モニカ・ベルッチのように色気も知的さも備えながら、枯れていくのが理想です。そういう日本人はいままでいなかったから、いても良いよね? という気持ち。完璧すぎると怖いから、分け目から白髪がぴょんと出ていることもある。それを『チャーミングだね』って笑えるおおらかさを持っていたいです」
□MEGUMI(めぐみ)1981年9月25日、岡山県生まれ。19歳でグラビアアイドルとしてデビュー。バラエティータレントとしても活躍した。2009年に出産後、本格的に俳優業をスタート。俳優業のほか、金沢にある、古民家パンケーキカフェ『Cafe たもん』の経営などでも、その才能を発揮している。
※フェムテックとは、女性(female)とテクノロジー(technology)を組み合わせた造語。経済産業省は、生理や妊娠・不妊、更年期にまつわる女性特有の悩みに、先進的な技術を用いた製品やサービスで対応するものと定義している。