日本にたった1台の激レア車、どう入手? 「がらくたばかり」からの奇跡、2年がかりで走行可能に

世界を見渡しても、現存で稼働しているのは数十台、しかも、日本国内で登録されているのはたったの1台。激レアで、ユニークな見た目が印象的なのが、1957年式ツェンダップ・ヤヌス250だ。小型車のバブルカーに魅了された、オーナー・入佐俊英さんの情熱の愛車物語とは。

日本に1台しかない1957年式ツェンダップ・ヤヌス250【写真:ENCOUNT編集部】
日本に1台しかない1957年式ツェンダップ・ヤヌス250【写真:ENCOUNT編集部】

1957年式ツェンダップ・ヤヌス250 バブルカーに魅了

 世界を見渡しても、現存で稼働しているのは数十台、しかも、日本国内で登録されているのはたったの1台。激レアで、ユニークな見た目が印象的なのが、1957年式ツェンダップ・ヤヌス250だ。小型車のバブルカーに魅了された、オーナー・入佐俊英さんの情熱の愛車物語とは。(取材・文=吉原知也)

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「バブルカーのマニアでも知らない人がいる。マニアの上の変態クラスでないと、このクルマは知りません」。入佐さんはこう語る。知る人ぞ知る珍車だ。

 前と後ろのドアが開く「2ドア ミッドシップ」と呼ばれる構造。しかも、前後の座席を持ち上げると、フルフラット仕様に。キュートなルックスながら、画期的だ。ローマ神話の2つの顔を持つ神ヤヌスにちなんだ名前の由来だという。ドイツで約6900台が生産されたが、現存する台数は少ない。メーカーはもう存在しない。まさに希少車なのだ。

 入佐さんはどのように、この“幻の1台”と出合ったのか。もともとBMW愛好家で、88年式の初代M3を手に入れた。BMWのイベントに行くうちに、小型車・イセッタを知り、欲しくなった。ディーラーからは「国内にはないと思う」と言われていたが、近所で走っているのを目撃。探し続けていた中で、「イセッタの最終モデル」であるBMW 600をネットオークションで入手。レストアに挑戦した。別のBMW 600を岩手県内で見つけ、オーナーから譲り受けた。

 そこから、バブルカーの“沼”にどっぷり。伝説とされるツェンダップ・ヤヌスの存在を知ると、海外のエージェントに依頼し、世界中を探し回った。「ドイツでは、見つかってもがらくたばかりでした。オランダのエージェントから連絡があって、見つかったんです。即買いでした」。約5年前のことだった。気になる金額は「ユーロ払いで、いい値段でしたよ」と、ニヤリと笑う。

 もともと博物館にあった個体。外見はきれいに残されていたが、走行は難しい状態。そこで、ブレーキや足回りのレストアに取り組んだ。「私のポリシーは『走るは70~80%、止まるは100%』なんです。(ブレーキ部品の一部)ホイールシリンダーを探すところから始めました」。なかなか見つからず、苦労の連続だったが、東京・小金井のムラコシ精工の全面協力を得て、ホイールシリンダーを製作。こうして2年がかりのレストアで、走れる状態に仕上げた。

ローダー車を購入でカーイベントに積極参加 自分の人生と重ねる

 こういったバブルカーの旧車を動かす際は、「いつ止まるか分からない、ギアが入るか分からない」ため、安全な敷地内でまずは、動作確認。ちょっと動かしてみて、次は100メートル先のコンビニに行ってみる。試し乗りを繰り返しながら「距離を伸ばしていくんですよ」。ツェンダップ・ヤヌスは往復50キロのイベントに自走で行った経験があるという。「乗り心地はばっちりで、私のコレクションの中でも一番乗りやすいです。ただ、坂道が唯一の難点かな。250CCで、重量は450キロ。坂道では自転車に抜かれそうになります(笑)」とのことだ。

 入佐さんを取材した道の駅かぞわたらせのカーイベントでは、コレクションの1つである59年式メッサーシュミットKR200との2台参加だった。どうやって埼玉の会場まで来たのか。イベント展示に積極的に参加するため、実は、積載車(ローダー)まで買ってしまったという。「以前はレンタルしていたのですが、イベントが終わって帰宅して、その後に返しに行くのが面倒で。ローダーは値段は高いけど、売る時もいい値段になるので、自前のを買っちゃった。ツェンダップ・ヤヌスとメッサーシュミットがちょうど入るんです。積み込んで固定するための道具は自分で作ったんですよ!」と胸を張る。

 この希少車は、トヨタ博物館のクラシックカー・フェスティバルで、カーイベント“デビュー”を果たした。イベント会場では、物珍しさとかわいいルックスに引き寄せられ、多くの人が写真を撮ったり、入佐さんに話しかける。まさに人気者だ。「バブルカーの中でも、ゴールに近いクルマなんです。私は『自由に触れてもらっていいですよ』という考えで、もっと多くの皆さんにこのクルマを知ってもらいたいです。子どもたちにも人気で、うれしいです」。イベント会場で、多くの人の笑顔を見ることが、入佐さんの原動力にもなっている。

 部品入手は大変で、足回りの部品は自分で作ることもあるという。お金も手間もかかるが、「自分の子ども以上ですよね、そう言ったら怒られちゃいますが(笑)」。それに、愛車たちに自分の人生を重ねている。「私は1959年生まれなんです。ツェンダップ・ヤヌスは57年で、メッサーシュミットは59年。そうなると、自分とダブりますよね。あっちが調子悪い、こっちが調子悪い。だけど、現役で頑張ってる。自分とかぶるんですよ。人生の糧になります」。相棒たちを優しい目で見つめながら語った。

次のページへ (2/2) 【写真】人々が次々とカメラで撮り始める激レアの1台
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