元アパッチのアコ、64歳の今 焼き肉店で働きながらヘルパーとして奮闘「シニアモデル」にも意欲

1976年に『恋のブロックサイン』で歌手デビューし、人気番組『8時だョ!全員集合』や『シャボン玉こんにちは』『家族そろって歌合戦』にレギュラー出演していた3人組アイドルユニットのアパッチ。当時はテレビで見ない日はない人気ぶりだったが81年に突然、解散した。メンバーの中で高い人気を集めていたアコ(現在の芸名は亜湖)は解散とともに引退した。2013年に芸能界に復帰したようだが、ほとんどメディアには登場していない。引退した背景に何があったのか。今、どうしているのか。近況を取材すると64歳とは思えない若々しさに驚かされ、意外な生活も明らかになった。まずはユニット結成のいきさつや人気絶頂時の思い出から聞いた。

現役当時の面影たっぷりのアコ(現在の芸名は亜湖)
現役当時の面影たっぷりのアコ(現在の芸名は亜湖)

1976年『恋のブロックサイン』で歌手デビュー、5年後突然解散 現在の芸名は亜湖

 1976年に『恋のブロックサイン』で歌手デビューし、人気番組『8時だョ!全員集合』や『シャボン玉こんにちは』『家族そろって歌合戦』にレギュラー出演していた3人組アイドルユニットのアパッチ。当時はテレビで見ない日はない人気ぶりだったが81年に突然、解散した。メンバーの中で高い人気を集めていたアコ(現在の芸名は亜湖)は解散とともに引退した。2013年に芸能界に復帰したようだが、ほとんどメディアには登場していない。引退した背景に何があったのか。今、どうしているのか。近況を取材すると64歳とは思えない若々しさに驚かされ、意外な生活も明らかになった。まずはユニット結成のいきさつや人気絶頂時の思い出から聞いた。(取材・文=中野由喜)

「10代後半の時、宮城から母と2人で上京して大田区の日本そば店に住み込みで働きはじめました。せっかく芸能界との距離が近い東京にいるからと歌手になりたい思いが芽生え、芸能人に会えるかもという思いもあって、日本テレビ音楽学院(当時)に通いはじめました」

 76年にスタジオミュージシャンで構成されるバンドの楽曲で、コーラスの人たちがレコーディングに参加した『ソウルこれっきりですか』がヒットした。そこでレコード会社がこの曲をテレビで歌い、踊りもできるグループを結成しようと動いた。

「日本テレビ音楽学院に通って半年くらいの時にオーディションで生徒の中からグループのメンバーを選ぶことになったんです。そこでミッチー、ヤッチンと一緒に選ばれ、いきなりデビューすることになりました。18歳の時でした。自分が芸能人になるなんて考えてもいませんでした」

 あれよあれよと言う間のデビュー。そば店の店員から生活は一変したはず。

「アパッチ結成からわずか2週間で歌と振り付けを覚えさせられ、いきなり生放送の『お昼のワイドショー』に出演したことを覚えています。ただ、デビューしてもあまり感動はありませんでした。下積み生活をして、頑張ってやっとつかんだという職業ではなかったからだと思います。テレビのレギュラー番組は週6、7本、ほかにラジオもあり、ただただ忙しく、時間に追われる日々。1年に1日も休みがない年もありました。始発の電車で現場に向かい、夜遅く帰る毎日。住んでいた家にはお風呂もなくトイレも共同のアパートでした。お給料はいろいろ引かれていたのか手取りで5万円くらいだった気がします」

 大変そうだが当時の思い出を聞くと意外な言葉が返ってきた。

「つらかった思い出はないんです。歌手になりたい思いがあったので、楽しかったし、充実していて、あっという間だったという印象です。1度、風邪で40度近い熱が出て、仕事を休みたくて事務所に電話して寝ていたら、事務所の人が迎えに来て現場に連れていかれたことがあります。それでもつらいと感じなかったですね。『8時だョ!全員集合』のリハーサルの場では、志村けんさんと西城秀樹さんの肩をもむのが私の担当でした。お2人ともテレビのままの気さくな方で、亡くなった時は本当にショックでした」

 人気絶頂の中、解散、引退した。何があったのか真相を聞いた。

「事務所との契約終了のタイミングにちょうど私の結婚が決まったんです。夫は普通のサラリーマン。結婚するので辞めますと事務所に伝えました。芸能界に未練はありませんでした。それだけ夫のことが好きでした。その夫も41歳で亡くなりましたが……」

 人気アイドルを射止めた夫はどんな人だったのだろう。

「とにかく優しい人でした。私はよく友だちに『生まれ変わっても、もう一度一緒になりたい男』と言っていました。どちらかと言うと私の方が夫よりも気が強いので、もし生まれ変わって、また結婚できたら、今度は夫よりも三歩下がっているような妻でいようと思っています(笑)」

 愛の深さを感じるが、結婚生活はどうだったのか。

「幸せでした。いきなり夫の両親と夫の弟と妹もいる家に嫁いで、アイドルから家族6人の家の主婦になりました。夫はサラリーマンでしたが義父は職人。現場が遠い時はお弁当を作り、近い時は家で食べるのでお昼を用意していました。全く苦ではなかったですね。今は35歳と37歳になりますが息子2人に恵まれ、孫も4人います。忙しくてあっという間の42年間でした」

 2013年に芸能活動を再開したとの情報もある。

「ファンの人がたまたま芸能事務所をやっていて、名前だけでも、ということで所属の形に。ただ実質的には、ほとんど活動はしていません」

 今はどんな生活をしているのか。

「ダブルワークで働いています。焼き肉店で毎日3時間働き、ほかに1日おきですがヘルパーとして日に5時間くらい働いています。障害を持っている方など12人の朝食と夕食を作っているんです。料理を作るのが好きで、人の世話をするのも好きなんですよ。仕事をするのは性格的にじっとしていられないから(笑)」

 あらためて芸能の仕事への思いを聞くと「シニアモデルをやってみたい」と語った。芸名は本来、自分でつけたかった「亜湖」で、とした。アイドル時代の面影がしっかりあり、懐かしいと感じる中高年は少なくないはず。64歳とは思えない若々しさと陽気で明るくエネルギーを感じる。芸能界で再び本格的に仕事をする日を楽しみにしたい。

□亜湖(あこ)1958年10月11日、宮城県生まれ。中学卒業後、静岡県富士市の紡績工場に就職したが、ホームシックのため1年で退職。宮城に戻るが、後に母親と一緒に上京し日本そば店で働きながら、日本テレビ音楽学院(当時)に通う。76年当時、スタジオミュージシャンたちで構成されるマイナー・チューニング・バンドの曲がヒット。この曲をテレビで歌う歌手が必要となり、日本テレビ音楽学院の生徒を対象にオーディションが行われ、アコ、ミッチー、ヤッチンによるアイドルユニットのアパッチが結成された。76年に『恋のブロックサイン』で正式デビューし、『レモンのキッス』などをリリース。約5年間の活動後、81年に解散。2013年に芸能活動を再開し芸名を亜子に。その後、17年に芸能事務所・カロスエンターテイメントに所属し芸名を亜湖に。

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