「坂本龍一さんは時代のカナリア」作詞家・湯川れい子が振り返る坂本さんとの思い出

音楽家の坂本龍一さん(享年71)が亡くなったことを受け、音楽評論家で作詞家の湯川れい子氏が、坂本さんとの思い出をENCOUNTに語った。

湯川れい子氏が大切に携帯に保存していた坂本龍一さんとの2ショット【写真提供:湯川れい子氏】
湯川れい子氏が大切に携帯に保存していた坂本龍一さんとの2ショット【写真提供:湯川れい子氏】

3月28日、71歳で亡くなった坂本龍一さん

 音楽家の坂本龍一さん(享年71)が亡くなったことを受け、音楽評論家で作詞家の湯川れい子氏が、坂本さんとの思い出をENCOUNTに語った。(構成=福嶋剛)

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 デビューの頃からYMOは存じ上げていましたが、私が坂本さんと初めてお仕事でお会いしたのは、1993年にYMOが再結成(=再生)したときの最初のシングル『ポケットが虹でいっぱい』でした。エルビス・プレスリーの『Pocketful of Rainbows』を「日本語でカバーしたい」とリクエストされて、レコード会社から「日本語訳の歌詞をお願いしたい」と依頼をいただきました。そこでたしか坂本さんからのお電話で「この歌が好きなので、湯川さんが良いと思うような歌詞をお願いします」と言われました。

 ただ、坂本さんとはそんな音楽のある場所よりも、たまたま参加した集会や、仕事とは関係のない場所でバッタリお会いする方が多かったですね。そんな時、「頑張ってください」「私も同じ思いです」とか言葉少なに、しっかりと目を見て話しかけてくださいました。

 日本で政治的な発言や活動をすると、どうしてもそこに焦点が当たってしまいますが、坂本さんは世界を見ていらした感性の人です。なので、さまざまな時代の変化を敏感に感じ取りながら、環境問題や子どもたちの未来を考え、憲法や原発など少しでも危険を感じたら、声に出して行動する時代のカナリアでした。私もこれまで「時代のカナリアであり続けたい」と言ってきましたが、「アーティストは感性のカナリアだから」という言い方は、坂本さんの方が先だったと思います。

 心は熱い方でしたが、穏やかにニコニコと、手をしっかりと握って応援してくださった姿を思い出します。私自身も歳ですし、いつ倒れるか分かりませんが、最後まで坂本さんへの感謝とともに一羽のカナリアとして頑張っていきたいと思います。

□湯川れい子 1936年1月22日、東京・目黒区生まれ。60年、ジャズ専門誌『スウィング・ジャーナル』への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。その後、16年間続いたラジオ関東(現ラジオ日本)『全米TOP40』など、ラジオのDJとして活動。また、エルビス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点でポップスの評論・解説を続けている。作詞家としては、『涙の太陽』『ランナウェイ』『ハリケーン』『センチメンタル・ジャーニー』『ロング・バージョン』『六本木心中』『あゝ無情』『恋におちて』などのヒット曲を生み出し、ディズニー映画『美女と野獣』『アラジン』『ポカホンタス』『ターザン』などの日本語詞も手掛けた。

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