五代目江戸家猫八、襲名披露初日 林家たい平「動物園の檻の前に半日もいる」とどん欲さ指摘
動物ものまねの2代目江戸家小猫改め5代目江戸家猫八が21日、東京・上野鈴本演芸場で襲名披露興行の初日を迎えた。落語協会(柳亭市馬会長)の色物芸人が披露興行を行い、主任(トリ)を務めるのは、紙切りの林家正楽、浮世節の立花家橘之助に続き協会史上3人目。「猫八という覚悟を固めたうえで、寄席で演芸を続けて参ります」と色物芸人としての矜持(きょうじ)を満場の客席に示した。
東京・上野鈴本演芸場で襲名披露興行
動物ものまねの2代目江戸家小猫改め5代目江戸家猫八が21日、東京・上野鈴本演芸場で襲名披露興行の初日を迎えた。落語協会(柳亭市馬会長)の色物芸人が披露興行を行い、主任(トリ)を務めるのは、紙切りの林家正楽、浮世節の立花家橘之助に続き協会史上3人目。「猫八という覚悟を固めたうえで、寄席で演芸を続けて参ります」と色物芸人としての矜持(きょうじ)を満場の客席に示した。
披露口上に並んだ、「笑点」メンバーの林家たい平が「勉強熱心で、お父さん(四代目猫八)にはない芸を次から次に生み出している」とたたえた芸熱心の猫八の現在地は、トリの持ち時間いっぱいを使い切り、観客に提示された。
「子どもの頃、芸人にならなくてもこれだけは鳴けるように」と父であり四代目江戸家猫八(2016年3月21日死去)に仕込まれたウグイスの鳴きまね。曾祖父にあたる初代猫八が明治時代の寄席で人気を博した「ホーホケキョ」を令和の寄席に、五代目の第一声として響かせた。
「自分が動物園の園長で、体の中で飼っている動物たちの中からスタメンを選んで組み立てる感じ」という芸風。アルパカ、猫、喉に負担がかかるというチワワ、テナガザルなどオールスターで構成したこの日は、「ヌゥ」と短く鳴くヌーの鳴き声を、WBCの侍ジャパンを意識し「ヌートバー」と初披露したが、「まだダメですね。次回どう入れるか」と自らの課題に加えた。
高校3年の秋、ネフローゼ症候群を患い、20代をほぼ闘病の季節として過ごした。30歳のころ、父で四代目猫八の襲名披露興行に同行する中で、芸人として生きる決意を自分の中に打ち立て、32歳のときに父に入門。寄席芸人としての道を歩み始めた。
芸人仲間にも好かれ「この人の芸と人柄を嫌いな人は、ひとりもいません」と口上で司会を務めた柳家喬太郎が太鼓判を押すほどの人格者。4代目亡き後も芸磨きに精進し、その成果は第36回浅草芸能大賞新人賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞)大衆芸能部門)へとつながった。
持ちネタは、メジャーなウグイスの他にも、マニアックなヒマラヤタール、タスマニアデビルなど「80~100ぐらい」。
動物園の飼育員の間にもその存在はとどろき、「各地の動物園のバックヤードに顔パスで入れる」(橘之助)というほど。たい平は「動物園の檻の前で、(動物が鳴くまで)半日もいたりする。ちょっと迷惑な人でもあります」と笑わせた。
「きょうは15時に楽屋入りしましたが、師匠方にあいさつをしたり、口上に並ぶ際の着物を着たり準備をしていたらあっという間に口上の時間になり、スタメンを固めきれずに出番になりました」というあわただしさで迎えた猫八として初高座。
「緊張感、いつもと違う雰囲気はありましたが、かなり落ち着いて、いつも通りのリズム、平常心でいられたことが驚きと」と、高座後に振り返るその表情は自信に満ちあふれていた。
この日の鈴本演芸場大初日から、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場へと、都内の寄席をめぐる50日間の披露興行は続く。
「極力運びをかえて、私の理想は、例えばヌーが出るまではその日にヌーが出るか出ないかを読まれないような、ガチャガチャのような感覚ですね。その流れで50日間運んでいきたいと思います」と、何度聞いても飽きない芸の、さらなる精進を誓った。