230冊もの日記からひも解く“人間カメジロー”TBS佐古忠彦監督インタビュー
沖縄の民衆運動の原点となった政治家、瀬長亀次郎(1907~2001年)。戦後、沖縄で米軍の圧政と闘い続けたカメジローの壮絶な生き様を描いたドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が8月24日、公開される。「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(2017年)の続編となる本作では私人としての姿にスポットを当てた。監督は「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターとして知られるTBSテレビ報道局の佐古忠彦氏(55)。その思いを聞いた。
映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が公開
沖縄の民衆運動の原点となった政治家、瀬長亀次郎(1907~2001年)。戦後、沖縄で米軍の圧政と闘い続けたカメジローの壮絶な生き様を描いたドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が8月24日、公開される。「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(2017年)の続編となる本作では私人としての姿にスポットを当てた。監督は「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターとして知られるTBSテレビ報道局の佐古忠彦氏(55)。その思いを聞いた。
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――前作「その名は、カメジロー」は、平成30年度文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞を受賞するなどの高い評価を受けました。続編を撮った理由を教えてください。
「見ていただいた方から『カメジローはなぜこんなに不屈になったのか』『かっこいいカメジローは分かったけど、格好悪いカメジローも見てみたい』『家庭でどんな顔があったんだろうか』と人間カメジローをもっと見たいという声をいただきました。それは私も同じでした。上映から4、5か月ぐらい経った時に、もう一度日記を読んでみたんです。すると、お父さんの顔、夫としての顔が見えてきて、とても興味深かったんですね。さらに映像も探すと、1作目ではたどり着かなかったインタビュー映像もあり、1作目で駆け足で日本復帰まで描いた歴史の空白を埋めながら、人間カメジローに迫ることを命題にして臨みました」
――保守系の映画館経営者や銀行も、影ではカメジローを支援していたことも描かれています。そんなカメジローさんの魅力とはなんでしょうか。
「本土の政治的、思想的な価値観で沖縄を見ると間違うと思います。今の時代は右と左、保守と革新とすぐに色分けされてしまいますが、カメジローはそういうものを超越した存在で、人々を立場関係なく引き付けるというところがあります。映画には『カメジローさんはウチナー・アイデンティティーの標本だ』というような証言もあります」
――監督がそもそも沖縄に興味を持ったきっかけはなんでしょうか?
「沖縄米兵少女暴行事件(1995年)の翌年から『筑紫哲也 NEWS23』で、筑紫さんとご一緒した時間が原点です。筑紫さんは『沖縄に行くと、日本がよく見える。この国の矛盾がいっぱい詰まっている』とおっしゃっていました。最初に私がつくった沖縄特集は日米地位協定がテーマで、この国の矛盾にぶちあたっている人たちを取材し、筑紫さんの言う矛盾を目の当たりにした思いでした。以来、沖縄は、いつのまにか私のテーマとなりました」
――第1作では闘争の中で弾圧され、投獄されたり市長になってからも、資格を剥奪されるなど公人としての姿がメインでしたが、本作では父親との確執、家庭での姿など私人の姿が描かれます。
「長女のひとみさんとのエピソードは尺の関係もあって盛り込めなかったんですけど、家出をした時には『自分の一言が娘心を傷つけたようだ』と悔いの言葉も書いていたり、『ひとみちゃんが帰ってこない』と5日ぐらい日記に書き続けたり、そういう娘に慌てる普通のお父さんもありました。ほかにも、どこの家庭にもあるような風景がありました。生活は本当に貧乏だったって、言いますね。雨漏りはいつもだったようです。あちらこちらにバケツとか洗面器をおいて、大変だったっていうのは、次女の千尋さんも話していましたし、日記にも書いてあります。だからといって、自分の生活にはお金を使わず、政治やみんなのために使っていたようです」