レスラー人生を締めくくった武藤敬司の魅力とは プロレスリングマスターの幸せな38年4か月

武藤敬司は幸せな男だ。2・21東京ドーム大会で、現在の日本プロレス界で指折りの人気を誇る内藤哲也との引退試合に臨んだ後に、闘魂三銃士の同志・蝶野正洋をリングに引っ張り出した。見事なファイナルファイトを披露し、3万人を超える大観衆を熱狂させ、大歓声を浴びた。

武藤敬司(左)は念願通り蝶野正洋と“ファイナルマッチ”を闘った【写真:柴田惣一】
武藤敬司(左)は念願通り蝶野正洋と“ファイナルマッチ”を闘った【写真:柴田惣一】

柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.134】

 武藤敬司は幸せな男だ。2・21東京ドーム大会で、現在の日本プロレス界で指折りの人気を誇る内藤哲也との引退試合に臨んだ後に、闘魂三銃士の同志・蝶野正洋をリングに引っ張り出した。見事なファイナルファイトを披露し、3万人を超える大観衆を熱狂させ、大歓声を浴びた。

 昭和、平成、令和の3つの時代を走り抜けた38年4か月のレスラー人生。トップ選手として人気を集めてきた。もう一つの顔であるグレート・ムタとしては、元日決戦で米WWE・中邑真輔との「ミラクルマッチ」を実現させた。ゴングを鳴らしただけでも奇跡だったのに「今年のベストバウト」の声が早くも上がるほどの素晴らしいファイトを展開している。

「プロレスは芸術」「試合は作品」とは武藤の言葉だが、最後も有言実行。見事な幕引きだった。昨年10月に亡くなったアントニオ猪木さんも、武藤には一目置いていたのではないだろうか。何事にも懐が深かった猪木さんを、プロレスで繰り返し不機嫌にさせている。こんなレスラーは他にはいない。

 まずは1994年5・1福岡ドーム大会でのムタとしての猪木さんとの直接対決だった。それまで、どんな対戦相手も掌で操ってきた猪木さんを翻弄。勝利したのに試合後の猪木さんは荒れていた。「武藤にしてやられた」という猪木さんの悔しさを感じたものだ。

 続いて翌95年の10・9東京ドーム大会。新日本プロレスとUWFインターナショナルとの全面対抗戦の大将戦で、武藤は高田延彦との大勝負に臨んだ。テレビ解説席に猪木さんと並んで座ったが、猪木さんは終始、眉間にしわを寄せていた。自分抜きで超満員鈴なりになった東京ドームの観客席に、まだ現役だった猪木さんは複雑な思いを抱いていたはず。

 さらに、花道を進んできた武藤が、ド派手なロングガウンをさっそうと脱ぎ捨てるや、猪木さんの顔はいよいよ厳しくなった。のちの「プロレスLOVEポーズ」で、両手を広げる武藤に「猪木さんは舌打ちするのでは」と本気で心配したことを、今でも鮮明に思い出す。

 猪木さんの闘魂に華やかさをアレンジした武藤流のストロングスタイルに、当時の猪木さんは違和感を禁じ得なかったのだろう。とはいえ、平成のファンは武藤流プロレスLOVEに熱狂している。武藤は直感的に、時代の流れを感じ取る才覚も兼ね備えていた。

 武藤は不思議な男だ。新日本からまさかの電撃移籍した全日本プロレスで社長を務めた後、離脱しWRESTLE-1を設立したが、団体は活動停止。武藤の元にW-1に集った選手たちは新たな道を探すしかなくなった。

普通なら武藤への不満、愚痴が飛び出しそうなものだ。ところが、聞こえてこない。「猪木さんなら何でも許されるのか」とは日本マット史に残る名言だが「武藤さんだから、仕方がない……」も語り草である。

 マイペースを貫きながらも、憎まれない。面倒見がいいとは思えないが、どうやらさりげない優しさに満ちているようだ。

天国の橋本真也さんへの想いを内藤哲也にぶつけた武藤敬司【写真:柴田惣一】
天国の橋本真也さんへの想いを内藤哲也にぶつけた武藤敬司【写真:柴田惣一】

24時間365日、プロレスLOVEを貫いた武藤敬司

 武藤は順応性がある。若手時代の海外遠征を現地取材した時にも、日本人の先輩レスラーや現地の選手たちとうまくやっていた。大先輩のケンドー・ナガサキさんとルームシェアをし、料理が得意なナガサキさんの手料理をほおばっていた。もちろん片づけなどを手伝いながらも、甘え上手だった。環境に溶け込み、巧みに生き抜いていた。繊細さと共に鈍感力も兼ね備えていた。

 立身・成功の三条件は「運・鈍・根」。運と鈍感力と根性だそうだ。幸運と、ちょっと鈍いくらいの気質と、根気の3つ。幸運は、鈍でなければつかめないとも言われる。武藤を見ていると納得させられる。

 取材しても武藤が「う~ん」と考え込んでしまい「こうじゃない?」とこちらからアイデアを出したことがある。翌日、新聞を持参すると「うん、そうだよな。俺の想いはこれだよ」と満面の笑みを見せた。

 大相撲の横綱からプロレス界に転身してきた輪島さん、北尾さんの番記者をしていたときには「俺たちのこと、もっと書いてよ!」と、ちょっとふくれたように珍しく口をとがらせた。「こんなに頑張っているんだからさ」とでも言いたげだった。

 確かに、いつも努力を怠らない。コンディション作り、パフォーマンス、マイク……いつ何時でもプロレスのことを考えていた。24時間365日、プロレスLOVEだった。

 もちろん女性にもモテた。国内外で熱いロマンスのうわさも聞いた。成長した娘さんがキスを嫌がるようになると「パパとチューしたい人は、いっぱいいるんだぞ、と言ってやった」と豪快に笑った。

“プロレスリングマスター”武藤敬司。ファン、レスラー仲間、関係者から愛された男は東京ドームという大舞台で華々しく引退した。その記憶は、いつまでもみんなの心に鮮やかに残るだろう。月日が経っても白黒になることはなく、いつまでも色付きのレスラーでいるはず。怪我に苦しみ、苦労も多かっただろうが、それでも盛大な引退試合ができて、幸せなプロレス人生を全うしたと思う。

 武藤に、ムタに憧れてレスラーになった後進は、日本だけではなく世界中に数知れない。

 今後もプロレスLOVEを伝えていってほしい。

次のページへ (2/2) 【写真】1999年7月の新日本プロレス公認ファンクラブ「闘魂戦士」オフィシャルマガジン
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