川崎麻世「ギラギラした自分、もういない」 還暦前に心境の変化「邪念がなくなってきている」

俳優の川崎麻世が3月1日に還暦を迎える。13歳でのデビューから47年、「還暦の実感はないですね」と若々しさをキープする一方で、高価な指輪やアクセサリーを身に着け、左ハンドルの外国車に乗り、六本木の飲食店に通っていた“ギラギラしていた”ころの姿からは一変した。「邪念みたいなのがなくなってきている」という川崎に心境の変化を聞いた。

還暦を迎える川崎麻世【写真:舛元清香】
還暦を迎える川崎麻世【写真:舛元清香】

見えや虚栄心がなくなった還暦手前 数百万円のクロムハーツ“盗難事件”も

 俳優の川崎麻世が3月1日に還暦を迎える。13歳でのデビューから47年、「還暦の実感はないですね」と若々しさをキープする一方で、高価な指輪やアクセサリーを身に着け、左ハンドルの外国車に乗り、六本木の飲食店に通っていた“ギラギラしていた”ころの姿からは一変した。「邪念みたいなのがなくなってきている」という川崎に心境の変化を聞いた。(取材・構成=水沼一夫)

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 13歳で芸能界入って、まさか還暦が来るなんて夢にも思っていなかったです。13歳ということはもう47年ですよね。そんなに長く一つの仕事をできるなんて、本当に想像もしていなかったですね。

 還暦というと、過去にいろんな人を見てきたので、「あの年になったんだ…」という印象があります。でも思ったより、おじいさんじゃないなというのがありますね。老化してくるところはありますけど、まだいけるなという感じです。還暦の実感はないですね。最近老眼が入ってきちゃったから、この1年でめがねを持ち歩くようになったくらいです。

 芸能生活47年間を振り返ると、早かったですね。例えば20年ぐらい前のことはついこの間の出来事だったような気がします。久しぶりに会った役者さんに「久しぶりだね」と言って調べてみたら、もう20数年前に会ったきりとか。自分の中ではすごく早いです。

 本厄なので、この間、厄払いに行ったんですよ。厄除けに効くという京都の石清水八幡宮に行って、おみくじを引いたんです。そしたら初詣に行ったときも大吉で、厄払いのときも大吉だったんですよね。大吉が続いているので、これもしかしたら今年は無理せず足元を確認しながら前に進めば大丈夫なんじゃないかなという気持ちになっています。昔みたいに急発進しても勢いで乗り切れるという考えもなくなってきているので、慎重に一歩一歩行こうかなとは思っています。
 
 自分の中では実年齢より10歳以上、若いと思っているんですよ。50前の人から『この歳になってしんどい』とか聞きますけど、何おっちゃんみたいなこと言っているんだろうと思いますね(笑)。「いやいや、50から楽しいんだよ」と思いますし、僕自身すごく落ち着いてきたので、これからどういうふうになっていくのかまた一つ楽しみというか、邪念みたいなのがなくなってきていると感じています。

 人とけんかすることもなくなりましたね。変な話、芸能人ってネットに書かれやすいじゃないですか。ディスられたりすることもいっぱいあるだろうし、アンチもいるけど、でもそれ見て笑っていますから。自分でエゴサするんですよ。『川崎麻世老けたな』と言われていても、全然怒りにならない。例えば車を運転していて雑な運転をする人がいたとします。若いときって、この野郎と思ったけど、今は思わないですね。逆にかわいそうに感じます。なんでそんなことでイライラしてるんだろうって。めちゃめちゃ安全運転ですよ。

 見えとか虚栄心みたいなのがなくなりました。20歳のときからずっと左ハンドルの外車じゃないと嫌だと思っていたのが、国産の方が良くなってきて、時計もそうですけど、ブランドにこだわらなくなりました。指輪やネックレスをいっぱいつけていたんですけど、全くつけなくなりましたね。ほら人間って生きていると痛い思いをいっぱいするじゃないですか。僕、結構クロムハーツ系とか好きだったので、クロムハーツのダイヤが入った指輪をして飲みに行ってたんですけど、ある日石けんで手を洗うとき、指輪を洗面所に置いたまま席に戻ったことがあった。「あ、置いてきちゃった」と思って、すぐに戻ったらもうないんですよ。何百万もするような指輪で…。こんな悔しい思いをするんだったら、いらないじゃないと思って(笑)。身につけてるものよりも、心を磨くというか、心の輝きのほうが重要じゃないかなって思うようになりました。

 六本木とかギラギラしたところに飲みに行っていた時期もあったんですけど、そういうところにも行きたくないんですよ。ベースは常に居酒屋です。お金を持っていようが持ってなかろうが、居酒屋は常にニュートラルな位置で話ができるし、割り勘にしても1万もいかないですよね。割り勘で1万円だったら安いなと思っていたようなときもあったんですけど、それっておかしいなと。若いときは別にそういうノリはノリでいいと思うんですけども、時代の流れも変わってきたというか、逆らわないほうがいいんだなと思っています。

88歳の母への思いも語った【写真:舛元清香】
88歳の母への思いも語った【写真:舛元清香】

88歳で現役の母に刺激 「僕はこれしかできない」60からのブランディング作り

 ギラギラしたアクセサリーが好きで、ジュエリーが好きで、革ジャンが好きで、ジーパンが好きで、ずっと「これが川崎麻世のスタイルだ」というものがあったんですけど、変わってきましたね。もうすぐ60ですけど、今までどちらかというと美意識がなかったんですよ。でも、不思議なことに、年を取るとちょっとしたことで不潔に見られることがあります。シミがあるという理由だけで、その人の人格には何も関係ないのにそういうふうに判断されたりしますよね。電車に乗っていても、だらしなさそうな格好をしているおじさんが女性の隣に座ったら女性は移動して違う席に座ったりするんですよね。だから、やっぱり印象というのはおじさんになればなるほど大事なんじゃないかなと思っていますね。

 長年舞台やミュージカルをやってきて、あっちこっちの関節が悪いんですよ。膝、首、腰、手首、全部痛いんですけど、でも痛いからと言って、「もう年だから」と言ってしまうと、あっという間に老けてしまう。だから、トレーニングや食事で自己管理していかないといけないし、昔は美容院でも2か月か3か月に1回ぐらいしか行かなかったんですけど、今は月に2回行くようにしています。

 3月1日に都内のホテルで還暦パーティーをやるんですけど、チラシに「60GG」という文字を入れているんですよ。「60のじじい」だけど、まだまだ「60ゴーゴーでいこうぜ」とイケイケのゴーゴーの意味も込めているんです。だから“イケてるじじい”になりたいなと思っていますね(笑)。郷ひろみさんも、あの年齢(67歳)でまだ昔と変わらずパワフルでやっていますし、本当にすごいなと思いますよね。インスタとか見ていても昔のアイドル時代と変わらない笑顔を見せていて、そういうことも大事だなと学ばせてもらっています。

 母は88歳になっても大阪で喫茶店に立っています。喘息は持っていますけど、大病はありません。僕は1人っ子ですし、親の看病とか介護をしなきゃいけないような年齢なのに、そうせずにいれているというのはとても感謝しています。だからこそ時間さえあれば、実家に帰ってなるべく母との時間を作るようにしています。

 病院の先生からは「お母さんも88なので、このままお仕事を続けさせるのか、それとももうお仕事を辞めさせるのか、息子さんが一緒に住まれるのか…ということもちゃんと考えてくださいね」と言われています。ただ、うちの親がなんであんなに若々しくいれるかというと、一つは店があるからなんですよね。何十年も店に立ち続けて、シャッターの上げ下ろしをしたり、お客さんと会話をしたりしている。そういうルーティンになっていることを急にやめさせると、絶対老けると思うので、本当に頑張ってほしいんですよ。ただ傍にいないというのが心配なので、家にカメラをつけていますし、ビデオ通話で毎日話をしています。

 僕もこれ(俳優業)しかできないと思うんですよね。13歳からバイトの一つもしたことなくて、レジの打ち方も分からない。だからできれば生涯、それこそちょっとした何かおじいちゃん役だけでもいいし、何でもいいからやっていきたいなと思いますよね。今、大御所だって言われてる人たちがいますけど、自分よりも芸歴が若い人たちも結構いるので、負けないようにというか、「これは川崎麻世の役だね」とか「これって川崎麻世のイメージだよね」という何か一つのブランディングみたいなものが確立できれば、もっと仕事もやりやすいだろうなとは思います。60からのブランディング作り、それが楽しみですね。

 60というのは一つの節目ですし、もうちょっとかっこいいじじいになれればって思います。外国のロックスターは年を取っても顔だけ老けて、格好は変わらないしという人たちが多いじゃないですか。ロッド・スチュワートやミック・ジャガー、スティーヴン・タイラー…みんなそうです。僕のギラギラしているところが削ぎ落とされて、「川崎麻世よくなってきたな」というのがにじみ出るといいかなと思いますね。スーツにしてもタキシードにしても、自分もああいうファッションしたいなとか、ああいう髪型したいなというお手本になればいいかなと思っています。

□川崎麻世(かわさき・まよ)1963年3月1日、京都市生まれ。東京工芸大学短期大学部画像技術科卒。1歳半の頃に両親が離婚し、母親とともに大阪府枚方市へ。75年、人気バラエティー番組「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ」のものまねコンテストでグランドチャンピオンになり、スカウトされ76年、CMでデビュー。77年、「ラブ・ショック」(CBSソニー)で歌手デビューしアイドルとして人気を博した。その後は俳優として活動しながら、タレントとしてバラエティーでも活躍。2021年初主演映画「ある家族」が公開された。3月1日に還暦パーティー「MAYO KAWASAKI 還暦 Dinner Party 60GG supported by 築地 秀徳」(リーガロイヤルホテル東京)を開催する。

※川崎麻世の「崎」の正式表記はたつさき

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