元関脇の豊ノ島、タレント転身で気付いた相撲部屋の特殊性「ロシア人が震えるクーラー」「うつ伏せでもご飯」

日本相撲協会を退職して約1か月。元関脇のタレント豊ノ島(39)が、ENCOUNT編集部に「離れて知った相撲界の特殊性」を明かした。「暑がりの集まりでクーラーの設定はロシア人が震えるほど」「冬でも暖房はつけない」「うつ伏せが一番楽な姿勢で、ご飯も食べられる」など。今後、テレビ、ラジオ、講演などでも「相撲界の面白い話」を話しつつ、大相撲を身近に感じてもらうつもりだ。

楽な姿勢のうつ伏せから顔を上げる豊ノ島【写真:ENCOUNT編集部】
楽な姿勢のうつ伏せから顔を上げる豊ノ島【写真:ENCOUNT編集部】

日本相撲協会を退職、タレント転身1か月で「驚かれることに驚き」

 日本相撲協会を退職して約1か月。元関脇のタレント豊ノ島(39)が、ENCOUNT編集部に「離れて知った相撲界の特殊性」を明かした。「暑がりの集まりでクーラーの設定はロシア人が震えるほど」「冬でも暖房はつけない」「うつ伏せが一番楽な姿勢で、ご飯も食べられる」など。今後、テレビ、ラジオ、講演などでも「相撲界の面白い話」を話しつつ、大相撲を身近に感じてもらうつもりだ。(取材・文=ENCOUNT編集部ディレクター 柳田通斉)

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 豊ノ島が、新米タレントとして歩み始めた。1月25日にフジテレビ系バラエティー『ぽかぽか』(月~金曜午前11時45分)に出演。現役時代、取組後のインタビュールームでテレビの生放送を経験しているが、「正直に言うと、ガチガチでした。打ち合わせ通りにしかいきませんでした」。それでも、「タレントになってから、なかなか(出演依頼の)声がかからない」とボヤくと、MCのお笑いコンビ・ハライチ澤部佑が「散々、現役時代に呼んどいて。フジテレビもよろしくお願いしますよ~」と呼び掛け、笑いを誘った。

「澤部さんにおいしくしていただきました。よく考えたら、現役でNHKの生放送を経験しているんですよね。あの時は全く緊張しませんでしたし、次の生放送では相撲を取ってから出ることにします(笑)」

 収録済みでは、5日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(日曜午後7時)に現役力士たちと出演しており、ラジオ番組の生放送も経験した。いずれの番組でも、大相撲の話題が主になり、豊ノ島自身も「相撲を若い人に知ってもらいたい思いがあるので、ありがたいです。僕がこうして出ることで、硬いイメージもある相撲に親しみを持ってもらえたら、うれしいです」と話している。

 その思いで、関係者と打ち合わせしていて驚かれたことがいくつかある。1つが「夏の相撲部屋は寒い」だ。

「体の大きい力士は、とにかく暑がりです。その集まりの中では僕は寒がりな方なので、夏の方がクーラーの効きすぎで寒いんです」

 夏場、相撲部屋の温度設定は20度以下が当たり前。それでも、力士たちがパンツ1枚になり、「気持ちい~」と言いながら、団扇(うちわ)を仰ぐ光景もある。

「僕がいた時津風部屋の大部屋には、業務用のクーラーが2個ついていて、バーッっと白いの(冷気)が出ているですよ。そこに(稽古の)見学に来たロシア人の男の子2人が入ってきて、しばらくすると部屋の端で震えていました。力士たちは『え~っ、ロシア人が』と驚きつつ、『気持ちい~』と言い続けていました(笑)」

現役時代から体重は20キロ減の豊ノ島【写真:ENCOUNT編集部】
現役時代から体重は20キロ減の豊ノ島【写真:ENCOUNT編集部】

寒さに強く暖房なし、力士用のイス、テーブルもなし

 一方、力士たちは「冬の寒さ」に強い。寒波が来ても、まわし1つで朝稽古をし、体から湯気を出している。

「僕は寒がりなので、冬の朝稽古は得意ではなかったですけど、みんなと同じで暖房はつけていません。相撲界にそういう習慣がないからです。自宅の部屋にいる時は基本、うつ伏せで過ごしていますし、暖房がなくても寒さを感じません」

 豊ノ島いわく、「力士にとって、一番楽な姿勢はうつ伏せ」。リラックスする際は、ソファに座るわけでもなく、布団を敷いてうつ伏せになるのだという。

「そもそも、相撲部屋には(力士用の)イス、テーブルがありませんし、ちゃんこを食べる時はあぐらをかき、足元に茶碗や皿を置いて食べます。僕は1日5食の時代もありましたが、夜食でカップラーメンをすする時は、腹の部分にクッションを噛ませ、うつぶせのまま食べたりもしました。そういう力士はたくさんいます」

 これらのことを話すと、必ず「え~っ!」「本当ですか!」と驚かれるというが、約20年間、相撲界にいた豊ノ島は「今は、驚かれることに驚いています」と表現した。

 その他、相撲界では「北向く=変わり者、拗ねている者」「やまいく=病気がケガをすること」「世方(よかた)=相撲界以外の人のこと」など、特殊な用語も飛び交っている。ネット検索をすれば、それらの意味は分かるが、豊ノ島自身が具体例を挙げてトークすれば、より興味をひくことだろう。

 振り返ると、豊ノ島が日本相撲協会退職とタレント転身を決めたのは、昨年11月に九州場所を終えた時点だったという。発表後、その背景をさまざまな形で報じられたが、以前から興味を持っていた世界に飛び込む決意をしたことが、最大の理由だった。

「前向きな決断ですし、40歳という節目を迎える前に新しいことをするなら、今かなと思いました。妻には不安はあると思いますが、『自分がやりたいことをやったらいいじゃない』と言ってくれました。僕もここで勝負すると決めました」

タレントに転身した豊ノ島の宣材写真【写真提供:オフィス豊ノ島】
タレントに転身した豊ノ島の宣材写真【写真提供:オフィス豊ノ島】

糧になる幕下陥落、年収激減の2年間「七転び八起き」

 現役時代、左足アキレス腱断裂で12年間守った関取の座から陥落した経験がある。2016年九州場所から18年秋場所までは幕下で相撲を取った。年収1000万円以上から、約90万円(2か月に1度の場所手当てなど)に激減。貯金を切り崩し、賃料半額の家にも引っ越した。2年の間にも、肉離れをして、当時の師匠に引退決意を電話で伝えたこともあった。しかし、幼かった長女の希歩さんに「とうと、絶対に辞めないで」と言われて踏みとどまり、再起した。18年九州場所では再十両で11勝4敗。19年春場所には幕内に復帰し、20年初場所まで関取の地位を維持した。「七転び八起き」の精神で逆境を跳ね返したからこそ、芸能界という荒波に入っていく気持ちになれたという。

「あのまま引退するのではなく、ケガを乗り越えて復活できたとは、これからも糧になるでしょう。そして、この経験をいろんな形で伝えることも、僕の役割だと思っています」

 今後は、相撲解説も含めた番組出演、面白い話と真面目な話を織り交ぜながらの講演、現役時代から地元の宿毛市で開催している「豊ノ島杯ちびっこ相撲大会」の継続も活動の一環になる。

「昨年12月18日、雪が降りしきる中、約3年ぶりに開催しました(20、21年はコロナ禍で中止)。10回目で1つの区切りかと思っていたら、園児、小学生がたくさん参加してくれ、相撲未経験者の子が負けて『来年は絶対に勝つ』とコメントしていました。それで、『まだまだ続けなければ』と思いました」

 抱く夢の1つには、「豊ノ島杯の参加者から関取になる力士を輩出する」がある。相撲界を離れても、恩返しをしていく。そして、さまざまなことに挑んで家族を支えていく。勝負を懸けた39歳。現役時代の取り口のごとく、どんなことにも、真っ向から対するつもりだ。

□豊ノ島(とよのしま)本名・梶原大樹。1983年(昭58)6月26日、高知・宿毛市生まれ。宿毛高卒。小学校から相撲を始め、宿毛高3年時に時津風部屋に入門。2002年初場所で初土俵。所要13場所で04年夏場所に新十両へ昇進。同年秋場所で新入幕、07年夏場所では新三役の小結に昇進。三賞は殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞4回。金星4個で最高位は東関脇。各段優勝は序ノ口1回、序二段1回、十両2回。通算成績は703勝641敗68休。小2でてんかん発作を起こしたことで、立ち合いは頭から当たらずも相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しからの速攻相撲、投げを得意とした。20年名古屋場所で引退。現役時代は168センチ、154キロ。家族は妻の沙帆さん(41)と長女の希歩さん(10)。血液型A。

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