収益度外視の決断でゼロから国内最大級へ eスポーツブランド「RAGE」の誕生秘話

右肩上がりに市場規模を拡大している日本のeスポーツ。そんな急成長を続ける業界をさまざまな角度から盛り上げているのが「RAGE(レイジ)」だ。日本最大級のeスポーツイベントの企画などを担い、業界の成長を支えている。そんなRAGEで総合プロデューサーを務める大友真吾氏が現在に至るまでの苦悩や成功体験をコラム形式で伝えていく。第2回は「RAGE」と名付けた理由を告白。当時の収益度外視の決断と現在のブランディングに至るまでを語る。

大友真吾氏が「RAGE」立ち上げの苦悩を語る
大友真吾氏が「RAGE」立ち上げの苦悩を語る

【RAGE総合プロデューサー大友真吾コラム第2回】

 右肩上がりに市場規模を拡大している日本のeスポーツ。そんな急成長を続ける業界をさまざまな角度から盛り上げているのが「RAGE(レイジ)」だ。日本最大級のeスポーツイベントの企画などを担い、業界の成長を支えている。そんなRAGEで総合プロデューサーを務める大友真吾氏が現在に至るまでの苦悩や成功体験をコラム形式で伝えていく。第2回は「RAGE」と名付けた理由を告白。当時の収益度外視の決断と現在のブランディングに至るまでを語る。

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「事業計画はなし。新興産業の事業はセンターピンを定めて息を止めて立ち上げる」

 eスポーツ大会ブランドを自社で立ち上げることを決めてから、まずは事業計画の作成に着手しました。海外の市場や規模などの事例をもとに事業計画を作りましたが、まだeスポーツの事業において右も左も分からない状態でしたので、ただの数字遊びの域を抜け出すことができず、まずは立ち上げ期のセンターピンを定めてそこに一点集中する方法を取りました。

 センターピンはシンプルに視聴数と来場者数。目標は「日本で一番の視聴数、来場数を誇るイベントを3年でつくる」こと。そうすることで、これからeスポーツの波が押し寄せたとき、No.1の実績をもつ我々の大会にタイトルも人も集まるだろうと考えました。

 なので、売上や利益などの収支計画はあえて創らず、eスポーツ大会ブランドとして突き抜けるためのKPIにコミットすることをCyberZの役員会でも承認をもらい取り組むことになりました。

 当時のRAGEは投資フェーズだったOPENREC事業部内の重要なコンテンツ投資の一つを担ったのと、代表の山内が大のゲーム好きだったこともあり、このような意思決定ができたと思います。

 もしこのとき、PL(損益計算書)ベースの計画を立てて、そこにコミットしていたら、今のような規模にRAGEは成長させられていなかったでしょう。おそらく収支の達成を最優先し、こじんまりとした大会やイベントのみ実施して、最悪の場合、売上がつくれず撤退判断されていた可能性も高かったと思います。

 eスポーツ業界に全くゆかりのなかった我々は最初の大会をプロデュースするのも一苦労でした。まずはどのタイトルでどういう規模の大会を実施するか。そもそもの大会名はどうするのか。

 立ち上げなので全てゼロからのスタートです。私はまず大会ブランドとしてのビジョンと大会名を考えました。

 初めて観たeスポーツ観戦での感動があったのと、競技は違えど、私自身高校までバスケットボールに本気で取り組んでいた経験もあったので、ゲームプレイヤーの誰もが知っている大会ブランドにし、そこで活躍すればスターになれる/プロになって稼げる。そんな夢のあるシーンをまだ市民権を得ていないeスポーツシーンで創り上げたいと思いました。

2016年 RAGE記者発表会での1枚。「熱狂の渦を創る」という想いから「RAGE」と名付けた
2016年 RAGE記者発表会での1枚。「熱狂の渦を創る」という想いから「RAGE」と名付けた

 私は、中学、高校まで続けたバスケを大学では続けませんでした。もちろん選手として突き抜けていなかったこともありましたが、当時日本のバスケシーンにはプロは存在せず、有名選手になったり稼げる人は本当にごく一部だという実態もあり、ビジネスの世界で勝負しようと決意したのを覚えています。

 我々のeスポーツ大会/リーグが魅力あるプロ制度や環境を用意できれば、ゲームを競技として志している学生に対してキャリアの後押しにもなれるのではと思い、ただ大きな大会を仕掛けるだけでなくエコシステムを作る必要があると思いました。

「新たなスポーツ産業を創る」

 eスポーツを初めて観戦したときの興奮と私の過去のスポーツでの経験も相まって、ビジョンはすんなり固まり、その後大会名をチームメンバーと一緒に考えました。

 当時まだまだアンダーグラウンドなシーンだったeスポーツ。

 私が中学生くらいのとき、マイナースポーツでアングラだった格闘技が「K-1」や「PRIDE」などの影響で一気にメジャーになったのを鮮明に覚えており、ゲームっぽい名前ではなく、格闘シーンよりの名前が良いなと思っていました。

 eスポーツ業界においても我々の大会ブランドが当時の格闘界のK-1やPRIDEのような存在になり、アングラでマイナーなシーンからメジャーに押し上げる。そんな熱狂の渦を創るんだという想いから「RAGE」と名付けました。

 ビジョンと名前も決定し、第1回タイトルを決めることになるのですが、初回は当時リリースしたばかりの『Vainglory』というスマホeスポーツタイトルでした。

□RAGE(レイジ)オフラインイベント、プロリーグを運営するeスポーツブランド。2015年にスタートし、次世代スポーツ競技「eスポーツ」にさまざまなエンターテインメント性を掛け合わせた、株式会社CyberZ、エイベックス・エンタテインメント株式会社と株式会社テレビ朝日の3社で協業し運営するeスポーツイベントおよび、eスポーツリーグの総称。来場数・視聴数ともに日本最大級のeスポーツイベントとなっている。

□大友真吾(おおとも・しんご)中央大学卒業後、2007年度サイバーエージェントへ入社。インターネット広告事業本部配属となり、08年マネジャーに昇格。09年より株式会社CyberZ立ち上げメンバーとして、執行役員に就任し、営業担当役員を経て、現在はeスポーツ事業管轄 取締役として、RAGE総合プロデューサーや「PLAYHERA JAPAN」代表取締役社長を務める。

次のページへ (2/2) 【写真】立ち上げしたばかりだったRAGEの当時のビジョンメッセージ
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