元男の子YouTuber・青木歌音の壮絶半生 父と絶縁で家出、キャバクラ勤務で手術費稼ぎ性転換

“元男の子”として活躍するトランスセクシュアルのYouTuber・青木歌音。チャンネル登録者数は47万人を超え、“元野球少年”という経歴を生かした動画も公開している。現在では、女子アナ経験もある異色YouTuberとして人気を博すが、これまでどのような人生を歩んできたのだろうか。取材に応じた青木は、自身の半生、厳格だった父親との“絶縁”について語った。

自身の半生を明かした青木歌音【写真:ENCOUNT編集部】
自身の半生を明かした青木歌音【写真:ENCOUNT編集部】

“元男の子”YouTuber・青木歌音インタビュー

“元男の子”として活躍するトランスセクシュアルのYouTuber・青木歌音。チャンネル登録者数は47万人を超え、“元野球少年”という経歴を生かした動画も公開している。現在では、女子アナ経験もある異色YouTuberとして人気を博すが、これまでどのような人生を歩んできたのだろうか。取材に応じた青木は、自身の半生、厳格だった父親との“絶縁”について語った。(取材・文=石井宗一朗)

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 戸籍上、男性として生を受けたものの、今では身体的にも心も女性として生活している。青木が自身の性別に初めて“違和感”を覚えたのは幼稚園時代だった。

「制服が男の子と女の子で色分けされていて、ワッペンを付けていました。私は女の子の友達が多かったので、周りはキティちゃんばかり。でも私が付けていたのはトーマスでした。それで親に理由を聞いたら『あなたは男の子だから』と言われたんです。このときちょっとした“違和感”を覚えました」

 小学生時代もモヤモヤした気持ちはあったものの、確信に至ったのは中学時代。思春期に入り、性教育など男女で分けられる機会も増え、周囲との“違い”を感じるようになった。転機となったのは、当時所属していた野球部の部室での出来事。チームメイトに「彼女を作らないのか?」と問われた青木は「作ってみる!」と返し、多少強引ながらも実行に移した。

「今思うと本当に失礼な行動だと思うんですが、メアドを知っていた女子数人に告白しました。その中の1人からOKをもらえたんです。デートにも行ったんですが、『男の子は車道側を歩いた方がかっこいいよ』と言われ、男としての“役割”を期待されたとき、すごく違和感を感じてしまったんです。その子には3日でお別れしました」

 この一件で「私はおかしい」と思うように。そんな中、テレビで「元男性で美声の持ち主」と紹介されていたシンガー・ソングライター中村中の存在を知り、「男性で生まれても女性になれるんだ」と衝撃を受けた。

 こうして自分の進むべき道を見つけ、その方法をネットで調べるようになっていった。ホルモン療法という1つの“解”にたどり着いたが、厳格な父親に高校3年生まで野球をやるように言われていたことで、すぐにアクションを起こすことはできなかった。

“おふざけキャラ”だったという青木歌音【写真:ENCOUNT編集部】
“おふざけキャラ”だったという青木歌音【写真:ENCOUNT編集部】

家族には“秘密”も友人にはカミングアウト

 決意を胸に迎えた高校3年生。夏休み前から女性ホルモン剤を飲むようになり、夏休み明けには身体に変化が表れていた。これまでお風呂上りには上半身裸で家族の前に出ていたが、中で着替えてから出るようになるなど行動にも変化が生まれる。母親には「最近コソコソしてない?」と疑われ、学校の先生には「遠くから見たら女の子に見えた」と言われることもあった。

 女性ホルモン剤は海外の輸入サイトで購入。注文は漫画喫茶のパソコン、受け取りはコンビニと細心の注意を払っていたが、ある1つのミスから“秘密”が家族にバレてしまった。

「領収書がポケットに入ったままになっていて、母が洗濯のときに気づいたんです。見慣れない薬剤名に父も『なんだこれ……?』ってなったでしょうね。あるとき学校から帰ったら、父が待ち構えていて『お前女性ホルモン剤やってるだろ?』と詰められました。それで『女性になりたいです』って白状したら、父は泣きながら馬乗り状態。『男は男らしくしないといけない』っていう感じの人だったんです。母は『私の子どもだからこうなっちゃったのかな……』と自分を責めていました」

 一方で友人にはまったく異なる対応をしていた。いわゆる“おふざけキャラ”だった青木は、「もともと女の子にも男の子として特別意識されていなかったので、苦労はなかったです」と振り返った。

「胸とか膨らんでいましたけど、友達にはあまり隠してなかったです。バレーボールの授業で思いっきりボールが胸に当たった激痛で『胸があああ!』って叫んだことがありました。そのときに『実は女性になりたくて……』とカミングアウトしたんです。それ以来、あだ名が『巨乳男子』になりました(笑)」

 母親は次第に受け入れていったものの、父親との関係は友人たちとは真逆の結果に。会話は一切なく、互いに避け合う生活が続いた。

「20歳になったとき、大学もやめて家出しました。中華料理屋で住み込みバイトを始め、ここから完全に女性としての生活がスタートしました。高3から20歳まで、ホルモンに美容と、いろいろやっていたので、“下”は付いてましたけど、パっと見は完全に女の人だったと思います」

 女性として働くことを受け入れてくれた店長とは交際に発展。その後、キャバクラでも働くようになった。「店長には歌舞伎町まで迎えにきてもらってました。そうやって睾丸摘出手術などの費用を貯めていったんです」。

 夜の世界が肌に合わず、睾丸摘出が終わって間もなくキャバクラを引退。スーパーでバイトを始め、性転換が完了したのは22歳のときだった。

「2段階踏む必要があって、睾丸摘出と本体の除去。費用は睾丸の方が20万円、本体の方が100万円ぐらいです。睾丸は30分ぐらいで終わるんですけど、本体は女の人と同じ作りにするために技術力が必要で8時間ぐらいかかる大手術。出血多量とかで亡くなる方もいるそうです。でも迷いはまったくなかった。恋愛対象は男性なので、お付き合いしてもそういったことができないし、身体が男性のままだと戸籍が変更できない。やらない手はないよねって。あとモッコりしちゃうのでかわいい水着も着れないですし(笑)」

 性転換が完了し、父親に「性転換終わりました」と2年ぶりに連絡した。返信はわずか1行。「青木家から長男はいなくなった」。

“今もっともやりたいこと”は「始球式」【写真:ENCOUNT編集部】
“今もっともやりたいこと”は「始球式」【写真:ENCOUNT編集部】

有名になった我が子に「たまには家に帰ってこい」

 ここからさらに連絡をとらない日々が続き、青木はYouTuberとしての活動を始める。着実に登録者数を伸ばし、徐々に「青木歌音」が世間に認知されるようになった。「女性になって芸能人になる!」と宣言した青木に対して「有名にならない限り認めない」と言っていた父親も、バーで隣になったカップルが我が子の話をしているのを偶然耳にした。

「母に『あいつ有名になってきたの?』って聞いてきたらしいです。あれだけ否定していた父ですけど、やっぱり我が子が世間に認められていくのが誇らしいみたいで……母を通してですけど『たまには家に帰ってこい』って言われました」

 父親の“許し”を得た青木は、5年ぶりに実家に顔を出すようになる。しかし、父親は居間には出てこず、ちゃんとした対面を果たしたのはそれから半年後だった。

「父の日にサプライズでタブレットをプレゼントしたらすごく喜んでくれて。女性になった姿にはまったく触れてこないんですけど、『ゆっくりしていけ』と声をかけてくれました。目はまだ合わせてくれなかったけど、その日を境に普通に接してくれるようになりました。今では行きつけのバーとかで、『俺の娘がこの前テレビに出たんだぞ』みたいなことを言って、常連に煙たがられてるらしいです(笑)。『最近再生回数が落ちてきてるんじゃないの?』『今日の動画は合格』といった連絡もきます」

 今では2人で食事に出かけるほどの仲になった青木親子だが、5年ぶりの再会については「どういう感覚で接したらいいのか分からず、落ち着かなかった」と回顧する。

「少年時代、父とは野球を通しての会話しかしてこなかったんです。女性としてどうやって接したらいいんだろうみたいな(笑)。最初はちょっとぎこちない感じでした。今でも私の男の子時代の話にはいっさい触れません」

 親子の“絆”を取り戻した青木の目標はYouTube登録者数100万人の達成。「YouTuberとして一人前になりたい」と前を向きつつも、“今もっともやりたいこと”には「始球式」を挙げた。「パッと見どこにでもいそうな女性の私が、100キロとか投げたらお客さんはどういう反応するのかを見てみたい。スポンサーさま、お待ちしております!」。

 波乱万丈だったこれまでの人生。自身の強みを「根性」と語った青木の、YouTube登録者数100万人、プロ野球での始球式といった目標の行く末に、今後も注目していきたい。

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