ABEMA人気アナ・西澤由夏の誕生秘話 アメブロ営業時代の異名は“ティータイム西澤”

インターネットテレビ局「ABEMA」のアナウンサーとして活躍している西澤由夏。現在はレギュラー番組7本以上を担当しているが、かつてはサイバーエージェントの営業職として働いていた過去がある。そんな西澤がアナウンサーになるまでの話を聞いた。

営業職時代について語った西澤由夏【写真:山口比佐夫】
営業職時代について語った西澤由夏【写真:山口比佐夫】

“ティータイム西澤”の異名を取った営業時代

 インターネットテレビ局「ABEMA」のアナウンサーとして活躍している西澤由夏。現在はレギュラー番組7本以上を担当しているが、かつてはサイバーエージェントの営業職として働いていた過去がある。そんな西澤がアナウンサーになるまでの話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

 キー局全落ち。悔しさと嫉妬でテレビも見られなかった過去の自分。それでも腐らず夢を追った泥臭い生きざまが西澤にはあった。

 アナウンサーになる前には「Amebaオフィシャルブログ」の営業職として芸能事務所や芸能人相手に仕事をしていた。バラエティー番組で見せるくしゃっとした笑顔が印象的な西澤だが、営業の話となるとキャリアウーマンに変貌した。

「新規開拓と既存顧客のコンサルティング業務をやっていました。コンサルティングは自分の担当事務所のブログを読んで研究して『この人はこの記事を書いたらPVが上がった』など過去の蓄積を踏まえながら『この人はこういう記事を書いたほうがいい』などのアドバイスをしていました。人によってPVが伸びるポイントは違うんですけど、例えば『誕生日にこういった写真をあげたら喜んでもらえそうですよね!』とか、過去にも同じ類の記事をあげていたので、『その記事もリンクさせたら読みやすそうですよね!』など。時には先方の相談にも乗りながらご提案していました」

 かつて一時代を作ったブログ。しかし現代のインターネットにはツイッター、インスタグラム、YouTubeにTikTokと発信する場は昔よりも多くなっている。そのなかからブログを選んでもらうことに難しさを感じたと振り返る。

 営業というとかしこまってしまうイメージはあるが、西澤は「私がやっていたのは、『何時にここ』というよりも“ティータイム”を大事にしていたんですよね」と白い歯を見せた。

 のちに営業先の方から“ティータイム西澤”と呼ばれるほどに。「リラックスした方が私も向こうも話しやすい」と独特の営業手法を明かす。

「私自身がティータイムの時間を大事にしていて、1日のなかで1回はしないとだめなんです。それで営業先の方にも『ティータイムしませんか?』というお誘いをしていました。そしたらいつの間にか先方からも『いつティータイムしますか?』って誘ってくれるようになっていましたね。当時、新卒だったこともあり、どうしたら信用してもらえるか、心を開いてもらえるか私なりに考えて導いたスタイルです」

小学生の時からアナウンサーになるのが夢だった西澤由夏【写真:山口比佐夫】
小学生の時からアナウンサーになるのが夢だった西澤由夏【写真:山口比佐夫】

キー局全滅、嫉妬と悔しさに負けそうになった過去

 営業職からアナウンサーの転職というと“異色感”はあるが、西澤の夢はずっとアナウンサーだった。大学時代に4つのアナウンススクールに通っていた過去もあり、ミスコンにも出場。リポーターやイベントの仕事も学生時代からこなしていた。

「最初に言い出したのは小学校2年生です。そのときの文集の将来の夢の欄に書いていたんですよね。うちは朝起きたら必ずと言っていいほど『めざましテレビ』が点いていたんです。きっかけはそこに出演するアナウンサーたちでした。でも正直、そのときは夢というしっかりしたものではなくて、『すてきだなぁ』くらいの感覚でした。憧れが知らないうちに目標になっていて、そこから高校のときとかもアナウンサーになるにはこの大学に行きたいなという逆算をして附属の高校を選んだりしていました」

「狭き門」、最後は「縁」だと言われるマスコミの就活。アナウンサーという人気職種にもなると合格するのはほんの一握りだ。

「キー局を受けて全滅しました。今はこうやって笑ってますけど、本当に目の前が真っ暗になる感覚というか……。全て終わったときに、『あれ、今までアナウンサーになるためだけにやってきたのに私これからどうすんだっけ』って。正直、社会人になっても立ち直れなかったですね」

 キー局がダメでも地方局は残っている。しかし、西澤の年には一部の一般企業の就活と地方局の就活が重なっていた。学生時代から事務所に所属し、リポーターの仕事をしていたため、一般企業に入社しながら夢を追うことを選んだ。

 それでも一緒にスクールに通い、一緒に試験を受け、合格したアナウンサーはテレビに映る。当時について「嫌でした」と苦笑いだ。

「当時は嫉妬と悔しさがあるから落ちたとき以上に落ち込んだし、ダメージがすごかったんですよね。たしか新人アナウンサーの初鳴きのタイミングと営業職の研修のタイミングが同じくらいでした。そうなったときに、サイバーエージェントの社風も好きだし、仕事も全力で頑張っていましたけど『あれ、私このままでいいんだっけ』っていう考えが頭にありました」

営業職からアナウンサーへの異色の転職を経験した西澤由夏【写真:山口比佐夫】
営業職からアナウンサーへの異色の転職を経験した西澤由夏【写真:山口比佐夫】

突然訪れたチャンス「誰かしら手を差し伸べてくれたりする」

 葛藤を抱えながらも平日は営業、土日はリポーターというライフスタイルを続けた。周囲にも「アナウンサーを目指しています」と積極的に言っていた。それほどまでにもなりたい職業であり、達成したい目標だった。

 チャンスは突然に訪れる。開局1周年を迎える2018年、ABEMAにアナウンス室が設立されることが決定した。

「募集をネットで知って、『やばいやばい』と焦りながら、エントリーシートとエントリー動画を出して一般公募で受けました」

 面接を切り抜け、晴れてアナウンサーに。うれしさはあったものの、ホッとしたのが正直なところだった。現在では営業職も経験しているからこその人当たりの良さ、西澤は唯一無二のアナウンサーになった。

 苦しい過去を振り返り、こわばっていた西澤の表情がほころんだ。

「結果論ですけれど、諦めなくてよかったな。お先真っ暗で歩いていたので、努力といえばかっこよくなりますけれど、なにかしらチャンスをつかもうとしていたら、誰かしら手を差し伸べてくれたりするというのは実体験で思いますね」

 華やかなイメージのアナウンサー。嫉妬というみにくい過去の自分を乗り越えたからこそ、今の笑顔はより輝いている。執念とも言える思いでチャンスをつかんだ西澤のこれからがより楽しみだ。

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