60歳・小沢仁志「もう結婚したくない」 離婚経験で変化した結婚観「罪の意識もあった」

“顔面凶器”の異名を持つ小沢仁志が昨年6月19日に60歳を迎えた。20歳から始めた役者人生もはや40年。1月20日からは還暦記念作品『BAD CITY』が公開される。ENCOUNTでは、Vシネマの第一線を走り続けた小沢と同作でヒロイン役を務めた俳優の坂ノ上茜にインタビューを行い、作品へ懸ける思いを聞いた。

60歳を迎えた小沢仁志【写真:荒川祐史】
60歳を迎えた小沢仁志【写真:荒川祐史】

坂ノ上茜のアクションを小沢仁志が絶賛「胸を張れ」

“顔面凶器”の異名を持つ小沢仁志が昨年6月19日に60歳を迎えた。20歳から始めた役者人生もはや40年。1月20日からは還暦記念作品『BAD CITY』が公開される。ENCOUNTでは、Vシネマの第一線を走り続けた小沢と同作でヒロイン役を務めた俳優の坂ノ上茜にインタビューを行い、作品へ懸ける思いを聞いた。(取材・文=中村彰洋)

 ◇ ◇ ◇

――還暦記念作品『BAD CITY』が公開となります。今作は小沢さんにとってどのような作品なのでしょうか。

小沢「今の日本映画界は面白くねえから、メジャーでは作れない作品を作りたい。『コンプライアンスってなに? セーフティーってなに? いらねえんじゃね?』っていうことで作ったんだよ。25年前に『SCORE』(1995年)を作ったときにアクションで一応にも旋風起こしたのに、コストがかかる、リスキーってことで日本映画界ではアクションが続いてこないんだよ。だから、お涙ちょうだい映画ばっかり。その中でもう1回、旋風を起こす力が俺にはまだ残っているのかっていうのを、どうせやるんだったら肉弾戦で、60歳になって、どこまでやれるのかっていうのをやってみたかった。それが事の始まりだったかな」

――坂ノ上さんはデビュー作『ウルトラマンX』(2015年)以来のアクション作品となりました。

坂ノ上「ここまで本格的なのは今回が初めてです。アクション作品に出演することを目標にして、個人的にアクションレッスンも受けていたところ、『BAD CITY』のヒロインオーディションに出会いました。合格の連絡を即日で頂いて、すごくありがたいなと思いましたし、タイミングも良く、縁を感じました」

小沢「でもさ、ここまで本格的なアクションってなかなか経験できないことだと思うから、あれを乗り切ったお前(坂ノ上)は胸を張って『私アクションできます!』って言ってもいいと思うよ。俺はマジで頑張ってたと思う」

坂ノ上「ありがとうございます。現場で思ったのは、アクションって殺陣はあるけど、そうじゃない喧嘩、どろんこな感じが芝居を超えるんだなと思いました。本当に必死で食らいつく姿が芝居になっていったりして、殺陣だけがアクションではないんだなと実感しました」

小沢「そうそう。アクションも芝居だから。きれいなアクションだと感情が見えなかったりするんだよ。『BAD CITY』を見てくれた人からは『殴り合いで会話してるみたい』って言ってもらえて、それは伝わったんじゃねえかなって。練習をやってないよりはやっておいたほうがいいけど、稽古が役立つというより、最後は根性論だな。根性で弱音を吐かず、最後まで俺らについてこられるかどうか。オーディションでこいつ(坂ノ上)は根性あるから大丈夫だろうって思ったよ。マネジャーには『お前が現場にいたら絶対に止めたくなるから、九州(撮影現場)来るんじゃねえぞ』って言ってたな(笑)」

坂ノ上「アクション作品で使う殺陣も事前に練習していたんですけど、やっぱり練習と撮影ではまったく違いました。現場での空気感とかが相まって迫力が出ました」

『BAD CITY』にヒロイン役で出演する坂ノ上茜【写真:荒川祐史】
『BAD CITY』にヒロイン役で出演する坂ノ上茜【写真:荒川祐史】

小沢仁志の今後とは?「考古学者になるかも」

――小沢さんは過去に「酒と女と映画だけの人生」と発言されていますが、俳優生活40年で辞めようと思ったことはなかったのでしょうか。

小沢「20歳ぐらいのときから、5年周期で区切って考えるようにしてたんだよ。自分で5年ごとにテーマを決めていたんだけど、25歳のとき、『ビー・バップ・ハイスクール』とかに出ていて、映画やドラマで敵役みたいな仕事ばっかだった。そんなときに日活ロマンポルノ『BU・RA・Iの女』(1988年)のオファーがきて、監督に『セリフなしで勝負させてくれないか』ってお願いしたんだよ。これがちゃんとできるようだったら、この先もまだ役者でやれると自分で思えると思ったんだ。その当時、『ビーバップ』続編のオファーもきてたけど、すぐには受けてなかった。その現場が終わるまでに受けるかどうかを判断しようと思ったんだよな。でも、そういう考え方も50歳でやめたよ」

――50歳からは「続けられるまで続ける」という考えに至ったということでしょうか。

小沢「続けられるまで続けるかは今は分からない。考古学者になりたいから。そういう機が熟したら、そっちに興味がいっちゃうだろうしな。(考古学について)本気で勉強していて、けっこういろいろ知ってるよ。だけど、まだそのルートがちゃんとできていないから、準備万端で整って、そっちのほうが面白いなとと思ったら考古学者になるかもな。残り10年あるかないかの人生。楽しんで生きることしか今は考えてないからさ。その正解が役者なのかどうかも分かんないじゃん」

――小沢さんは1度離婚を経験されています。「もう結婚はしたくない」という発言もされていますが、かつては結婚願望はあったということでしょうか。

小沢「あった、あった。温かい家庭を作りたいっていうロマンがあって結婚したんだけど、現実は違ったんだよな。俺自身も憧れていただけで、役者をやりながらだと、そういう家庭をちゃんと作れてないんじゃね? って。仕事のことばかり考えていて、家庭を顧みないとかそういう罪の意識もあった。だから、俺にはあんまり向いてないって思ったな」

――数々の修羅場をくぐられてきたかと思いますが、恐怖を感じた瞬間はございますか。

小沢「あんまない。いつも『あ、これやべえかもな』って思うスタントは『死んでやる』って気持ちでやってんだよ。体にガソリンかぶっちゃって、火だるまになったこともあったけど、怖くなかった。(フィリピンで撮影の合間に行ったクラブで)ホールドアップ(両手を挙げた状態)で銃を突きつけられても全然平気だったな」

――いつからその“ネジ”は外れたのでしょうか。

小沢「いつからだろうな~。35歳ぐらいでネジがぶっ飛んだんじゃないかな。いろんな修羅場をくぐったりしたからな。あとは、俺のベースの中にはチャップリンがいる。あの人は笑いを取るために体を張って命を懸けている。俺はアクションでみんなを笑わせたいんじゃなく、面白がらせたいっていう違いだけで、やってることは一緒なんだよ。それが、頭のどこかにあるんだよな。20代中盤ぐらいでドラマ出演とか増えたりして、『俺、こんなのやるために役者になったのかな』っていうのがずっと胸の中にあった。そんなときに『SCORE』をプロデュースして、そっからぶっ飛んでいったな(笑)」

『デマ投稿を許さない』に出演した小沢仁志(右)と坂ノ上茜【写真:荒川祐史】
『デマ投稿を許さない』に出演した小沢仁志(右)と坂ノ上茜【写真:荒川祐史】

坂ノ上茜の“反抗”「私は伸ばしたいから髪を伸ばす…」

――坂ノ上さんは27年間生きてきた中でのやんちゃエピソードはございますか。

坂ノ上「私なんてかわいいもんですよ。この後に話すのが本当に申し訳ないぐらい……」

小沢「ホッとするようなことを言ってやれよ(笑)」

坂ノ上「私の反抗期なんて、マネージャーさんが髪型ショート派で、ちょっと伸びたら『切って』って言われるんですけど、私は伸ばしたいから伸ばすとか……。そういうちっちゃいことしかないです(笑)」

小沢「あー、かわいい(笑)」

――小沢さんは“顔面凶器”という異名を持たれていますが、いつからご自身のお顔が怖いと意識され始めましたか。

小沢「今でも自覚してないよ(笑)。周りが言ってるだけだから。俺が自分で顔面凶器だろって言ったことはない」

――そのように呼ばれることについて、どのように思われますか。

小沢「なんとも思わないよ。俺ね、人の言っていることとか悪口とか全然気にしないの。『だからなーに?』って思ってるよ。そもそも“顔面暴力”から始まったんだよ。そっからいつのまにか“凶器”に。誰が書いたのか知らんけど、今なんて“兵器”になりつつあるからな(笑)」

――顔を怖く見せようと努力されているわけでは……ないですよね?

小沢「んなことあるわけないだろ(笑)。顔とかだけじゃないと思うんだよな。撮影でスラム街やゴミの山の中で生活することもあったり、そういうことをずっとやってると、ほかとは違う匂いがついてくるんだよな。どうしても雰囲気が出てしまってるのかな」

――貴重なお話をありがとうございました。

小沢「みんなちゃんと映画館に『BAD CITY』を見に来いよ!」

■小沢仁志と坂ノ上茜はABEMAで毎週水曜日(午後11時30分)に放送中の『デマ投稿を許さない』に出演(18日放送)する。坂上忍がMCとなり、毎回ゲストにまつわるネット上の噂やデマについて視聴者代表として1対1で真実に迫り、解き明かしていくトークバラエティ番組。ENCOUNTでは、さまざまなゲストに直撃し独占インタビュー。番組には収まらなかった本音を引き出す。

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