三菱ジープは“父の形見” 病床の言葉に継承を決意 「答え探しはまだ続いている」
自動車は親子二代で乗り継ぐのも楽しみの一つだ。埼玉県の飯島肇さんは、父が新車で買った1980年式三菱ジープ(J-J58)を大切に継承している。きっかけは父が亡くなる直前、病室で残した“遺言”。なぜ父は人生の最終章にジープを求めたのか。その答えを探す旅は今も続いている。
「おやじが買って乗っていたとき、一緒に乗った思い出がない」
自動車は親子二代で乗り継ぐのも楽しみの一つだ。埼玉県の飯島肇さんは、父が新車で買った1980年式三菱ジープ(J-J58)を大切に継承している。きっかけは父が亡くなる直前、病室で残した“遺言”。なぜ父は人生の最終章にジープを求めたのか。その答えを探す旅は今も続いている。(取材・文=水沼一夫)
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ジープは父が発売当時、新車で購入したものだ。ワイドサイズのタイヤ以外はフルノーマルで、塗装もオリジナルのカッパーブラウンメタリック。地元に三菱のディーラーがあり、パジェロミニとの2台持ちだったという。だが、飯島さんにとっては、同じ家族でありながら印象の薄い車だった。
「おやじが買って乗っていたとき、一緒に乗った思い出がない」
それがふとしたことで強烈に脳裏に刻まれることになった。
「最初は興味なかったんですけど、おやじががんを患って、死ぬ間際に病室で『ジープ乗るんだ。持って来い』って言ったんですよ。『何するんだ』って聞いたら、『買い物に行くんだ』と言ってね。そのくらい思い入れがあったんですよね」
父が闘病生活に入った数年間、ジープは車庫で眠ったままの状態だった。飯島さんは定期的にエンジンをかけ、いつでも車検を通せるようスタンバイしていたが、父の言葉は重く響いた。
ジープを引き継ぐまでは日産のサニー1200GX、ガゼールに乗っていた。父と異なり、日産派だった。「違和感はありますよ。乗り心地が悪いのと、まともにまっすぐ走ってくれない。買い物に行って生卵をそのまま置いていると、割れます。そのぐらいサスペンションがあまりよろしくないんですよ。それがこの車の持ち味なんでしょうけど、サスペンションが硬いんでしょうね。跳ね上げがすごいんですよ」。三菱の車はなじみがなかったが、手放すわけにはいかない使命感にかられた。
今では数がめっきり少なくなった貴重な車だ。カタログ価格で150万ほどだったジープは、2倍の300万ほどで取り引きされることもある。ワイルドな車体は目を引き、ミニカー好きの飯島さんは「ミニカーが実物になった。1分の1になったという感覚」と表現。「今となっちゃ骨董品には違いないけど、車的には一応、ノントラブルなんですよ。昨年マフラーを換えたぐらい」と、40年たっても大きな故障なく走ることができている。
飯島さんはジープとともに車イベントにも積極的に参加し、ついには主催までするようになった。ギャラリーから頼まれれば写真撮影にも積極的に応じている。「子どもを乗せて写真を撮ってもらうのが好き。この後の世代に残したいと思っています」と、愛車はすっかり人生の相棒になっている。家族からも「いい趣味ができてよかったね」と歓迎されている。
父がなぜこの車を深く愛したのか、その答えはまだ分からないままだ。受け継いで16年になるが、「答え探しはまだ続いている」と、飯島さん。ジープの将来について聞くと、「小学生の孫が引き継いでくれます」と、笑みを見せた。