TAKUROが語る、51歳の自分とGLAY 20年後もバンド続ける「解散は絶対ない」

GLAY・TAKUROが自身3作目となるソロアルバム「The Sound Of Life」を完成させた。作品に流れる音楽は、ギタリストやロックミュージシャンという枠を超えたこれまで見せたことのない一面であり、51歳になったTAKUROの真の姿だった。

TAKUTOが語った自身のターニングポイント【写真:荒川祐史】
TAKUTOが語った自身のターニングポイント【写真:荒川祐史】

作曲者として向き合ったソロアルバム「The Sound Of Life」

 GLAY・TAKUROが自身3作目となるソロアルバム「The Sound Of Life」を完成させた。作品に流れる音楽は、ギタリストやロックミュージシャンという枠を超えたこれまで見せたことのない一面であり、51歳になったTAKUROの真の姿だった。(取材・文=福嶋剛)

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――TAKUROさんのターニングポイントを教えてください。

「35歳をすぎたあたりです。『自分は果たしてGLAYというバンドに見合うだけの実力があるのだろうか?』という不安が襲ってきたんです」

――35歳? それは驚きました。

「僕のスタートは作詞です。若い頃から文章を書くのが好きで、せっかくだからメロディーをつけたいと思い、中学生の頃に歌詞に合わせて作曲したら意外といけた。だけど僕は歌えないからTERUに歌ってもらい、ギターは大好きだけど下手クソだからHISASHIに弾いてもらい、ベースはJIROに弾いてもらってGLAYが誕生したんです。そういう仲のいい4人なんだけど、僕以外の3人の演奏技術が高いので実は彼らに付いていくのにいつも必死なんです。それで1人のミュージシャンとして自分の実力は実際のところどうなんだろう? って思うようになって」

――具体的にどんな不安があったのでしょう?

「まずギターに関して話にならないって分かっていたので35歳で初めてギターの教則本を買ってドレミファソラシドの弾き方からやり直したんです。すると自分の欠点がいっぱい見えてきて、高校時代から自分が弾きやすいオリジナル曲を作ってきたから、短所を短所のまま、ずっと冷凍保存しちゃっていたんです。それで友人のB’zの松本(孝弘)さんに相談したんです」

――松本さんからは何と?

「『だったらそういうのから逃げられないギターアルバムを作ってみたらどう?』って助言してもらいました。それで“松本塾”で鍛えてもらって、ギター中心のソロアルバムを作ったんです」

――それで完成したのが1stソロアルバム「Journey without a map」(2016年)と2ndソロアルバム「Journey without a map II」(19年)の2枚だったと?

「そう。そして今度は50歳をすぎたときに、社会人としての自分、バンドマンとしての自分、父親としての自分とか、いろんな顔を持つようになって僕の中にある音楽の定義もまた再構築しなくちゃいけないタイミングがきたんです。

 90年代に散々やってきたJ-POPというお決まりの形を振り返ってみると未来につながる何かが手元に残ったかと言われたら、僕の中では疑問が残ったんです。じゃあ自分の心の動きを見直したときに作曲に対する幼い自分と今回はとことん向き合ってみようと思ったんです」

――つまりソロアルバムはTAKUROさんの変化のターニングポイントなんですね。完成したアルバム「The Sound Of Life」は、これまでとは一線を画す作品になりました。

「今まで自分の気持ちを揺さぶっていたコロナ禍やウクライナ侵攻といった世の中を駆け回るニュースを一切遮断して距離を置いた上でスタジオにこもりました。すると時間という概念やヒット曲を作らないといけないというプレッシャーから解放されて今までなかったアイデアが自然と湧いてきたんで」

――それを音楽で表現されたと?

「子どもの頃に見た風景やスクリーン、舞台の記憶、書物から想像したイメージなど51年間で貯めこんだポートレートの中から浮かんできた1枚1枚を音でスケッチしたような10曲が完成しました。GLAYの作曲方法とはまったく違うやり方でした」

――どんな発見がありましたか?

「勝手に忙しく感じて勝手に追い込まれてつらくなっていた。そんな時間から解放してあげると、こんなに人に対して優しくなれるんだって思いました。いつもプレッシャーを抱え込んで生活してきたけど、そんなに焦らなくてもちゃんと足元に解決策があるってことにようやく気付いたというか。なかなか説明が難しいんですが、もっと人間は自然に寄り添った方が今までにない発想が生まれるんじゃないのかなって感じました。51歳になってようやくですが」

――40代から50代へと入っていく中で意識の変化がありましたか?

「肉体面が衰えていくことは避けられないですよね。あとはGLAYが独立した頃からだったかな? どんな状況でも夕方5時半にはみんなで仕事を終わらせること」

――健康的ですね?

「うちも子どもが小さかったから夕方6時には家に帰って家族でちゃんと飯を食う。ミュージシャンって『この音が決まるまで朝までなんとか頑張ろう』みたいなイメージってあるじゃないですか?」

――あります。

「GLAYは、あと30分粘ったらもっといいアイデアが出るかもしれないけれど止めます。だって、音楽も大切だけれども家族も大切だし、そこに優先順位を付けるなんて意味のないことですから。その人にとって大切なものって1つじゃないし、バンドだけに集中しろっていうのもGLAYらしくないですから」

――その割り切りには4人の信頼関係があってこそですね。

「もちろん。仕事終わってクラブで騒ごうぜなんて僕は絶対ない。ひたすらGLAYに集中していい歌詞といいメロディーといいギターを提供したいっていう、これからやっていくことはこの3つだけです。あとは、10年後、20年後をイメージしながら、たくさんの好きな人たちに囲まれて生きていきたいから人との出会いを大切にしていきたい。それだけです」

TAKUROがこれまでのライブの最高得点を更新したと語った浜松でのライブショット【写真:岡田裕介】
TAKUROがこれまでのライブの最高得点を更新したと語った浜松でのライブショット【写真:岡田裕介】

来年に向けてニューアルバムを制作中のGLAY

――GLAYとして、ミュージシャンとして50代に入ったTAKUROさんが次に目指すものとは?

「GLAYのこれからは4人が一番輝けるような、僕たちがやっていて面白いって思える音楽をやっていきたいですね。僕自身はメンバー3人から『TAKUROがまた新しい扉を開いてきたぞ』とか『成長してんじゃん!』とか驚いてもらうことが一番うれしいので。TERUがまた本当に面白くて、気に入った曲はTERUの方からいろいろとアイデア出してくれたりコーラスも積極的に重ねてくれるんだけど、あまりのり気じゃない曲は仮歌1回で終わっちゃうんですよ(笑)。分かりやすいでしょ? 僕は『じゃあこの曲はいったん引っ込めよう』ってなる。幸い僕自身、曲作りが天職だと思っているのでスランプは1回もないんです。だから3人にヒットする曲をこれからも作っていきたいです」

――4人が一番輝ける音楽ってすてきですね。

「実は今年、20年前に出したアルバムの再現ツアーをやったんです。当時はニューヨークのスタジオで本場のゴスペル隊を呼んで録音したんですが、今回のツアーは、東京スクールオブミュージック専門学校渋谷の生徒さんや浜松市立高等学校の生徒の皆さんを招いてステージで歌ってもらいました。そしたら、演奏している4人が感動してしまい、僕の中では今までGLAYとしてやってきたライブの最高得点を更新したと思っているんです」

――その理由は?

「理由はすごくシンプルで10代の圧倒的な生命力の前には音楽的な技術だのキャリアなんてまったく通用しないってことです。もちろんレベルの高い学生さんでしたよ。でもそれを飛び越えて圧倒的な命のきらめきを前にされると僕たちはひれ伏すしかないというか。やっぱり人の心を突き動かすってそこなんです。だからこれからのGLAYの音楽は少なくとも、そのラインを超えたものを出していきたいですし、実は来年に向けてアルバムを作っているところなんです」

――それは楽しみです。ソロアルバムで経験したものが還元されているんでしょうね。

「GLAYは僕の人生にたくさんのものを与えてくれたので今度は自分がどうお返しをできるかってところです。3人は高校の頃からの仲間なので、どんなことでも許してくれる存在です。だからこそ、たまに1人で森の中入って自分を見つめ直す時間も必要なんです。それがこのソロアルバムなんです。次はGLAYになにか新鮮なものを与えられたらいいなって思ってます。ただそれ以上に3人が予想外の面白い曲をたくさん持ってきて、今は大変ですよ(笑)」

――GLAYの逆境の強さや長く続けられている理由ってTAKUROさんはどこにあると感じますか?

「北海道という大自然の中で生まれ育ったことが大きいのかもしれないですね。東京の悩みって対人関係だけど、北海道は自然と対峙して解決していくところから始まりますから。それと僕たちは大した逆境なんて今までありませんよ。バンド内の人間関係のいざこざがあったって人格を否定するようなものじゃないし。5年後、10年後のGLAYのための議論だから何の問題もない。全然平気です」

――最後にTAKUROさんの想像で構いません。GLAYはいつまで続けますか?

「優等性的なコメントだと『いつまでたってもGLAYは続くぜ』って言うんだろうけど、やっぱり病気や老いという運命からは逃れられないですよね。僕自身は4人で作ったバンドだから4人で終わりたい。でも、その終わり際はたぶん曖昧にするんじゃないのかな。『あれ? 最近GLAYって見ないよね?』ってそれでいいと思う。大規模な解散ライブとかさよならツアーとかはやらない。だったら休止にして静かに消える。もしメンバーが休みたいって言ったら休止にしようって説得するし、解散は絶対しません」

□TAKURO(タクロー)1988年にGLAYを結成したリーダー兼ギタリスト。「HOWEVER」「誘惑」「Winter,again」「SOUL LOVE」など数々のミリオンセラーをはじめ、GLAYのほとんどの楽曲を手がけるメインコンポーザー。最近では、ソロプロジェクトとして、TAKURO名義でインストアルバムのリリースやライブツアーで全国を回るなど、自らのギタリストとしての表現の場を広げている。2022年12月14日3枚目となるソロアルバム「The Sound Of Life」をリリース。2023年2月15日GLAY通算61枚目のシングル「HC 2023 episode 1 – THE GHOST/限界突破-」をリリース。

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