今はモナコでセレブ生活も…62歳女性の壮絶人生 夫の死、8度の手術、激太りの絶望

開業医だった最愛の夫の死、51歳で“主婦から経営者”に、そして自身に襲いかかった病魔…。幾度となく困難を乗り越えて美容ビジネスを急成長させた女性社長がいる。エミチカ(62)だ。現在は世界のセレブが集まるモナコ公国で暮らす敏腕経営者。「失敗は実績、経験値」をモットーに、絶望から何度も立ち上がってきた、その波瀾万丈の人生に迫った。

幾度となく困難を乗り越えて美容ビジネスを成長させたエミチカ【写真:本人提供】
幾度となく困難を乗り越えて美容ビジネスを成長させたエミチカ【写真:本人提供】

昭和の時代の “生き方”から経営者に 現在は世界のセレブが集まるモナコ公国で暮らす

 開業医だった最愛の夫の死、51歳で“主婦から経営者”に、そして自身に襲いかかった病魔…。幾度となく困難を乗り越えて美容ビジネスを急成長させた女性社長がいる。エミチカ(62)だ。現在は世界のセレブが集まるモナコ公国で暮らす敏腕経営者。「失敗は実績、経験値」をモットーに、絶望から何度も立ち上がってきた、その波瀾万丈の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

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 三重県四日市市出身。最初に訪れた悲劇は、16歳で父親を亡くしたことだった。名古屋にある大学を卒業後は、昭和の時代の “生き方のコース”を描いていたという。

「今の時代とは全然違って、『片親』といった表現をされた時代。女性は離婚しただけで『出戻り』と言われるような時代でした。私自身、『絶対に早く幸せになるには結婚しかない』、そう思っていました。当時はやっていたのは、短大を卒業して保険会社・旅行会社・航空会社に入って、2、3年で結婚して退社するというライフスタイルです。いわゆる寿退社ですね。私自身は、大学を卒業後は総合商社に入りました。それで、眼科医の夫と24歳で結婚して退社しました」

 1男1女の子育て。主婦生活が始まった。夫の眼科クリニック経営を支え、地方都市での比較的豊かな暮らし。「上を見ることもなければ下を見ることもない。自分の範疇で、幸せを感じながら静かに暮らす。それがダメになるという不安もなく、このまま自分の人生は続くんだな、と思っていました」と振り返る。

 その普通の暮らしが崩れたのは、2011年、51歳の時。不慮の事故で夫が他界した。クリニックは廃業に。それでも、当初は現実を受け入れられず「当面は休診」の貼り紙をしていた。事情を知らずにやってくる患者もいて、頼りにしていた地域の年配者や子どもたちを思うと胸が痛くなった。「当時の状況を表現すると、ボタンを押しても扉が閉まったまま動かないエレベーター、どこを押してもつながらない電話。そんなイメージです。目の前に幕が下りてくる。そういった感覚でした」。突如見舞われた「真っ暗闇」の中で、廃業の後処理に追われた。ただ、代わりの眼科医を探してなんとか再開できないかと動いていたという。

 絶望の淵からの一念発起。その裏には、複雑な思いもあった。「今までお世話になった関係者の皆さん、周りの税理士さんからも銀行の方からも、『もうあなたはここですべてを閉じて、この先じっとしているのが、一番幸せになる道ですよ』といったことを言われたんです。もともと、人生を重ねてきて、もう50歳になっちゃったけど、まだ50歳だ、そう思っていたんです。ものすごいショックを受けていましたが、こんなに簡単に人生をひっくり返されてしまった。なんとか息を吹き返そう。そう考えるようになったんです」。

 夫を亡くしてから、以前に設立していた会社を生かす形で、地元でエステサロンをオープンした。だが、「お店をやっている自分が好き、そんな感覚でやってしまった」。うまくいかなかった。そこで周囲の勧めもあって、「動き始めるなら東京に行こう」と決意。2013年、美容商品の開発・販売業をゼロからスタートさせた。 「何かそこに未来があるような気がしていたんです。もちろん、全然楽ではなかったんですけど」。自ら広告塔を務めるなどしてパワフルに奮闘。わずか5年で年商7億円企業へと成長させた。

 だが、ここでも大きなピンチに見舞われる。人生の再スタートが順調かと思えた17年、大病を患うことになる。甲状腺の病気だけでなく、顔の神経もむしばまれた。

 放射線治療やステロイド治療、そして8度の手術。入院は約半年間に及んだ。「ステロイド治療の影響で、18キロぐらい太りました。顔の手術を何度も受けて。その影響で眼球の位置が落ちてしまい、一時はものが全部二重に見えて、びっくりハウスの中で暮らしているみたいな状態でした。今は視力も回復しましたが、視野は狭くなっていて、下の部分は実は見えていないんです」と明かす。

「やみくもにがむしゃらにではなく、何事にも美しく取り組む」ライフスタイルを実践

「またゼロになっちゃった」。入院中にふと天井を見上げると、テレビからある女優のインタビューの声が聞こえてきた。「自分の人生の折り合いの付け方に関する話が聞こえてきて、それを機に、『私にもこれからやるべきミッションがある。今はちょっと休んでいいのかもしれない』と思えるようになったんです。今はダメでも、またバネのように伸びるんだ――。そう自分に繰り返し言い聞かせたんです」

 復活を遂げ、大胆にも18年からモナコにも生活拠点を置くように。新型コロナウイルス禍もなんのその。経営コンサルタント、女性向けのビジネス教育サービスを開始。「Zoomってどうやってやるの? から覚えた」というネット配信が奏功した。「稼げる美しい女性になる」をコンセプトに、多くの女性たちに自身の体験談やライフスタイル、メソッドを伝授している。美容分野では、16年からアジアを中心に海外進出。今後も海外展開を加速させていく考えという。

 自ら実践する「経済的のみならず精神的にも自立する」姿勢と、「やみくもにがむしゃらにではなく、何事にも美しく取り組む」ライフスタイル。女性たちに向けて、こんなメッセージを送る。「主婦の方でも起業してみたいと思っている方はいると思いますし、子育てママさんたちはすごくきつい中で仕事をされていると思います。今の日本は、どこか閉塞的になっています。働く女性の皆さんに対してもそうですが、私は、日々決断と行動をどれだけできるかが重要だと思っています。決断と行動を重ねると、どんどん自分の中の“ひきだし”が多くなっていきます。日々積み上げていきたいですね」。

 そんな不屈の女性の経営者としての哲学とは。

「失敗は経験値であり、実績だと思っています。失敗があるからこそ、分析して次の戦略を立てられます。経営というものは、何かがうまくいっても3年は続かないものです。それでも、また登ることができます。失敗しても、立ち止まってそこで嘆き悲しむのではなく、それを糧に次に行くことです」と言葉に力を込めた。

□エミチカ、女性経営者/起業家プロデューサー/美容家/EMICHIKA Co.Ltd代表取締役。モナコのパレスエリア(王宮前)で暮らす唯一の日本人。ミセス日本グランプリ受賞経験を持つ。国際的な講演プログラム「TEDx」で、2022年7月に公開された英語のスピーチ動画が公式サイトと公式YouTubeで合計200万回以上の再生数を記録。近著は『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく。モナコの大富豪に学んだ、自由に生きる57のヒント』(PHP研究所)。

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