人気スポーツアナが新境地、初写真集で大胆露出 医師の娘で姉は人気グラドル…袴田彩会の素顔

袴田彩会(はかまだ・あやえ)は、大学を卒業してローカル局のアナウンサーになった。5年間、さまざまな経験をしてフリーに転身。元プロ野球選手との出会いを機に、人気No.1スポーツアナの地位を築いた。そして、32歳になる12月10日にセクシーショットもふんだんの初写真集「Another」(ワニブックス刊)が発売される。文字通りの新境地。そこに至った思いを聞いた。

インタビューに応じた袴田彩会【写真:舛元清香】
インタビューに応じた袴田彩会【写真:舛元清香】

姉は葉加瀬マイ

 袴田彩会(はかまだ・あやえ)は、大学を卒業してローカル局のアナウンサーになった。5年間、さまざまな経験をしてフリーに転身。元プロ野球選手との出会いを機に、人気No.1スポーツアナの地位を築いた。そして、32歳になる12月10日にセクシーショットもふんだんの初写真集「Another」(ワニブックス刊)が発売される。文字通りの新境地。そこに至った思いを聞いた。(取材、文=柳田通斉)

 撮影は9月、都内と沖縄で行われた。初めての水着撮影。カメラを向けられると、袴田は直立不動になった。

「どんなポーズを取っていいのか、全く分からなくて……」

 シャッター音は立て続けに鳴る。カメラマン、アシスタントの「かわいい」「すごくいい」に、気持ちは高まり、表情は和らいだ。マネジャーは「どうなるかと思いましたが、だんだんとアンニュイな表情も出てきました」と振り返ったが、本人には想定外のこともあったという。

「お尻をすごく褒められたんです。今まで大きいのがコンプレックスだったのに、『いいお尻だな~』『グラビアアイドルでもなかなかいない金になるお尻』などと。お陰で自信になりました(笑)」

 袴田は静岡市で生まれた。開業医の父と主婦の母。姉はグラビアタレントの葉加瀬マイで、弟は父と同じ医師になった。

「親族も医師が多いですが、姉と私は特に『お医者さんになるのよ』と言われることもなく、伸び伸びと育ちました」

 2歳でアルファベットや九九を覚え出した。小、中学の成績も良く、県下屈指の進学校・静岡高に進んだ。同校は東大、京大を始め、難関国立大を目指す生徒が多いが、袴田は早い段階から私立文系に進むと決めていた。

「正直に言うと、一生懸命に勉強するタイプではなかったので、得意な教科で行ける大学を受験しました」

 青学大に現役で入り、ストリートダンスなどで青春を謳歌していた。そんな中、芸能活動を始めていた姉から、「知り合いの制作会社が温泉番組のレポーターをできる学生を探している」と聞き、挑戦することにした。役割を務めながら、「もともとテレビが好き。アナウンサーになりたい」と思うようになった。 

ローカル局のアナウンサーになった袴田彩会【写真:本人提供】
ローカル局のアナウンサーになった袴田彩会【写真:本人提供】

就活には苦労、テレビ局約20社を受けて東北放送に入社

 動き始めたのが3年の秋。準備不足で臨んだTBSの採用試験であっさりと不合格になり、そこからアナウンススクールの門をたたいた。しかし、「今からでは、難しい」と言われて入校を断念。代わりに知人の紹介でたどり着いた元局アナに基本のアナウンス術、現役アナにエントリーシートの書き方を教わるなどし、テレビ局約20社の採用試験に挑んだ。

「地元静岡の局も受けました。最終面接まで行けた局もありましたが、宮城の東北放送から最初に内定をいただきました。ラジオもある局でとてもうれしく思いました」

 晴れて入社。明るく人懐っこいキャラクターで、視聴者から愛された。2年目から朝の情報番組でMCを担当。深夜のバラエティー番組では、サンドウィッチマンと共演した。スポーツでは、楽天イーグルスを取材。報道の現場にも立ち、ラジオ番組ではフリートークを重ねた。

「本当にいろんなことをやらせていただきました。感謝しかないです。ただ、『また、新しいことに挑戦したい』と思い、5年で退社させていただきました」

 18年4月にフリーに転身後、TBSニュースバードのキャスターを担当したが、「視聴者の方々を楽しませる仕事をししていきたい」と思い直し、番組を卒業。所属事務所も離れた。その後、MBSラジオで深夜の生番組を担当するなどし、19年春に野球評論家の高木豊氏と出会った。

「共通の知人がいて、会わせていただきました。高木さんは早い段階からYouTube番組を持たれていて、私も出演する機会を得ました。当時は、『楽天情報に詳しいアナウンサー』の位置付けでしたが、その後、高木さんから新たにYouTube番組を立ち上げことになった里崎(智也)さんを紹介していただきました」

 里崎氏とは面識はなかったが、面会後、すぐにアシスタントに起用された。同年8月に「Satozaki Channel」がスタートした。里崎氏の軽快で歯に衣着せぬトークが人気を集め、登録者数はグングンと伸びていった(12月1日時点56.5万人)。そして、袴田は里崎氏にタイミング良く質問をし、プロ野球ファンの間で一目置かれる存在に。昨年はスポーツナビのユーザーが選ぶ「好きなスポーツアナウンサー 女性部門」1位に輝いた。

「アシスタントを務めるにあたり、気を付けていることは、視聴者目線です。里崎さんがトークを進める中で、ふと浮かんだ疑問点を聞くようにしています。ただ、ランキング1位は大変な驚きでした。エントリーされたことだけでも光栄でしたのに」

 里崎氏との名コンビぶりが、仕事の幅を広げた。イベントのMC、始球式、CSのフジテレビONE「プロ野球ニュース」で水曜日の進行役にも起用された。

「日々の情報はFull-Countさんやスポーツナビを含め、ネットニュースで試合結果と内容を確認し、放送当日は全6試合の映像を同時に見ています。1試合を軸にしつつ、一緒に見ているスタッフさんから『ここがチャンス』『ホームランだよ』と教えてもらって、目を移す感じです。これで意外と把握できます」

 プロ野球のイメージがついた袴田だが、この写真集で新境地に足を踏み入れた。「Satozaki Channel」の視聴者である編集者からのオファーを1年半前に受けていたが、一旦は「自信がないですし、売れるか不安なので」と断っていた。だが、今年1月に姉の所属事務所に移籍。あらためてマネジャー、編集者と話し合い、決意に至ったという。

初写真集「Another」の表紙
初写真集「Another」の表紙

写真集、いったん断るも「1回ぐらいは主役に」で決意

「アイドルからアナウンサーまで、いろんな方の写真集を見せていただきました。どれもきれいでしたし、『写真集では主役になれる』の言葉も大きかったです。アナウンサーの役割はアシスタントや進行なので、『1回ぐらいは主役になってもいいのかも』と思い、気づいたら『やります!』と言っていました」

 やる気になった袴田は、撮影に向けて体作りに入った。

「少しポッチャリが残っていた方がいいということで、胸、お尻は落とさないようにお腹中心の筋トレをしました。食事は夜だけ炭水化物を抜きました」

 現場では、周りが驚く程に大胆になった。

「それまでグラビアの経験もなかったのに、結構、やっちゃいました。最初は水着1、2着ぐらいかな~と思っていましたが、今まで見たことがないような(露出度の高い)衣装も着ましたし、みんな褒めてくれるので気持ち良くなってきました。それに人生で1回切りと決めて臨んだ撮影なので、出し惜しみはしたくありませんでした」

 既に週刊誌には、その一部カットが披露されている。ファンからは「きれいですね」「素敵なお尻ですね」の声が多く、里崎氏からは「ええやん、ええやん」と言われたという。ただ、父親は写真集の撮影をしたことも話せないでいる。

「母には『すごく楽しい撮影だった』とは伝えて、予約もしてくれていますが、父にはちょっと……。姉で免疫はついていると思うんですけど」

 今後についても、袴田は「さまざまな景色を見たいです」。高校時代までミュージカルに出演しており、歌、芝居への意欲を持っている。間もなく32歳。この流れで、殻を破り続けるつもりだ。

□袴田彩会(はかまだ・あやえ)1990年(平2)12月10日、静岡市生まれ。青山学院大文学部史学科を卒業後、東北放送にアナウンサーとして入社。情報、バラエティー、スポーツ、報道取材を担当し、在籍5年で退社。フリー転身後は、TBS「ニュースバード」のキャスター、MBSラジオで深夜番組を担当するなどし、19年8月からYouTube「Satozaki Channel」のアシスタントを担当。これを境にプロ野球関連の仕事が広がり、今年3月30日からは、CSのフジテレビONE「プロ野球ニュース」で水曜日の進行役を務めている。特技はダンス、バイオリン。趣味はプロ野球観戦。家族は両親、姉、弟。姉はグラビアタレントの葉加瀬マイ。血液型A。157センチ。

次のページへ (2/2) 【写真】姉・葉加瀬マイとのツーショット写真
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