コロナ感染も入院できず…重度障がい者の苦悩 揺らいだ介護体制、覚悟を決めたヘルパー

絵画展「口と足で描いた絵~HEARTありがとう~」が20日から23日まで、東京交通会館B1ゴールドサロンで始まった。文字通り、身体に障がいを持った画家が、口や足を使って描いた作品が飾られている。新型コロナウイルス流行の影響で、3年ぶりの開催となったが、その間、重度の障がいを持つ画家たちは、まさに生死と隣り合わせの日々を送った。そのうちの1人、古小路浩典さんに感染時の状況を聞いた。

古小路浩典さん【写真:ENCOUNT編集部】
古小路浩典さん【写真:ENCOUNT編集部】

怖れていた事態が突然 ヘルパーを隔離できず綱渡りの状況に

 絵画展「口と足で描いた絵~HEARTありがとう~」が20日から23日まで、東京交通会館B1ゴールドサロンで始まった。文字通り、身体に障がいを持った画家が、口や足を使って描いた作品が飾られている。新型コロナウイルス流行の影響で、3年ぶりの開催となったが、その間、重度の障がいを持つ画家たちは、まさに生死と隣り合わせの日々を送った。そのうちの1人、古小路浩典さんに感染時の状況を聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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 画家歴40年のキャリアを持つ古小路さんは、絵画展を楽しみにしていた1人だ。昨年、仲間と熱海に取材旅行に行き、印象に残った海辺の風景を描いた。60センチの筆を口にはさみ、仕上げた油絵「ヨットのある風景(熱海)」を展示している。

 そんな古小路さんにとって、危機となったのが、今夏。ワクチンを打ち、衛生面に最大限気を配っていたものの、コロナに感染してしまった。

 中学3年のとき、部活動中にあやまって頭から落下し、肩から下がまひ状態になった。家族から離れて自立しているものの、1人で食事も取ることができず、日夜、ヘルパーの介護を必要としている。

「ヘルパーさんが朝と夜に交代します。夜になったら夜勤のヘルパーさんが来てくれて寝支度をします。夜も絵を描くので、片づけをしたり。そういうことをやって、ベッドに上げてもらって、隣に泊まってもらいます。朝になったら、また昼間のヘルパーさんとそこで交代。今は4つくらいの事業所から来てもらっています」

 25年にわたり介護を続けているヘルパーもおり、家族のような存在の人もいる。

「僕らは身体障がいがあるから、健常者より恐怖心があると思います。かかったらそのまま死んじゃうんじゃないかとか、やっぱり怖いですよね。息抜きにちょっと外をぶらりとする。そのぶらりしているところで何かもらってくるんじゃないかとか。人が大勢いるところに行かないようにと言われていても、外に行くことがちょっと怖い」

 それでも感染した。ヘルパーの1人もほぼ同時に発熱しており、感染源は不明だ。そのヘルパーはワクチンを打っておらず、「それだと困るんだよな。そしたら君を断ることになるよ。仕事がなくなっちゃうじゃん」と話していた矢先だったという。

 古小路さんは自身の力でたんを吐き出すことはできない。自身の体調を心配するとともに、困ったのが日常生活だ。「介護体制までが崩れちゃう」。最も懸念していたことだった。自身が陽性なら、他のヘルパーに移してしまう可能性があった。

「自宅に来てもらった先生に『この場合どうするんですか?』と聞いたら、入院したほうがいいと言われたんですけど、なかなか病院に入れなかったんですよ」

 入院するまで感染判明から4日を要した。その間、自宅でサポートしてくれるヘルパーを隔離することもできず、綱渡りの状況となった。

 古小路さんにとっては苦渋の決断だった。

「もう通常どおりに介護をやってもらいましたね。このまま自分の介護をやっていると感染しちゃうことになるだろうという状況で、もうどうしようもないからってみんな覚悟してやってくれたという感じです。行く場所は病院しかないんだけど、病院は入れない。『いや、こういう状態です』と言ったら、こういう状態でも病院自体がいっぱいなんだからと言われて」

介護を受ける当事者の思い 絵画展で伝えたいこと

 ヘルパーへの申し訳なさと感謝、そしてやるせなさ。葛藤が続いた。

 保健師からは日に複数回、体調確認の連絡が来ていた。幸い、体調がそこまで悪化していなかったが、そのことでかえって不安になることもあった。「電話のときは自分で受け答えしているじゃないですか。この人はまだ大丈夫だなって思われているんだろうなとか……」

 もちろん、病院側に非があるわけではない。希望しても、どうにもならないことだった。結果的にヘルパー2人が新たにコロナに感染した。

 10日間の入院後、退院して再び日常に戻った。介護を受ける当事者としてさまざまな思いを抱えながら、絵を描き続けている。流行の第8波が現実味を帯びる中、願うのは早期の収束だ。

「自分がストレスがたまるからちょっと外に行ったとしてもその後にそういうことがあると、みんなに迷惑かけちゃう。がんじがらめになっちゃって、その生活自体で辟易するのに、ましてや戦争も起こっている。世の中どうなるんだろうという中でも、僕は何かきれいなものを描くとか、自分が気に入った風景を描くとかというところに思いを向けていくしかない。だから暗く語るんじゃなくて、逆にそれを跳ね返して、(作品や生き方を通じて)明るい希望みたいなものを伝えたいです。ほんとコロナなんかはもう早く収まって、天気いいなとか言いながら車いすに乗って、フラッと出て行けたあの軽さがまた帰ってきてほしいなと、つくづく思いますね」と話している。

 展示会は、両手が使えず口や足で絵を描くアーティストたちの団体「口と足で描く芸術家協会」が主催し、計45点が展示されている。

□古小路浩典(こしょうじ・ひろのり)1963年5月、宮崎県生まれ。中学校3年生のとき、器械体操の部活動中に第4、5頚椎を損傷。肩から下はまひしたまま、手足の機能を失う。自暴自棄になったが、「口と足で描く芸術家協会」を知り、画家の道を目指す。著名な画家の指導を受け、頭角を現す。水村喜一郎美術館で見た、水村さんの風景画に刺激を受け、近年は本格的に風景画に挑戦している。

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