猪木さん、四十九日で蘇る豪快エピソード 深夜の温泉で女性に遭遇も「浜田か?」

本日11月18日は、10月1日に亡くなったアントニオ猪木さんの四十九日にあたる。もうそんなに経(た)ったのか、もっと前のことのように思うけどまだそんなか……人によってさまざまな思いを抱いていることだろう。いまだにショックが抜けきれず、体調を崩した人もいるほど、猪木さんが亡くなった衝撃は大きい。

かつての仇敵タイガー・ジェット・シンと語り合う猪木さん【写真:柴田惣一】
かつての仇敵タイガー・ジェット・シンと語り合う猪木さん【写真:柴田惣一】

柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.120】

 本日11月18日は、10月1日に亡くなったアントニオ猪木さんの四十九日にあたる。

 もうそんなに経(た)ったのか、もっと前のことのように思うけどまだそんなか……人によってさまざまな思いを抱いていることだろう。いまだにショックが抜けきれず、体調を崩した人もいるほど、猪木さんが亡くなった衝撃は大きい。

 エピソードにこと欠かない人だった。豪快で破天荒、でも優しくてかわいらしいところもあり、魅力たっぷりの人だった。

 地方遠征が多かった昭和の時代。その土地に着くと、真っ先に町へ飛び出して行った。その土地のメインストリートや商店街をゆっくり歩く。若手選手や木戸修さんを同行させることが多かった。

「あ、猪木だ!」と、すぐさま人だかりができる。握手を求められると「今日は○○体育館でプロレスの試合があります。見に来て下さい」とアピール。まさに歩く広告塔。宣伝効果は抜群だった。

 お店に入り、昼食を食べたりお茶を飲んだり。「猪木が来た!」と注目が集まる。サインを求められれば気さくに応じた。

「闘魂って、入れて下さい」と頼まれれば「え~、面倒くさいんだよなぁ」と言いつつも「これでいいかい。フフッ」。しっかりと丁寧に書いていた。

 宣伝カーを走らせるより効果があるのではないかと、営業部員がいうほどだった。

 現代のようにスマホで簡単に写真が撮れる時代ではない。「うわ~、カメラ持ってくれば良かったなぁ」と、残念そうな人には「会場にカメラを持って見に来て下さい! 記念写真を撮りましょう」とニッコリ。口だけではなく、本当に控室から出て来て撮影に応じていた。約束を守ってくれたと感激したファンは一生、猪木ファンになったことだろう。

 外国人選手はビジネスホテルを利用していたが、日本人選手は地方では温泉旅館に泊まることも多かった。

混浴した女性「とても紳士でした。いい思い出です」

 ある東北地方の温泉地での出来事。脱衣所は別だが、中に入れば浴場はひとつという旅館があった。混浴だ。千人風呂という名のつくほど大きな湯船だった。

 選手が入り終わった頃を見計らって、同宿していた関係者の女性が深夜に入浴しようとしたら、何と猪木さんが入っていたという。

 あわてて出ようとしたところ、猪木さんが「浜田か?」と聞いたそうだ。小柄な女性のシルエットを見て、小さな巨人・グラン浜田と間違えたのだ。

「え、いや違います」の声に「あ、女の子か。ごめん。俺、出るよ」とあがろうとしたという。「大きな湯船の端と端だし、湯けむりで見えないから、良かったらそのままで。温泉でお疲れを癒しては」と伝えたところ「そう? じゃあ、俺、背中向けているから」と、入浴を続けたという。

 その女性は「とても紳士でした。猪木さんと混浴なんて、とてもいい思い出です」と今でもよく覚えている。翌朝、ロビーで顔を合わせた時には「見てないよ、フフッ」といたずらっぽく笑ったそうだ。

 紅葉も進み、朝晩冷えて、温泉が恋しい季節になって来た。温泉と聞くと、猪木さんを思い出すという。「いつか私もあの世に行ったら、また猪木さんと混浴したいですね」と笑った。

 100人いれば100人の思い出がある。数々の名勝負、ファンサービス、名ゼリフ、エピソード……猪木さんは、みんなの心の中に生き続けているのだと思った四十九日の夜。改めて心よりご冥福をお祈りします。合掌。

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