高市早苗氏のスープラ、なぜ復活? 30年前の車が新車同然 レストア支えた驚異の技術

高市早苗経済安全保障担当相のかつての愛車1991年式トヨタスープラ(JZA70型)がフルレストアによって復活した。30年前の車は損傷激しく、一部の部品は調達もままならなかった。それでも、10月29日の式典では新車同然の姿に見事に再生されていた。いったい、なぜ、ここまで仕上げることができたのか。車を買い取った奈良トヨタのレストアチームリーダー・越田実さんに聞いた。

復活したスープラのエンジンを始動させた高市早苗氏はこの表情【写真:奈良トヨタ提供】
復活したスープラのエンジンを始動させた高市早苗氏はこの表情【写真:奈良トヨタ提供】

車体をバラバラにして復元 最難関はダッシュボード

 高市早苗経済安全保障担当相のかつての愛車1991年式トヨタスープラ(JZA70型)がフルレストアによって復活した。30年前の車は損傷激しく、一部の部品は調達もままならなかった。それでも、10月29日の式典では新車同然の姿に見事に再生されていた。いったい、なぜ、ここまで仕上げることができたのか。車を買い取った奈良トヨタのレストアチームリーダー・越田実さんに聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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 30年前の車が、ここまで修復できるものなのか。式典で高市氏がスープラにかけられていた布の除幕を行うと、関係者からは驚きの声が漏れた。

 2月にレストアが始まり、ノーマルの新車の状態に戻すことが目標だった。ボディーやエンジンをすべてバラバラにし、さびを落として一から組み立てる。高市氏がカスタムした部分は元に戻し、壊れている部分は修復した。越田さんが「よく見たら違うと言われるかもしれないけど、ほとんど100%新車に近いと思う」と胸を張る完成度だった。

 ホワイトカラーのスープラは高市氏が約22年乗った後、納屋に約10年保管されていた。レストアは奈良トヨタの総力を結集。県内から10人の精鋭が集まり、週1回のペースで作業に当たった。

「最初は思っていたより状態は良かったんですけど、(納屋に)長期間置かれていたことで、ガソリンタンクの腐り、ボディーの穴あき、ショックアブソーバー(ダンパー)のオイル漏れ。そして一番悩んだのがダッシュボードでした」

 シボと呼ばれる柄の復元が困難を極めた。

「今までやったことない作業で、ボディーとペイントのチームで何回も何回もチャレンジして、もう大変でした。1日来てできへん、また1日来てできへんというのが1か月ぐらい続いて、ようやく完成したという状態。ダッシュボードの割れを修復する作業、それが一番難しかったと思います」

 塗装の上に、どのように柄をつけるか、最適な方法を模索した。

 奈良トヨタではこれまで8台の車をレストアした経験がある。越田さんを中心に、ベテランから若手まで意見を出し合って、一つ一つの壁を乗り越えていった。

 さらに、チームメンバーではない裏方の貢献もはかり知れないものがあったという。

「レストアメンバーではないんですけど、各取引業者様の助けや店舗のスタッフのみんな、そういう人たちのバックアップで、あの1台ができたという感じです」

レストアチームリーダーの越田実さん【写真:ENCOUNT編集部】
レストアチームリーダーの越田実さん【写真:ENCOUNT編集部】

予期せぬ訃報…悲しみ抱えて迎えたレストア車完成セレモニー

 今回は、レストア中に予期せぬ不幸もあった。同時期にハイエースレジアスのレストアを担当していた林祐介さんが10月18日に37歳の若さで病により急逝した。亡くなった日が最後のレストアの作業予定日だった。「もう最後の1日というときに亡くなったんですよ。あと1回で式典というときに、亡くなってショックで…。林くんは他の車のレストアにも携わっていたから、メンバーはみんなどこかでつながっていました」と深い悲しみに襲われた。

 式典ではレストア作業中の林さんの姿も映し出され、越田さんは思い出を語りながら声を詰まらせた。林さんは、高市氏に贈呈するスープラのミニカー作りもひそかに任せられ、完成を目指していたという。「手が器用で、レストアした車両のプラモデルを作ってくれるんですよ。セレモニーで高市先生に渡していたミニカーはメンバーが今回、代わりに作ったんですけど、いつも林くんが作っていたんですよ」

 完成した車両は天国から見ているはず。だが、残念でならない。「これからのレストアを任せるような子でした。きっちりして妥協せえへんのですよ。それで優しいしね。本当ええ子でした」。越田さんは情熱と才能にあふれた後輩の死を惜しんだ。

 奈良トヨタのレストアは技術の継承を主目的にしている。10か月に渡ったスープラのレストアは試行錯誤の連続だった。

 それだけに越田さんは、愛車と再会して喜ぶ高市氏の顔を見て報われたという。

「先生は『これだけきれいに仕上げてくれてうれしい』『もう東京に持って帰りたい』と言うてくれました。先生が直々に運転するのは多分異例やと思うんですよ。自分自身で運転されるというのはよほど車に対してうれしかったんだと思います。ずっと動かない状態で、車の形はあるけど修復できるか多分分からへんかったと思うんですけど、ご縁で僕らがやらせてもらった。喜んでもらってよかったかなと思いますね」と結んだ。

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