世界遺産「那智の滝」の前でプロレス披露 “よみがえりの地”で救われたレスラーの恩返し

崔領二が「世界遺産プロレス~熊野那智伝説」(16日、和歌山県那智勝浦町那智山)を開催。那智の滝近くにある那智山青岸渡寺・三重塔前に設置された特設リングで熱闘を展開した。ピリッとした空気が漂う神秘的な場所でのバトルは、レスラーもファンもいつも以上に熱が入っていた。

崔領二と山伏が那智の滝(左下)の前に設置されたリングに登場【写真:柴田惣一】
崔領二と山伏が那智の滝(左下)の前に設置されたリングに登場【写真:柴田惣一】

ランズエンドの首領・崔領二の挑戦は続く

 崔領二が「世界遺産プロレス~熊野那智伝説」(16日、和歌山県那智勝浦町那智山)を開催。那智の滝近くにある那智山青岸渡寺・三重塔前に設置された特設リングで熱闘を展開した。ピリッとした空気が漂う神秘的な場所でのバトルは、レスラーもファンもいつも以上に熱が入っていた。

 崔の「那智の滝」大会への想いは強い。世界遺産でプロレス大会を開催するのは簡単なことではない。熊野那智大社、那智山青岸渡寺との交渉はもちろん、地元の人たちとの縁作りのために何度も足を運んだ。粘り強い話し合いの末に、全面協力を勝ち得た。

 実はZERO-ONEに所属していた2007年2月、和歌山県那智勝浦町の観光大使に就任した。同年7月にZERO-ONEが「世界遺産プロレス 熊野・那智伝説 格闘ロマンチック街道の旅」を、今回と同じ場所で開催している。

 本当は昨年、14年ぶりにイベントは実現するはずだった。ところが、コロナ禍がぶり返し、無念の中止。崔は「本音を言うと、もう無理だろうと、あきらめた時期もあった」と振り返る。

 02年から04年の間、崔は心身の不調に陥っていた。「もう、レスラー復帰は無理かも」とまで思いつめていた。そんな時、友人に誘われて那智の滝を訪れた。「よみがえりの地。と聞いていたけど、荘厳で身が引き締まる思いだった。本当に自分の気持ちと体が復活していくことが実感できた」とキッパリ。今でも鮮明に覚えているという。

 実際に崔はほどなくリングに復帰した。自分を本来の姿に戻してくれた運命の地への感謝の想いは募るばかり。自分の得意技ダイビングフットスタンプを「那智の滝」と命名したのも自然の流れだった。

 それだけに思い出の地での大会開催には思い入れが強かった。何度も足を運んだ。粘り強く熊野那智大社、那智山青岸渡寺とひざ詰め談判。地元の人たちとの会合も重ねた。関係各位の協力がなければ有り得ないハードルを一つひとつ、クリアしていき、やっとゴーサインを勝ち取った。コロナ禍などに負けるわけにはいかない。

 元より、16年に自身の理想を追い求めるためにランズエンドを旗揚げした崔の辞書には「ギブアップ」の文字はなかった。那智詣でを再開し、コロナ禍も新たなステップに入り、1年越しに夢が実現することになった。

「それこそ次はいつになるか、分からない。式年遷宮と一緒で20年ごとになるかも」と苦笑いだった崔。次回は2042年(?)となれば、いよいよ燃えてくる。メインイベントの6人タッグマッチに、ディラン・ジェイムス、兼平大介を従え出陣。山伏の吹くほら貝の力強い音がとどろき渡り、三重塔から登場した。

 対角線には土肥こうじ、羆嵐、石切組。「厳禁」と言われていた世界遺産での場外乱闘も繰り広げた。三重塔への階段を昇り、大暴れ。関係者を冷や冷やさせた。

 激闘の末、ポスト最上段に駆け上がった崔が、石切のボディをめがけてダイブ。那智の滝をバックに「那智の滝」がズバリと決まって15分15秒、夢の大一番が終了した。

 マイクを手にした崔は「皆さんの協力があって今日の大会にこぎつけられた。ここは蘇りの地。僕自身も救われた。皆さんもパワーをもらって」とアピール。熊野那智大社、那智山青岸渡寺の方からも「神話の世界を観ました。必ず帰ってきてください」と、涙ながらに声をかけていただいたという。15年ぶりに実現した「世界遺産マッチ」は大成功に終わった。

 とはいえ、これも一区切り。コロナ禍で中断されている海外遠征の再開に向け、崔はすでに走り出している。今回のイベントでパワー注入もできた。崔、そしてランズエンドの航海はまだまだ続く。

次のページへ (2/2) 【写真】世界遺産をバックにこの日ファイトを披露した選手が集結
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