柔道はメダルがすべて? リオ金・田知本遥さんが抱いた疑問 次世代育成に“新たな価値観”

リオ五輪柔道女子70キロ級金メダルの田知本遥さん(32)が東京・両国で幼児、小学生向けの柔道教室「COCO Judo Academy」(場所=スポーツ健康医療専門学校)を開講した。柔道で世界一を極めながらも、「勝ちよりも価値」という独自のコンセプトを掲げる。そこには2度の五輪を通してたどり着いた田知本さんの柔道哲学があった。昨年第一子となる女児を出産し、第2の人生を踏み出した金メダリストに柔道普及にかける思いを聞いた。

柔道普及の思いを語った田知本遥さん【写真:舛元清香】
柔道普及の思いを語った田知本遥さん【写真:舛元清香】

「COCO」(ここ)という言葉に込めた3つの思い

 リオ五輪柔道女子70キロ級金メダルの田知本遥さん(32)が東京・両国で幼児、小学生向けの柔道教室「COCO Judo Academy」(場所=スポーツ健康医療専門学校)を開講した。柔道で世界一を極めながらも、「勝ちよりも価値」という独自のコンセプトを掲げる。そこには2度の五輪を通してたどり着いた田知本さんの柔道哲学があった。昨年第一子となる女児を出産し、第2の人生を踏み出した金メダリストに柔道普及にかける思いを聞いた。(取材・構成=水沼一夫)

「COCO Judo Academy」を7月に開講しました。パキスタン出身で東京五輪代表のシャー・フセインシャー選手と2人で教えています。もともと子どもが好きで、柔道という自分のキャリアを生かすことができるようなことを模索する中で、ジュニア世代、キッズに柔道を教えることができないかなとずっと思っていました。

「COCO Judo Academy」は、勝つことを追求するというより、柔道をする中で得ることができる価値というのもしっかり見つけて、子どもたちと一緒に豊かな時間を過ごしていきたいなということをコンセプトにしています。

 だから「COCO」(ここ)という言葉にはいろんな思いを込めています。

 子どもたちって家と学校の行き来だけの狭い社会で生きているじゃないですか。例えば、今問題になっていますけど、学校で嫌なことがあったりしたらもうそれだけ人生が暗く見えてしまう。でも、「ここ」があれば、また別の一つの世界というか、社会を知れる。こういう時間もあるんだよと行動の範囲が広がって、学校での嫌なことも少しは感じないかもしれない。そういった意味の「ここ」もあるし、「ここ」から世界とつながっていこうねという意味もあります。そして、「ここ」ろ(心)を通わしていく場所になれるといいねと思っています。

 友達同士でも、オンラインの先の海外の子どもたちでもいいです。やっぱり柔道ってほかの競技にない魅力がありますよね。実際組み合って至近距離でずっと相手と対峙する競技はなかなかないと思うんですよ。実際に触れ合うというところが、より心を通わせることができる競技だと私は思うので、自分自身のオリンピックで金メダルを取ったこと以外に、やはり大きな価値を見いだせているのは、そこがあったからと思っています。

 最後まで粘って粘ってリミットがあったんですけど、しっくりくる言葉がなかなか出てこなくて、ひねり出して、やっとこれだって思いました。いろんな思いを全部入れられることができる言葉だなと思い、「COCO」という名前にしました。

 ホームページを見ると「ここって、あんまり日本一とか世界一とか目指さないのかな」と思う人もいると思います。もちろん、そういうふうに見せてる部分もあるけれども、そこは一概にノーではなくて、トップ選手になるにあたってこういう環境でやっていたらトップ選手になれないというわけではないと思っています。

 自分自身もどちらかと言えば、そういう幼少期で育ちました。日本一、世界一を目指すようなクラブじゃなかったし、練習も週2回の1時間ぐらいです。でも、だからこそ続けられたというのもあるし、柔道の楽しさを知ることができました。ここでも最低限の基礎はやりますし、その中でその子が中学校や高校に行って、もっとやりたいと思って結果的には世界一になることも考えられなくはないと思っているので、もういろんな可能性があると思っています。

 でも、私からはそれを強要しないし、ここに来た子どもたちに、どうなってほしいかというと、世界観が少しでも広がってくれたらいいなと思っていますね。私たちは大人になって、国際大会とかで海外に出ましたけど、それを小さいときからやっていればもっと早い段階から視野が広がって、いろんな考え方ができる一つの手立てになるんじゃないかなと思っています。今はコロナ禍もあって、なかなか難しいですから、まずはオンラインとかビデオレターを使って体験させてあげたい。画面の向こうに同じぐらいの歳の柔道着を着た子どもたちがいて、何か違う言語を話しているぞって知るだけでも、子どもにとってはすごく驚きというか、また違う世界観を一つ知ることになると思うんですよ。

子どもたちを熱心に指導している【写真:舛元清香】
子どもたちを熱心に指導している【写真:舛元清香】

「勝ちよりも価値」にたどり着いた理由 ロンドン五輪の挫折

「勝ちよりも価値」という考え方は、引退して2年間、筑波の社会人大学院で論文のテーマを決めて書いているうちに、そういう考えにまとまっていったというのが一番大きいです。大学院に入ってテーマを決めるときに、実はコーチングを学ぶと言って入ったんですけど、入ったらスポーツ社会学のほうに興味を持ちました。と言いますのも、私がオリンピックで勝ったときに、すごく不思議な違和感を感じた経験があって、「それって何なんだろうな?」と思っていたところの答えがちょっと見つかった気がしたんです。

 リオで優勝したときに「金メダルだ、よっしゃー」というよりは、何か静かな喜びというか、これまでお世話になった人だったり、あと海外で友達になってくれてずっと励ましてくれた人のこととか、そういったことがすごく印象深く浮かんできて、これって何なんだろうなって思ったときに、本当に後から知ったんですけど、「オリンピズム」という言葉が当てはまったんです。

 恥ずかしながら2回オリンピックに出た後にその言葉を知って「理念だけども遠くないな、この感覚は」と思い、実際に現場での感覚に通じるものがありました。大学院では、そのオリンピズムと自分の経験を照らし合わせた論文を書いたんですけど、その論文を書いてるうちに自分の経験を反すうする作業をして、自分の経験を丁寧に振り返れたことで、「あ、私は勝ちよりも価値というところの、大きなところを得たんだな」ということを知ることができました。

 子どもたちには、もちろん勝ちを追求して優勝することや、勝つことはとても素晴らしいし、すごく味わえないような高揚感や気持ちにもなるけれども、でも、そこに向かって目標として定めて毎日歩んできたその日々も素晴らしいものなんだよということを伝えたいです。

 ロンドンのときに負けて自分がすごく価値のない人間だと思った時期がありました。柔道競技でメダルを持ち帰れない自分というのは恥ずかしいと思いましたが、今は、当日を迎えただけでもう素晴らしい価値を得ていたんだよということをすごくそのときの自分に言ってあげたいし、そういうふうにこれから思ってしまうアスリートや子どもたちがいないように、言っていきたいなと思っています。

 それは勝ったからこそ、言わなきゃいけないというか、私がロンドンで負けたままでこんなことを言っても、負け犬の遠吠えじゃないですけども、勝ちよりも価値が大事なんて負けたままで言ってもたぶんあんまり人は耳を傾けてくれない。

 だけど、勝ったら、また人の聞く耳というのは変わるんじゃないかなと思っていたし、だから勝ったからこそ言っていかなきゃいけないこと、伝えていかなきゃいけないことだなというふうに思っています。勝つことが素晴らしいというのはもうたくさんの人が言ってくれているので、そうじゃない部分を自分は言う。使命と言ったらかっこ良すぎるけど、言っていきたいですし、子どもたちにはそういう指導をしたいと思っています。

「COCO Judo Academy」のロゴ【写真:舛元清香】
「COCO Judo Academy」のロゴ【写真:舛元清香】

「柔道だけがすべてじゃない」 指導で子どもたちに伝えたいこと

 東京五輪で印象に残った一つに田代未来選手の試合がありました。2013年の世界選手権では、所属が違うのに私の付け人としてブラジルに来てくれたり、プライベートでも仲良くしていたので、彼女(の敗戦)を見たときにまさにさっきの言葉を心からかけたくなりました。彼女自身はまだ自分自身でそう思えないのは当たり前なんですけど、彼女の心がつぶされてしまわないかすごく心配しました。リオから彼女も5年間頑張ってきて東京で絶対というのがあったと思うので、それが叶わなかったときの彼女の心というのは、想像できるものがあったので、大丈夫かなって本当に心配になりました。

 私は十分素晴らしかったということを、本当に一個人として伝えさせてもらいましたけど、彼女の心に響いているといいなというふうに思いましたね。柔道競技はお家芸ですから、メダル取って当たり前というか、そこで取れないってなると自分自身で自分をつぶしちゃう。そういうことは絶対にして欲しくないという気持ちでした。

 そのときは柔道だけが全てかもしれないけど、でも人生は全てではないですし、本当にもっと広い世界があると思っています。

 私はそういうことを海外に1人で行ったときに知ることができたので、あまり狭い視野にならずにリオまで行けたんですけど、ただリオで例え1回戦で負けていても、またロンドンとは違った心境だったという自信はあります。悔しいだろうけど、ロンドンのときと同じような「自分は価値のない人間」とは、絶対思わなかった。もしもの話ですけれど。

 ここでは、そういうことを教えていきたいなと思います。ただ、過程がよかったよじゃなくて何が良かったか。試合までのあの日のこれが良かったとか、あの技を出そうとした勇気だとか、何かそういったところをしっかり見つめて、伝えてあげたいなっていうふうに思います。

 コロナ禍で来てくれた人たちに全身全霊で向き合って、ここに来た子が運動って楽しいな、柔道って楽しいなって思ってもらえて、ここに来た子が海外に友達が1人でも2人でもできて、彼女や彼たちと連絡を取り合ったりするような大人になってくれたらすごく意義があったなと思えます。

■田知本遥(たちもとはるか)1990年8月3日、富山県射水市出身。小学2年生から姉・愛と柔道を始める。2012年ロンドン五輪は7位。16年リオ五輪柔道女子70キロ級金メダル。17年、引退。筑波大大学院修了。「COCO Judo Academy」では無料体験生を募集している。得意技は大外刈り、寝技。

◆COCO Judo Academy公式サイト
https://www.cocojudoacademy.com/

◆田知本遥ツイッター
https://twitter.com/I_amtachiharuka

◆COCO Judo Academy公式ブログ
https://ameblo.jp/cocojudoacademy/

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