増田惠子が語る「ピンク・レディー」誕生秘話 絶対売れると確信した「ペッパー警部」

歌手の増田惠子が自身の誕生日でもある9月2日にソロデビュー40周年記念公演を開催した。久しぶりの有観客ライブとあって感極まる場面もあり、中島みゆきの書き下ろしによるソロデビュー曲「すずめ」から最新曲「Del Sole」まで、新旧思い出の曲とともにソロシンガーとしての40年を振り返った。会場のボルテージが上がったのはピンク・レディー時代のヒット曲だ。当時の振付けを楽しむように観客と一体となってあの頃に戻った。今年は、昭和のモンスター・デュオ「ピンク・レディー」結成45周年でもある。そこで今だから話せる当時の思い出を2回にわたって振り返ってもらった。前編となる今回は結成前夜の話を聞いた。

増田惠子【写真:荒川祐史】
増田惠子【写真:荒川祐史】

ミイとケイが遊び感覚で受けたボーカルレッスンが人生を変えた

 歌手の増田惠子が自身の誕生日でもある9月2日にソロデビュー40周年記念公演を開催した。久しぶりの有観客ライブとあって感極まる場面もあり、中島みゆきの書き下ろしによるソロデビュー曲「すずめ」から最新曲「Del Sole」まで、新旧思い出の曲とともにソロシンガーとしての40年を振り返った。会場のボルテージが上がったのはピンク・レディー時代のヒット曲だ。当時の振付けを楽しむように観客と一体となってあの頃に戻った。今年は、昭和のモンスター・デュオ「ピンク・レディー」結成45周年でもある。そこで今だから話せる当時の思い出を2回にわたって振り返ってもらった。前編となる今回は結成前夜の話を聞いた。(取材・文=福嶋剛)

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 ピンク・レディーとしてデビューする前、私はソロシンガーとして歌いたいとずっと思っていました。若い頃からソウルフルな曲が大好きで、1人でオーディションを受けていた頃はペドロ&カプリシャスの「別れの朝」とか「ジョニィへの伝言」といった曲を歌っていて、朱里エイコさんやしばたはつみさんも好きでちょっと大人びたポップでビートの効いた曲がお気に入りでした。そしてミイ(現在は「未唯mie」)は麻丘めぐみさんの曲が大好きで、オーディションで歌っていました。

 私とミイはヤマハが主催するオーディションに合格しました。するとヤマハの社長さんから「月謝はいらないからとにかく来てほしい」とお願いされ、初めは2人で遊び感覚でレッスンを受けに行きました。そこで出会ったのが山崎(あきら)先生です。アコースティックギターを弾きながら歌だけでなく、リズム感、グルーヴ感を教えていただきました。そのレッスンがとても楽しくて、トム・ジョーンズというアメリカの歌手を教えていただき、その曲を練習した後に、当時テレビで放送していた「ザ・トム・ジョーンズTVショウ」を見ながら、「いつかアメリカでトム・ジョーンズさんと共演したい」って遠い未来の夢を抱いていたことを思い出します。

 そんなあるとき、山崎先生が「本気でプロを目指したいなら決して甘い世界じゃないし、怖いこともいっぱいある」とおっしゃって、「こんなに仲良しの2人が一緒になったら心強いじゃないか。2人でやってみないか?」と提案をいただきました。「全然違う2人の声質がハーモニーになったらきっとすごいよ」って太鼓判を押してくださったんです。それでミイと2人で「クッキー」というデュオを結成しました。

 まったく声質の違う2人がどんな歌い方をすれば最高のハーモニーが生まれるのか? ここからミイと試行錯誤が始まりました。

 最初にいただいた課題曲は「サルビアの花」という曲でした。テンポが速い曲というのは意外と簡単にハモれるのですが、この曲のようなバラードを歌うと悪いところがすべて見えてしまうんです。たとえばメロディーは合っていてもまったくハモってないとか。いきなりそこからのスタートでしたから本当に苦労しました。

 平日はクラスの違う2人が学校の休み時間に踊り場に集まって10分間一緒に歌い、土日は東海道線に乗って静岡から浜松までレッスンに通い、電車の中での1時間半も小さな声で2人でハモったり……きっと近くの乗客は迷惑だったと思いますけど、あの頃は時間さえあれば2人で歌っていました。

 とにかく相手の歌声をしっかりと聴くことを大切にしながら、練習を繰り返していくうちに、あるとき、すごく心地よく自分たちの声が1つになって聴こえてきました。ミイの声はうらやましいくらい美しくてきれいな声で、私の声は低くて倍音がある特徴的な声なんですが、その2人が同じメロディーを歌うユニゾンになったとき、ハーモニー以上の歌声を感じて鳥肌が立ちました。「私たちのサウンドってこれだ!」2人の歌が生まれた瞬間でした。そして2人で挑んだのが「スター誕生!」(日本テレビ)でした。

 実はスター誕生のとき、作戦というか審査員のみなさんに受けが良いようにと思い、ワザとフォークソングっぽい曲を選んで歌ってみたんです。ところが、それがきっかけで「白い風船」というフォークデュオでデビューさせられそうになったんです。「デビューできるだけでありがたい」と自分を納得させようと思いましたが、もともとソウルフルなシンガーになりたいと思っていたので、そのときはちょっと戸惑いました。

 そんなある日のこと、私たちがいた事務所から階段を駆け上る音が聞こえてきました。すると私たちのプロデューサー・相馬(一比古)さんが思い切りドアを開けて入ってきて「ピンク・レディーという名前に決まったよ!」って。ミイと2人で号泣しました。「やっと自分たちの思い描いていた歌が歌える」今でも忘れることのないうれしい瞬間でした。

9月に行われたソロ40周年ライブより【写真:舛元清香】
9月に行われたソロ40周年ライブより【写真:舛元清香】

私たちの夢をかなえさてくれたみなさんへの恩返しの4年7か月

 そのあとすぐに「ペッパー警部」のレコーディングが始まりました。最初に聴かせてもらったときのインパクトは今でも忘れられません。もう1曲「乾杯お嬢さん」もイントロからカッコ良くてどちらも絶対に売れると思いました。「クッキー」の頃はオリジナル曲がなかったので、「私たちの初めてのオリジナルソングだ」と思ったら本当にうれしくて両方A面になってほしいと思いました。

 最終的にA面に選ばれた「ペッパー警部」は私たちの人生を大きく変えることになりました。まったく期待されていなかった初めの頃、担当ディレクターだった飯田久彦さん、宣伝担当だった大橋忠さん、このおふたりの力と阿久悠先生、都倉先生、振付の土居(甫)先生。そういった少人数の方たち1人1人のものすごく大きなエネルギーをいただいてピンク・レディーという機関車が走り始めました。

 ピンク・レディーのレコーディングは踊りがない分、存分に私たちの歌唱力をぶつけることができた時間でした。いつも深夜24時以降に始まったレコーディング。すごく疲れていたんですが、まさに“水を得た魚”。あの頃はレコーディングとコンサートの時間が何より楽しみで仕方ありませんでした。

 特にレコーディングは、ゼロから2人で歌を作っていく作業が面白くて、都倉先生の注文に2人でどんどん応えていきながら「こんなふうに歌えますよ」と伝えるんですが、時間がないのですぐにOKが出るんです。それで「もう1回だけ歌わせてください!」と言って歌入れをしたり。言ってみれば私たちにとっての唯一の戦える現場がスタジオで、毎回すべてをぶつけた究極の幸せな時間でした。

 そんな歌が完成すると、次は振り付けです。ダンスが付くとやっぱり歌い方も変わっていきます。毎回振り付けを覚えたかどうかの段階で新曲を発表するのでドキドキでした。それをたくさんの歌番組で歌うと曲に筋肉がついて、さらにコンサートで新曲を披露するたびにどんどん曲の生命力が強くなっていくので、知らない間に私たちの歌がパワフルになっていく、そんな実感がありました。

 ピンク・レディーの衣装ですが「斬新で露出の高い衣装に抵抗があったのでは?」と質問されたりしましたが、あの衣装はどれも私たちの思い通りの衣装でした。ピンク・レディーの前身の「クッキー」名義で活動していた時代からショートパンツにブーツを履いてミニスカートだったり、自分たちでコーディネートしていたので、電車移動のときもそんな服装だったんですよ。

 仕事と時間に追われながら人一倍のプロ意識の強さと根性、そしてピンク・レディーという機関車を動かしているという責任を感じながら毎日猛スピードで生きてきた4年と7か月。それは歌って踊れる歌手になりたいという私たちの夢をかなえてくださったみなさんへの恩返しの4年7か月でもありました。振り返ると実際の時間の10倍ぐらいの時間を走り続けてきたようにも感じますが、そんなスタートでもあった「ペッパー警部」はピンク・レディーの代表曲の中でもやっぱり一番の思い出の曲です。

 そして今度は所属事務所の社長の夢をかなえるためにアメリカ進出へと向かっていきました。それはピンク・レディーとしての終わりの始まりでもありました。(続く)

□増田惠子(ますだ・けいこ)1957年9月2日生まれ、静岡県出身。O型。76年、ピンク・レディー「ペッパー警部」でデビュー。解散後は、81年11月、「すずめ」でソロ・デビュー。2010年、ピンク・レディーの「解散やめ!」を発表。2022年7月、ソロデビュー40周年を記念したアルバム「そして、ここから…[40th Anniversary Platinum Album]」をリリース。9月、ピンク・レディー最大のヒットを記録した「ベスト・ヒット・アルバム」を高音質SHM-CDで再発。12月25日、東京會舘で増田惠子「Christmas Dinner Show『そして、ここから・・・』」を開催。

次のページへ (2/2) 【写真】ショートパンツの衣装が印象的なピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」(1976年)のジャケット写真
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