リオ柔道金・田知本遥さん、育児は「産んでからのほうが大変」 離乳食作りでママたちに「驚きと尊敬」

リオ五輪柔道女子70キロ級金メダルの田知本遥さん(32)が1児の母として奮闘している。昨年第一子となる女児を出産。コロナ禍での子育ては初体験の連続で、「もう覚えていないぐらいきつかった」とボロボロになったことも。一方で、母になったことを実感し、「寝顔を見ると全て吹っ飛ぶっていうのは本当のことなんだなあ」と喜びいっぱいの生活を送っている。新たに東京・両国で幼児、小学生向けの柔道教室もスタートさせた田知本さんに近況を聞いた。

第一子を出産した田知本遥さん【写真:舛元清香】
第一子を出産した田知本遥さん【写真:舛元清香】

「産んでからのほうが大変で…」 初の育児に奔走の日々

 リオ五輪柔道女子70キロ級金メダルの田知本遥さん(32)が1児の母として奮闘している。昨年第一子となる女児を出産。コロナ禍での子育ては初体験の連続で、「もう覚えていないぐらいきつかった」とボロボロになったことも。一方で、母になったことを実感し、「寝顔を見ると全て吹っ飛ぶっていうのは本当のことなんだなあ」と喜びいっぱいの生活を送っている。新たに東京・両国で幼児、小学生向けの柔道教室もスタートさせた田知本さんに近況を聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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――昨年第一子が誕生しました。コロナ禍の真っただ中の出産でした。

「すごく大変でしたね。立会いができなかったので1人だったですし、産んでからも入院中は誰にも会えずに過ごしました。特に出産ですよね。やっぱり痛かったので、身内がいたらもっと違ったのかなと思いましたね」

――出産されたときの気持ちは覚えていますか。

「もっと込み上げる何かがあるのかなと思ったんですけど、そういう感じではなかったです。だんだん一緒に部屋で過ごしているうちに母になった自覚を持っていったという感じです。ただ、名前は生まれてきた目を見て、やっぱりこれだなってすぐ決めましたね。候補はあったんですけど、顔を見て最後決めたいと思っていたので、結局、初志貫徹じゃないですけど、一番最初に考えていた名前になりました。目を見て、これだなって」

――新生児期はどうでしたか。

「母に来てもらったんですけど、本当に大変でしたね。もう覚えていないぐらいきつかったから、母がいてくれて本当よかったなって思いました。母がいなかったらちょっと考えられないです。誰も教えてくれないじゃないですか。毎日眠れなかったですし、産後の疲れが抜けないまま1か月を過ごした感じでした。もう予想以上でしたね。身ごもっていたときも大変だなと思っていたんですよ。食べる物とかも、これはダメあれはダメみたいなのがあって、すごく気を使わなきゃみたいな感じで、(赤ちゃんを)早く見たいなと思ってたんですけど、産んでからのほうが大変で…」

――柔道の稽古のつらさと比べると。

「いや、全然違いますよね。痛みもそうですし、この日だけ頑張ればとかじゃないじゃないですか。やるときはやる、休むときは休む、そのリズムの調整の仕方はたぶん得意なんだろうけど、ずっと24時間何か一定的に頑張り続けるというのは初めてだったので。1歳までは右も左も分からないから、本当に手探りで模索してという感じでした」

――離乳食もご自身で?

「それ、超大変でした(笑い)それこそ子育てで一番大変だったかもしれないです。『え、これ世の中のお母さんみんなやっているの?』っていうふうに、もう驚きと尊敬を抱きましたね。コロナ禍でなかなか会える人がいなかったので、レシピ本とかで学んでやった部分が多かったです」

畳の上に戻って来た【写真:舛元清香】
畳の上に戻って来た【写真:舛元清香】

背中をつけるのが嫌いな娘に「生粋の柔道家じゃん」の声

――子どもは前から好きでしたか。

「好きでしたね。小さい頃の夢は保育士さんになりたいと言っていたぐらいだったし、競技が終わってからも、オリンピックという夢を達成した後に、人生で何を自分はやりたいか成し遂げたいかってなったときに、一つは留学だったんですけど、一つは子育てだったんですよ。本当、日に日に母親にしてもらっていますね」

――ツイッターには「娘の笑い声と寝顔を見るひとときは宝物のような時間です」との言葉もありました。

「寝顔を見るともう全て吹っ飛ぶっていうのは本当のことなんだなあと思って。1日の終わりに見るのが好きですね。フフフッ。かわいいです」

――コロナ禍で外出も制限されがちでした。

「1歳を過ぎて歩けるようになって行動範囲も増えましたね。例えば皇居の中の公園に電車で行ったり、自然があるところに一緒に行って歩いています」

――ベビーカーは使っていますか。

「フラットにするタイプのベビーカーは一瞬でしたね。背中をつけるのを本当嫌がって。チャイルドシートもそうだし、床に置いてもすぐ寝返りして、周囲からは『生粋の柔道家じゃん』って茶化されました。寝返りも早くて3か月ぐらいでしたね。逆にはいはいが長かったです。でもはいはいの期間が長いほうが、体幹がしっかりするとか聞いたことがあったのでいいのかなと思いながらも。…何か考え方がダメですよね。普通のお母さんじゃないですよね(笑い)」

――将来を見据えているような気も。

「いや、でも柔道家にしたいとか気持ちはなくて、本人がやりたいと言ったら別ですけど、そっちの道は自分もお腹がいっぱいだから、よりふれ幅のあるほうに行ってほしいなと思ったりもしています。こればかりは分からないですけどね」

子ども向けの柔道教室をスタートさせている【写真:舛元清香】
子ども向けの柔道教室をスタートさせている【写真:舛元清香】

柔道教室「COCO Judo Academy」を開講 柔道着姿の母に

――コロナ禍の育児に思うことは。

「今のお母さんは本当大変だなと思っています。子育て支援センターみたいなところに、時期を見ながら行かれてるお母さんもいれば、怖いから行かせたくないというお母さんもいて、どちらも別に正解とかないんですけど、やっぱり後者の方がしんどかっただろうな、すごいなって思いますね。私もセンターとか利用させてもらっているんですけど、子どもを遊びに行かせる目的もありますけど、自分が大人と話すことができるのが楽しくて行っている部分があります。いくら家の中で子どもを遊ばせても大人がつらくなってきちゃうんじゃないかなと思うので、本当にコロナ禍というのは、お母さんに対してもすごく大変な環境だなと思います」

――子どもが産まれて心境の変化は。

「この子のためにいろいろやっていきたい、ジャッジしていきたいというふうになりましたね。仕事においてもそうだし、例えばちょっと引っ越そうかなとなったときも、自分が通いやすいというよりは、学校があって公園があってとか、そういう判断になってきているのは感じますよね。仕事を頑張るのも子どものために頑張りたいと思うし、どういう環境においてあげたらいいんだろうというのを日々考えています」

――幼児、小学生向けの柔道教室「COCO Judo Academy」を開講しました。

「自分自身、海外にたくさん行かせてもらって、勝つことも大事だけど、柔道家としてそれだけじゃないものを多く得たような気がして、何かそれを体現できるような柔道クラブができないのかなあという思いはずっと持っていました。単発で地方に呼んでいただくことはありましたけど、どうしてもその場限りの関係で、深いお話もできないし、深い指導ができない。モヤモヤを感じて、定期的にやれたらもっといろんなことがやれるんじゃないかなと思っていたところ、今回縁があって教えています。

 練習場には娘も何回か来たことがあって、柔道着を着たお母さんを見たことがありますけど、さすがにまだ(柔道家と)認識はしていないですね。でも、最近は意思疎通がすごくできるようになってきたので、驚かされることが多いです。『まだ、そこをまではできないだろう』と思っていることの二つ三つ先までいっちゃうときがあるので、大人の考えを飛び越えていくぐらいの成長のスピードに驚かされますし、まだまだ赤ちゃんなんですけど、逆に学ぶこともあったりして不思議な感覚で面白いです。子育てって面白いなって思います。いつそれ覚えたんだろうというか、本当によく見てるんですよね。大人の動きとか」

――どのように育って欲しいですか。

「一つは自然体に彼女の持っている能力を生かして欲しいなと思っていますね。そのためのお手伝いを私はするという感じです。例えば音楽が好きだったら、そういう習い事にも1回一緒に行ってみたいし、外で楽しく泥だらけになってもそれはできる限り止めないでおこうと思っています。危ないことじゃない限り、人に迷惑をかけないことじゃない限りは、できるだけじっと見守りたいなっていうふうに思っていますね」

■田知本遥(たちもとはるか)1990年8月3日、富山県射水市出身。小学2年生から姉・愛と柔道を始める。2012年ロンドン五輪は7位。16年リオ五輪柔道女子70キロ級金メダル。17年10月、現役引退。筑波大大学院修了。7月より毎週水曜に東京・両国で幼児、小学生向けの柔道教室「COCO Judo Academy」を開講し、子どもたちに柔道の魅力を伝えている。現在、無料体験生募集中。得意技は大外刈り、寝技。

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